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海洋学者Shizuo Ishiguro、日本出身地球物理学者の波

(人の名まえに敬称をつけるかどうかはいつも迷うが、今回はとくに意味もなく不ぞろいになることをおことわりしておく。)

【[補足 (2017-10-08)] ネット上(Twitterほか)のいろいろなかたのご指摘によって知った情報を追加した。】

【[補足 (2018-09-05)] 日本海洋学会の雑誌『海の研究』に、小栗 一将さんによる、石黒 鎮雄さんの研究業績などについての解説(小栗, 2018)が出た。わたしにとって新しい興味深い情報をふくんでいるが、このブログ記事には まだ反映できていない。

==作家になった息子==
Kazuo Ishiguroという作家の名まえを見る機会が2つ続いた。

ひとつはiPS細胞のつながりから、人クローン技術の倫理的問題に関連して、この人の小説「わたしを離さないで」 (英語原題 Never Let Me Go, 2005年)の想定が話題になったのだった。もっとも、わたしはこの小説を読んでいない(生命倫理の例題としては想定を知っただけでじゅうぶんな気がした)。この人は生命倫理問題にからんだ小説を書き続けているというわけではなく、他の作品では、戦前の上海や、日本から西洋への移住者の回想、日本人の芸術家の戦後からの戦中の回想、を扱っている。むしろそちらに興味がわく。【[2021-12-12 補足」「浮世の画家」を、英語原題 An Artist of the Floating World にひかれて、読んだ。[読書メモ]

もうひとつはIan McEwanという作家の Solar という小説(2010年)の話題を見たからだった。これも(温暖化対策や太陽光利用技術の内容にからむのなら興味があるのだがそうではないらしいので)読んでいないのだが、これが出たのがたまたまEast Anglia大学の電子メール暴露事件の直後だったので、McEwan氏がその大学の大学院を出ているという話題が印象に残っていた。文学創作のコースで、修士課程なのだがとても水準の高いものらしい。そのコースを卒業して作家になった人のリストを見たら、Ishiguro氏の名まえもあったのだった。

Wikipediaその他いくつかのネット上の情報を見ると、Ishiguro氏は1954年に長崎で生まれ、5歳のときに両親とともにイギリスへ移住し、1982年にイギリス国籍をとったということだ。そしてそのお父さんはShizuo (鎮雄)という名まえの海洋学者だったのだ。

==長崎==
こうなると、どういう専門の人で、どういう事情で移住したのか知りたくなる。「石黒鎮雄 海洋」などのキーワードで検索してみると、海洋学者(海洋学の内の専門はだいぶ違うのだが)の小栗一将さんのエッセイ「イギリスに渡った研究者−シズオ・イシグロをさがして [2021-12-12 リンクさきを Web Archive に変更]」が見つかった。石黒鎮雄氏は海面の波を研究する海洋物理学者であり、エレクトロニクス技術の応用を得意としていた。気象庁に勤め、東京の高円寺にあった気象研究所から長崎海洋気象台に転勤になった。1959年以後はずっとイギリスに住み、2007年に亡くなったそうだ。

長崎海洋気象台【[2015-10-19補足] 気象庁内の組織変更で「長崎地方気象台」になった】の「あびき」のページ【[2015-10-19 リンク先変更, 2021-12-12 さらに変更] http://www.jma-net.go.jp/nagasaki-c/shosai/knowledge/abiki/abiki.html】も検索にかかった。「あびき」は、今は東大教授になっている日比谷紀之(としゆき)さんが大学院生のとき梶浦欣二郎教授のもとで取り組んでいたテーマだったので聞き覚えがあるがそれ以来忘れていた。学術用語では「副振動」といい、湾内の海面が数十分周期で上下する現象だ。湾外で気圧の変化などによって生じた波が伝わってきて、湾の形によって共鳴のようなことが起こると振幅が大きくなるのだ。検索にかかったのは、石黒氏が参考文献にあげられていた寺田ほか(1953)の報文の共著者になっていたからだった。長崎港の海面の大きな変動は地元の社会にとって対策が必要な課題であり、気象台はチームでその解明にとりくんでいたにちがいない。Hibiya and Kajiura (1982)の論文の参考文献をあたると、同じ日本海洋学会の英文誌に Ishiguro and Fujiki (1955)という論文がある。(PDFダウンロードしたもののまだ実質読んでいないのだが) 石黒氏は「あびき」と同様な湾や湖の振動を電子回路とアナログコンピュータを使ってシミュレートしようとしていたのだ。

  • Toshiyuki HIBIYA and Kinjiro KAJIURA, 1982: Origin of the Abiki phenomenon (a kind of seiche) in Nagasaki Bay. Journal of the Oceanographical Society of Japan, 38, 172-182, DOI: 10.1007/BF02110288. https://doi.org/10.1007/BF02110288 [2022-11-27 リンク変更]
  • Shizuwo ISHIGURO and Akimitsu FUJIKI, 1955: An analytical method for the oscillations of water in a bay or lake, using an electronic network and an electric analogue computer. Journal of the Oceanographical Society of Japan, 11 (No. 4), 191-197. https://doi.org/10.5928/kaiyou1942.11.191 [2022-11-27 リンク変更]
  • 寺田 一彦, 安井 善一, 石黒 鎮雄, 1953: 長崎港の副振動について。長崎海洋気象台報告, 4, 1-73.

