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学史

地球温暖化の認識の発達にかかわる山本義一の業績

山本義一 (1909-1980) (大先生であるがここでは歴史上の人物扱いという意味で敬称略)は、1946年から1973年まで東北大学教授をつとめた気象学者で、大気乱流と大気放射の両方にわたって世界の気象学に貢献した。その業績の概略は田中(1980)に紹介されている。…

『数値と客観性』(Porter: "Trust in Numbers")をめぐって

Porter (1995/2013)の『数値と客観性』(原題 Trust in Numbers)の読書会に参加した。そこでわたしが発言したことについてのメモをここに出しておきたい。(読書会全体の論点の紹介ではない。この本と直接関係ない論点もある。)(読書会は2か所を通信でつないで…

オーケストラ

【別のブログに、[2011-09-08の記事]、そのあちこちの部分の補足を[2011-10-07の記事]として発表した内容ですが、補足を本文に埋めこみ、少しだけ修正したものです。】【ブログの「カテゴリー」をあまり多くしたくないので「フィクション」に含めましたが、…

環境決定論・気候決定論に関する勉強途中の覚え書き

このごろ、「環境決定論」あるいは「気候決定論」のような話題に接することがいくつかあった。どうやら、関連があることはあるが別々の問題がまざっているようだ。まだ整理の途中なのだが、いつ完了に至るかわからないので、ひとまず書き出してみることにす…

地球の年齢に関するKelvinの議論はどのようにまちがっていたのか?

科学者が当時としてはまじめに考えた結果が、あとの時代の科学の視点から見ると大きなまちがいだった、という話の例として、Kelvin (William Thomson, 1824 -- 1907; Lord Kelvinになったのは1892年だが便宜上一貫してこの名まえで呼ぶことにする)による地球…

ホイッグ(Whig)史観・「勝てば官軍」史観と「地球温暖化の発見」

【わたしは自然科学者であり、自然科学のうち自分の専門に近い分野の仕事について専門外の人に説明する役まわりになることが多い。そのなかでは専門知識が発達してきた過程を歴史的に説明することもある。そういうとき、科学史の立場から見てもまちがいのな…

病的科学 (3) ミトゲン線についてもう少し

[2012-10-06の記事「病的科学(2)」]で話題にしている「ミトゲン線」の件について、「T」となのるかたからMetcalf and Quickenden (1967)という文献の情報をいただいたので、その文献に目をとおしてみた。これはNatureの「Letter」だが、当時のこの雑誌のこの…

大気大循環シミュレーションによる知識の位置、とくに荒川差分スキームについて

[別記事]で述べた科学基礎論学会のワークショップ「シミュレーション科学の哲学的基礎」の(たぶんワークショップの本筋ではない)ひとつの話題について考えたことを書く。田名部 元成(たなぶ もとなり)さんの講演「シミュレーションのシステム哲学的基礎」の…

「温暖化の発見」原書出版から10年、残された問題

わたしは、ワート(Weart)著『温暖化の〈発見〉とは何か』という科学史の本(原書2003年、日本語版2005年)の共訳者である。翻訳の作業の大部分は翻訳業の熊井ひろ美さんによるもので、わたしは専門的内容のチェックを担当した(したがって「訳者」と紹介される…

科学周辺論のすすめ (Ken Alder 2013 の "episcience")

わたしは現代の科学(理科系に限らないので「学術」というべきかもしれないがここでは便宜上「科学」とする)のありかたについての検討がもっと必要だと思う。いわば「科学の科学」が必要なのだ。ただし、科学のありかたのひとつの重大な問題は専門分化の行き…

海洋学者Shizuo Ishiguro、日本出身地球物理学者の波

(人の名まえに敬称をつけるかどうかはいつも迷うが、今回はとくに意味もなく不ぞろいになることをおことわりしておく。)【[補足 (2017-10-08)] ネット上(Twitterほか)のいろいろなかたのご指摘によって知った情報を追加した。】【[補足 (2018-09-05)] 日本海…

病的科学 (2)

