【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】
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日本の政府は、太陽暦を採用したときから、旧暦 (太陰太陽暦) について国としてはきめないことにした。世間でつかわれる旧暦は、江戸幕府がきめた天保暦のルールをひきついできめられたものだ。ところが、2033~34年に、このルールが想定していない事態がおき、どの月を何月とかぞえるべきかがきまらない、という問題がある。このことの概略は知っていたのだが、つぎの雑誌記事で、実際に計算してみた例をみて、くわしい事情がわかった。(著者名をさがしたところ、「万能 IT 技術研究所」が記事シリーズ名だけでなく筆名としてもつかわれている。あとで 平林 純 さんにちがいないとわかった [この部分 2025-02-11, 2025-03-08 改訂]。)
- 万能IT技術研究所, 2024: 結婚式や葬式が決められない!? 旧暦 2033年問題 -- 150年まえに廃された天保暦に仕込まれた時限爆弾。Software Design 2024年 12月号 1-5. 技術評論社。
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太陰太陽暦では、12か月の日数が1年の日数よりもすくないから、ときどき うるう月 をいれる必要がある。東洋の伝統では、うるう月の入れかたは二十四節気と関連づけられている。二十四節気のうち、冬至をふくめて ひとつおきにとりあげた12個を「中気」という。簡単にいえば、1 年に13か月あるならば中気をふくまない月がひとつあり、それを うるう月 とすればよいのだ。
かつては、二十四節気を、(地動説でいえば) 地球の公転の時間を等分してきめていた (「平気法」)。これならば、中気の間隔 (時間) と 太陰月のながさ (時間) との比率は (太陰月のながさが一定とみなせる程度に) 一定だから、中気がどの月にはいるかは規則的になり、ひとつの月にふたつの中気がはいることは (わたしはまだ自分で計算していないが) ありえない。ところが、天保暦では、地球の軌道の太陽を中心とする角を等分してきめるようにかえた (「定気法」)。すると、中気の間隔は一定でなくなる。その結果、2033~34年にいたって、ひとつの月にふたつの中気がはいることが2回おこり、中気のない月が3つできる。
(「万能IT技術研究所」によれば) 天保暦の うるう月 をきめる規則は、江戸幕府の天文方の 渋川 景祐 が書いた『新法暦書』とその続編に書かれているが、そののち近代になってから (「万能IT技術研究所」の記事の表現では「今から約百年前に」)、東京天文台 の 平山 清次 が定式化しなおしたものがつかわれている。(東京天文台は旧暦に業務としてはかかわらなかったが、研究はしていたのだ。) ところが、そのうちに「冬至・春分・夏至・秋分を含む暦月を、11月・2月・5月・8月とする」というものがある。(なお、「万能IT技術研究所」による記事ではこの項目に「再解釈時に過度に一般化された項目です。」という脚注がついている。) 2033年にこれをあてはめると、9月のつぎが11月になってしまう。そのせいもあって、中気のない月のうちどれを うるう月 としたらよいかもきまらない。約束ごととしてきめるしかなさそうだが、それをきめる権威をもった主体が存在しない。
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「万能IT技術研究所」の Python コードによる 2033~34年についての計算結果の例をみてみると、ひと月にふたつの中気がはいるくみあわせは、「小雪と冬至」「大寒と雨水」の2回である。ただし、そこで、冬至と雨水は、月の終わりまで2時間未満のところにある。わたしが常識的だとおもう判断は、冬至と雨水がそのつぎの月にくるとみなすことだ。そうすれば、冬至のつぎの月が (2033年相当の旧暦年) 11月、雨水のつぎの月が (2034年相当の旧暦年) 1月ときまり、うるう月は (2033年相当の旧暦年) うるう7月 ときまる。
- 4 [2024-12-11 追加] -
記事にあった Python プログラムを書きうつしてうごかしてみると、(自分の書きまちがいを訂正したら) 記事にあるとおりの結果になった。ただし、このプログラムは、ephem と eacal (EACal) というパッケージをよびだしていて、主要な計算の内容はそちらにある。また、timezone を Asia/Tokyo (つまり、日本標準時) と設定しているうえに、 緯度・経度に明石での値をあたえている。 その相互のつじつまはあっているが、このプログラムでは日のくぎりの時刻を東経 135度 の 0時 (正子) とすることを指示することになっているのだろうと推測する。天保暦では日界をどこの経線のどの時刻にするのが「正しい」のだろうか? (「正しい」にかぎかっこをつけたのは、現在はその公定標準がなくなっているから。)
- 5 [2025-02-12 追加] -
つぎの文献の存在がわかった。
- 須賀 隆, 2017: 2033年問題はどのように知られてきたか。『日本暦学会』 24号, 14-17. 著者サイトにある論文PDFファイルへのリンク http://www.asahi-net.or.jp/~dd6t-sg/pcs/year2033problem-history(3).pdf
なお、「日本暦学会」という団体や『日本暦学会』という雑誌の発信もとのウェブサイトは見あたらないが、国立国会図書館の目録のなかでこの雑誌はつぎのように収録されている。
- (国立国会図書館サーチ) 雑誌 『日本暦学会』 https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000008159632
わたしはまだしっかり読めていないが、これまでにわかったことを箇条書きにしておく。
- (もし須賀氏が用語をきめるならば) これは「2033年問題」というよりも「2033-34年問題」というべきだ。
- 天保暦による閏月が確定しなくなる可能性は、渋川佑賢 (1828-1857) の『星學須知』ですでに認識されていた。
- 平山清次による定式化は、三省堂出版から 1912年に出た『日本百科大辭典』の 第6巻の 「太陰暦」に書かれていた。
- また、平山はのちにつぎの著書をだしている。
- 平山 清次, 1933: 『暦法及時法』。恒星社。(国立国会図書館サーチ http://id.ndl.go.jp/bib/000000781965 )
- 2033-34年問題についての須賀氏の判断は「閏11月が最も自然だが. . . 閏7月という判断もあり得る」というものである。それは、須賀氏が知識を提供したつぎの本の記述に反映され、それ以後の多くの本でも採用されている。
- 西澤 宥綜, 1994: 『暦日大鑑』。新人物往来社。
「閏11月が最も自然」とされた根拠をわたしはまだみつけていないが、「冬至をふくむ月を11月とする」というルールの優先順位が高いとすればそうなるとおもう。