【[補足0 (2017-10-08)] 日本在住のころの石黒氏による研究論文や報告文は、長崎海洋気象台が出していた「海象と気象」という雑誌に出たものが多く、上記のほかにも日本海洋学会誌に出たものもあり、中央気象台(のち気象庁)の「研究時報」に出たものもある。書誌情報は CiNii (http://ci.nii.ac.jp/ ) で見ることができる。(著者名の文字が「鎮雄」となっていたり「鎭雄」となっていたりする。) 内容はシミュレーションよりもむしろ観測の自動化に関する技術開発が多いようだ。 】

==Surrey==
石黒鎮雄氏が1959年に赴任したのはNational Institute of Oceanographyで、ロンドン近郊のSurrey County (サリー州)のWormleyにあった。この研究所はその後に組織統合などによって名まえがたびたび変わっている。後継組織の National Oceanography Centre のOur History のページ [2021-12-12 リンクさき変更] によれば、つぎのとおり。

  • 1965年、(名まえはNIOのままだが) Natural Environment Research Council (NERC) の傘下にはいる。
  • 1973年、Institute of Oceanographic Sciences (IOS)の一部となる。
  • 1987年、IOS Deacon Laboratory (IOSDL)となる。
  • 1995年、Southamptonに移転し、Southampton Oceanography Centre (SOC)となる。
  • 2010年、National Oceanography Centre (NOC)となる。
  • 2019年、NERC から独立した組織になる。

Google Scholarで「"Ishiguro S" oceanography」などで検索してみると、いくつか著作物が見つかる。まず次のものがある。

  • S. Ishiguro, 1959: A method of analysis for long-wave phenomena in the ocean, using electronic network models. I. The Earth's rotation ignored. Philosophical Transactions of the Royal Society of London. Series A, Mathematical and Physical Sciences, 251, 303-340. https://doi.org/10.1098/rsta.1959.0005

電子回路によるシミュレーションで海洋の波を解析するという日本で始めた仕事が、イギリスの学会でも評価されていたようだ。海洋の物理量と電子回路の物理量は同じではないが数式の形が同じになるように選ばれたのだろう。この論文が、実際に電子回路を組んだ結果を示したのか、電子回路によるアナロジーの考えかたを示したところまでなのか、わたしはまだ確認していない。[この段落2017-10-07改訂]

また、次のような研究所の報告書が見つかる。

  • S. Ishiguro, 1976a: Pressure-generated surges in the North Sea. (Institute of Oceanographic Sciences Report, 35). Wormley, UK, Institute of Oceanographic Sciences, 26 pp. http://eprints.soton.ac.uk/14317/
  • S. Ishiguro, 1976b: Highest surge in the North Sea. (Institute of Oceanographic Sciences Report, 36). Wormley, UK, Institute of Oceanographic Sciences, 31 pp. http://eprints.soton.ac.uk/14318/

その参考文献を見ると次のようなものがある。

  • S. Ishiguro, 1966: Highest surge in the North Sea. Advisory Committee on Oceanographic and Meteorological Research, Paper 25 (iii), 57 pp.
  • S. Ishiguro, 1967: Highest surge in the North Sea. Advisory Committee on Oceanographic and Meteorological Research, Paper 27 (iii), 97 pp.

WMO (世界気象機関) の専門委員会のひとつにAdvisory Committee on Oceanic Meteorological Researchというものがあるので、それなのか、イギリス政府がよく似た名まえの委員会を持っていたのかは確認していないのだが、北海の(油田関係か、航海関係か、おそらく両方だと思うが)利用のために、【[2021-12-12 補足] つぎにあげた博物館の展示紹介の趣旨をみると、むしろ沿岸の低地の災害軽減のためだろう。】高潮がどのくらい高くなりうるかの評価が必要だ、という実社会的要請による研究だったにちがいない。1976年に発表されたのはそのときの報告の改訂版のようだ。学術論文の下書きのような感じなのだが、学術雑誌に出たものは見つからなかった。Google Scholarの採用基準にかからなかったのかもしれないし、わたしの検索がうまくないのかもしれないが。