[6月24日の記事]の続き。== Langmuirのいう病的科学 ==Wikipedia日本語版「病的科学」(2012-10-06現在)より 病的科学(びょうてきかがく, pathological science)とは、観察者や実験者の主観やミスによって誤って見出される現象や効果を指す用語である。アーヴ…

ニッポニウム -- まちがっていたが、まっとうな科学

113番元素が話題になっている。この件は別に書きたいと思うが、これがニッポニウムと呼ばれることはないだろう。ニッポニウムということばは科学の歴史、しかも思い出す価値のある歴史の一部となっているからだ。小川正孝(1865-1930)は1908年に43番元素を発…

黒い雨

広島・長崎の原子爆弾による、いわゆる「黒い雨」について、テレビのドキュメンタリーを見た。NHKの「黒い雨 --活(い)かされなかった被爆者調査--」だ。2012年8月6日に放送されたのだが、わたしは8月14日午前0時50分(感覚的には13日の深夜)からの再放送を見…

病的科学

「病的科学」は「疑似科学」と関係があるが別の概念だ。その意味は必ずしも統一されていないと思うが、わたしは次のように考える。(科学の対象になりうると思われるが)科学による答えが出ていない問題について、いろいろな仮説をたててその検証を試みる(Popp…

「熱輻射実験と量子概念の誕生」

最近「熱輻射実験と量子概念の誕生」という本を出した小長谷大介さんの同じ題目の講演を聞いた。日本科学史学会http://historyofscience.jp/ の「科学史学校」という、科学史に関心のある一般の人向けの企画だそうだ。わたしは科学史家の著書の訳者ではある…

極東の槌田敦氏と極西のJames Lovelock氏の功績と限界

2006年初めに槌田敦氏の「CO2による温暖化は起こらない」という趣旨の講演 (槌田 2006の本とほぼ同じ内容)を聞いた。同じ年のなかばにはLovelock (2006)の「温暖化は生態系の破滅をもたらす」と主張する本を読んだ。とても悲しかった。([ある本の読書ノート]…

サービス科学(市民によって評価される科学)

科学のありかたには、同じ分野の専門家どうしの間で評価されるアカデミズム科学、企業や官僚機構の目的のために雇われた人が働く産業化科学のほかに、市民によって評価される科学があるべきではないか。それを中山(1979, 1980)は「サービス科学」と名づけて…

「中山茂、学問を語る -- 科学史と歩んだ60年」より

11月19日、科学史家の中山茂さんの話を聞く会があったので出席した[主催者によるお知らせのページ]。科学史の総論を聞きたいと思った人はがっかりしたと思う。しかし、中山氏は科学史の通史を最近語ったばかりであり(中山, 2011)、その本のことは主催者によ…

定量的地球物理学に寄与した東洋の伝統

確かめられていない科学史的思考の覚え書き。20世紀の後半に、気候モデルをはじめとする地球物理学の数量的方法が発達したことに、日本出身者(おもにアメリカ合衆国で活動したので日系一世というべきかもしれない)が多数活躍したことは、偶然ではないだろう…

日本の原子力発電の歴史、津波に負けた理由

題目にした話題の全般の話ではなく、テレビ番組とそれを見た感想の覚え書きである。NHK教育テレビの、2011年9月18日22時から23時半までの「ETV特集:原発事故への道程(前編)」を見た。前編はサンフランシスコ講和(1952年)から東京電力福島第1原子力発電所建…

大正関東地震は予知されていたか

昨日(8月31日) 22時からのNHKテレビ「歴史秘話ヒストリア」は、地震を主題とした話だった。NHKがすでに放送した番組のために取材したものを、関東大震災の記念日を前に構成しなおしたものらしいが、防災を考えるうえで意義のある企画だったと思う。ただし、…

アダム・スミス以後の経済学はジェームズ・ワット以後の経済学

地球温暖化を別としても、人間社会は化石燃料の消費を拡大しつづけることができないことは明らかだ。いわゆる「低炭素社会」(この表現はわたしが使いたいものではないが)あるいはecological footprintの小さい社会に移行しなければならないはずだ。しかし、…