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科学周辺論のすすめ (Ken Alder 2013 の "episcience")

わたしは現代の科学(理科系に限らないので「学術」というべきかもしれないがここでは便宜上「科学」とする)のありかたについての検討がもっと必要だと思う。いわば「科学の科学」が必要なのだ。ただし、科学のありかたのひとつの重大な問題は専門分化の行き過ぎだ。「科学の科学」がまたひとつの専門となってそれ自身の問題意識で進んでしまうと、広い科学全体の問題解決につながらないかもしれない。そんな迷いの中で、わたしは、科学技術社会論学会には会員となり、科学史学会には会員にならないままときどき行事に参加してみたりしている。

科学史の人たちが6月24日に、アメリカの科学史学会の雑誌Isisの特集 The Future of the History of Science の読書会をやるそうだ(http://d.hatena.ne.jp/hskomaba/20130502/1367494125 )。わたしは出席できそうもないが、論文はhttp://www.jstor.org/stable/10.1086/669889 からダウンロードできるのでいくつかながめてみて、そのうち次のものを読んでみた。

  • Ken Alder, 2013: The History of Science as Oxymoron: From Scientific Exceptionalism to Episcience. Isis 104:88-101.

Oxymoronということばは、語源は「鋭い-鈍い」で、著者は科学史という分野には異質の特徴が同居していることをさしているのだと思う。それを解消する必要がある矛盾だと言っているわけではないと思う。

科学史は学問としては歴史学のひとつの枝だ。著者は、科学という対象の特殊性にこだわるのではなく、科学をも他の社会の要素をも扱う歴史学として科学史をやっていくべきだと考えているようだ。

著者の説明によれば、Kuhnは科学史がひとつのdisciplineとして確立することをめざしていたようだ。(ほんとうにそれが望ましいと思っていたのか? むしろ専門分化は学問の必然なのでやむをえないと思っていたのではないか?) そして、Kuhnはある講演のあとの質問への答えで、美術史が大学の美術教育には必ずある要素になっているように、科学史が科学教育の中で地位を確保することを期待する、と言っていたそうだ。しかし実際はKuhnの期待のようには進まなかったし、これから進むとも思えない。芸術家と科学者の事情の違いもあるだろう。

科学史の対象は基本的には科学(science)だ。ここで著者はepiscienceという新造語を持ち出す。ただし、これを今後生き残るべき概念として提唱しているわけではないらしい(この論文限りで消えるかもしれないとも言っている)。遺伝学(genetics)の隣にepigeneticsがあるようにscienceの隣にあるもの、という発想による名まえだ。わたしはepigeneticsという学問分野名の意味を正しく理解しているか自信がないが、ここでは、遺伝する形質が実際に発現するまでのしくみとその場の理解をさしていると思う。そして、おそらく著者はhistory of scienceとして科学的知識自体の歴史(内的科学史)を想定したうえで、history of episcienceとして科学者が知識を生産する(あるいは応用する)しくみや場の歴史をとりあげようとしているのだと思う。(さらに外の一般社会とのかかわりも視野のうちにあるようだが、近ごろ科学技術社会論でさかんに議論されている「科学者とstakeholderの相互作用」という発想はないように思われた。)

中山茂 (1974)「歴史としての学問[読書メモ][文庫版読書メモ]の第1章で、内的科学史と社会史の間に「制度史」が導入されている。これには学問のしかたを伝授する教育のしくみや、知識を交換し評価しあうためのメディア(現代では学術雑誌など)のしくみの歴史が含まれている。自信はないがわたしの理解では、Alderのいうhistory of episcienceはこれと同じことだろうと思う。

さて、科学史家でなく実践者として「episcienceをやっている」人もいるのだと思う。少なくとも研究所や雑誌をつくる人や運営する人はあてはまりそうだ。