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ローマ字のつづりかたについてのわたしの意見

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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[2024-12-16 ローマ字のつづりかたについての意見 (パブリックコメント) 公募 (2025-01-13 まで)] の記事にかいたように、文化庁 国語課 からパブリックコメント公募がでている。公募のお知らせにそえられた「ローマ字のつづり方に関するこれまでの検討の整理(案)」という文書 (「検討の整理」と略す) について、意見を書いてみる。わたしは公募に応じて意見をだそうとかんがえているが、この記事は、まだ提出用の表現にはなっておらず、おもいあたったまま書きとめたものである。
【[2024-12-18 注] 公募にそえられた文書がふたつあって、この記事を書いた際にわたしが文書名をとりちがえていた。12月18日に上記のように訂正した。】

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日本語のローマ字つづりには、いくつかの方式がまじってつかわれている。標準を制定しても、よのなかのつづりかたは統一されないだろう。多様な方式の混在をみとめていくしかないとおもう。

しかし、人名、地名、あるいは一般の語の、検索 [注]、整列照合などの目的には、それぞれの語が一定のかたちをとることがのぞましい。これを「標準」というと、これが正しくて他のつづりかたはまちがいだという印象をあたえそうだが、ここでは、価値判断としては対等なつづりかたのうちで、便宜上、代表となるものが必要だとかんがえているのだ。したがって「標準」という表現をさけ、「参照されるべきつづりかた」という意味で「参照形」と呼ぶことにする。

  • [注] 検索にはあいまいさをゆるすものもあるが、ここでは、検索キーの and, or, not の論理演算が検索結果の集合演算に対応するような決定論的な検索を想定している。そういうものが必要になることがある。

そして、多様な方式のうちで、機械的変換でそれぞれの語の参照形がえられるものを奨励し、人が文脈を判断しないと参照形にたどりつけないものをつかうことをなるべく抑制するべきだとおもう。抑制には反発感情をもつ人もいるだろうから、参照形をきめる際には抑制の必要性がなるべくすくなくなるものをえらぶべきだろう。

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「検討の整理」文書の最後に「表 (案)」というものがある。五十音表にあわせて、それぞれの音節に対応するローマ字つづりが書かれている。それは、いわゆる「ヘボン式」にしたがったものである。

他の言語では複数のローマ字つづりかたの混在がゆるされない (もし混在すると表現されるべき音が決定できなくなる) ものもあるが、日本語のばあいは、ヘボン式と訓令式の混在はさしつかえない (例外的に生じる問題はあとでのべる)。どちらを参照形にしても、他方への変換は可能である。

わたしは、参照形としては、訓令式のほうが、タ行の音節 (とくに動詞のタ行五段活用の語尾) の子音字が一定になるという理由で、すぐれているとおもう。たとえば、見出し語がヘボン式でかかれた辞書で、「tatsu (立つ)」の派生語をさがすのに「tat」ではじまるものだけでなく、(「tas, tan, tam, tak」などではじまるたくさんの見出し語をはさんで) 「tachi」ではじまるものもさがさなければならないのは、めんどうだ。しかし、ヘボン式が、鉄道の駅名表示などひろく普及しているという理由で、えらばれることも、理解できる。

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「例外的に生じる問題」としておもいあたるのは、「ティ、トゥ」をどう書くかだ。これは「検討の整理」では箇条書きの「7」にある「外来語にのみ用いられる音等」にふくまれるだろう。たしかにほぼ外来語にだけでてくる音節なのだが、現代の日本語のなかで、かかせないものになってきたとおもう。ヘボン式ならば「ti, tu」で「ティ、トゥ」をあらわすのが妥当だろう。しかし、訓令式の混在をみとめると、これは「チ、ツ」でありうる。「ティ、トゥ」をさす「ti, tu」以外のつづり字は、日本語ローマ字表記の歴史をさがしてもおそらくみあたらず、あらたにきめるしかないのだとおもう。わたしは、「検討の整理」の箇条書きの「6」にある「音の切れ目を表す」「'」 (フランス語流に「アポストロフ」と呼んでおく) をもちこんで「t'i, t'u」とする、という案をだしておく。(英語で慣用になっている「何かを省略したしるし」という趣旨ではないが、かんがえようによっては 「te-i, to-u」からそれぞれ「e, o」を省略したあとともみられる。)

同様に「ディ、ドゥ」の問題もある。ただしこちらは、「di, du」を「ヂ、ヅ」に対応させるのをやめて「ディ、ドゥ」をあらわすとしてしまえばよいかもしれない。

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「検討の整理」文書を標準案としてみたとき未完成だとおもうのは、箇条書きの「5」の長音についてである。上つき符号をつかう方法と、母音字をならべる方法の両方を許容することになっている。しかし、これは一方から他方へ機械的に変換できない。とくに、母音字がならんだものを、長音とみなすか、母音がたまたまならんだものなのかの判断は、それぞれの語をしらないとできない。同じかたちになってしまう語があるばあい (たとえば、kouri は k-[oの長音]-ri (「行李」、「公理」など) か、ko-uri (「小売り」) なのか) は、文脈もみないとわからない。このような事態を、まったくなくすことはできないが、あらかじめさけられるところはさけるべきだとおもう。

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長音をあらわす上つき符号として、1954年訓令・告示では 山形 (フランス語でいうアクサン シルコンフレクス) をつかっていたが、「検討の整理」文書では横棒 (ヨーロッパ諸言語でいうマクロン) をつかっている。これは、どちらをつかっても同じであり、区別はない、とすべきだとおもう。わたしは山形をつかうことにするが、それは、文字コードやフォントのつごうである。Unicode にはどちらをのせたアルファベットもあるが、Latin 1 (ISO-8859-1) には山形をのせたものだけがふくまれていたので、後者のほうがただしく表示される可能性が高いのだ。以下、「検討の整理」文書で上つき横棒になっているところの引用を、上つき山形で代用することがある。

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「検討の整理」文書の「5」で、「長音で発音される語」としたうちに、e の長音の上つき符号をつかった表記として、たとえば「庭園 têen」のような形をしめしていることにちょっとおどろいた。ただし、母音字をならべる表記では「現代仮名遣いと同様のつづり方を用いる」として、「teien」のような形をしめしている。実際の発音は ei よりも eの長音のほうがふつうかもしれない。しかし、eの長音とみられることのある漢字の音よみをふくむ語については、ヘボン式、訓令式のいずれでも ei でかかれてきた【さらにさかのぼれば、1592年の『天草本 平家物語』でも「平家」を Feiqe と「ei」をつかって書いている】慣例があるので 、あらたに ê のような文字づかいを導入せず、ei をつかいつづけたほうがよいと、わたしはおもう。やまとことばの「ねえさん (姉)」のばあいのためには e の長音の表記が必要だ。そのほかの外来語のあつかいはむずかしい。英語の発音は ei にちかいはずの語が、ながらく eの長音でうけいれられてきたが、最近は ei でうけることもふえてきた。英語のつづりのままでなく、日本語にとりいれられたかたちをローマ字表記したいばあいどう書くか、わたしの提案はまとまっていない。

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「検討の整理」文書の「5」では長音としてまとめられているが、o の長音については事情がちがうとおもう。 ou と oの長音との関係を、ei と eの長音との関係と並列にとらえる人もいる。しかし、こちら (o のほう) は、ヘボン式、訓令式のいずれでも、ou ではなく oの長音としてかかれてきた慣例がある。ou には歴史的には au だったものが合流しているが、ei には ai が合流していない (ai のまま) という事情のちがいもある。わたしは、こちらは o の長音とするのが妥当だとおもう。【天草本でも o の長音とされていたが、au 由来のものと ou 由来のものとで発音がちがっていたらしく、2種類の長音記号をつかって書きわけられていた。】

しかし、oの長音のうち現代かなづかいで「お」段のかなに「う」をつづけて書かれる語に関するかぎり、もし母音字をならべる方式をとるばあいは、あまり見なれない oo よりも、かなと対応する ou のほうがよさそうに見える。なやましいのは、4節のはじめに例をあげたように、o と u がたまたまならぶばあいを、どのように長音と区別したらよいか、だ。わたしの案は、o の長音には長音記号をつかうことをつよくすすめ、ou で代用するのはそうせざるをえないときにかぎる、というものになる。