今では海洋の波の計算もディジタル計算機で連続体モデルの空間格子を細かく切った離散近似で計算するのがふつうだ。石黒氏は、結果としてあまり発展しなかったアナログ計算機という技術がなまじ得意だったので、学問の先端からはずれてしまったように思われる。しかし、応用研究者としては社会の役にたつ仕事をしたように思われる。

【[補足1 (2017-10-06)] 石黒氏のアナログ計算機は、イギリスの科学博物館 (Science Museum. 自然史博物館とは別のもの)の数学部門の展示物になった。次の解説記事がある。

【[補足1X (2017-10-08)] 石黒氏が1968年にアナログ計算機による高潮のシミュレーションのやりかたを説明した動画が NOC のウェブサイトから公開されている。数理モデルとしては、空間微分は差分による離散化をしているが、時間微分は連続のまま扱う。この時間微分の扱いがディジタル計算機によるモデル化との主要なちがいらしい。入出力に使われた装置の画像も興味深い。

【[補足2 (2017-10-06)] 日本海洋学会ニュースレターに、光易 恒[みつやす ひさし] 教授による石黒氏に関するエッセイが出ている。

【[補足3 (2017-10-08)】石黒氏を文章の書きかたの本の著者として記憶している人たちもいる。目録検索をしてみると次の本が見つかった。(わたしは直接読んでいない。)

  • 石黒 鎮雄, 1994: 日本語からはじめる科学・技術英文の書き方。丸善。 】

==地球物理学者の「日本現象」==
移住して仕事をした科学者が集団として特徴をもつことがある。有名なのはハンガリーからアメリカ合衆国などに移住した数学者・物理学者たちで、「ハンガリー現象」と呼ばれることがある(中島 2006, 118-120ページ)。

それに比べれば専門の範囲がずっと狭いけれども、「日本現象」もあったのだと思う。第2次大戦後に日本からおもにアメリカ合衆国に渡って住み着いた地球物理学者たちだ。石黒鎮雄氏の移住先はイギリスだったけれども、少し大きくとらえれば同じ勢いの一部だったのではないか、と思う。

気候モデルというソフトウェアの発達を語るならばManabe (真鍋淑郎), Arakawa (荒川昭夫), Kasahara (笠原彰) ははずせない(たとえばEdwards 2010 第7章)。しかしその3人だけではなく、1960-70年代のアメリカの気象学のかなり大きな部分を日本出身者が担っていたのだ。たつまきのFujita (藤田哲也; 佐々木 2017参照)は野外観察者で異色だけれども、そのほかの古川(2012, 9章)やLewis (1993)が列挙している気象学者は、数値モデルを作った人も観測データの解析をした人も、エネルギー保存などの物理法則に基づいて物理量の数値をきちんと出す計算をするという共通の特徴をもっている。そのような特徴をもった研究者が日本から輩出した背景として、わたしは、(1)東洋の数値計算の伝統、(2)日本の地球物理学の数理物理と現象論とのほどよい組み合わせ、の両方が有効だったのだろうと思うのだが、科学史的研究をしたわけではなく、推測にすぎない。

わたしは地球物理学科卒業生ではあるが、気象以外の分野については、学者のだれがどんな業績をあげた人なのか、あまりよく知らない。

しかし、世界の地震学にとってAki (安芸敬一)とKanamori (金森博雄)がはずせない名まえであることは確かだろう。そしてAki and Richardsの本の題名にquantitativeとあるように、彼らの仕事の特徴は物理量を定量的に扱うところにあったと言えるのではないだろうか。

海洋学では、まず大循環モデルについては、GFDLのKirk Bryan (気象学で博士をとり、就職してから海洋に取り組んだ)とならんで、UCLAの高野健三の仕事があった。ただし高野氏は日本に帰って理研、筑波大学に勤めたので、ここでいう移住組にはあてはまらない。大循環モデルに限らなければ、日本海洋学会誌の目次を見て思いあたるだけでも、海洋物理ではTakashi Ichiye (市栄 誉, Florida State Univ., Lamont Geological Observatoryを経てTexas A&M Univ.)やMizuki Tsuchiya (土屋 瑞樹, Scripps Institution of Oceanography)などの名まえをあげることができる。残念ながらわたしの勉強不足で、この人たちについても上に述べた日本出身地球物理学者の特徴があてはまるかどうかは知らない。

  • Keiiti AKI and Paul G. RICHARDS, 1980: Quantitative Seismology (2 vols.) San Francisco : W.H. Freeman. 第2版は2002年にUniversity Science Booksから、日本語版は2004年に古今書院から出版されている。[わたしは読んでいない。]
  • Paul N. EDWARDS, 2010: A Vast Machine: Computer Models, Climate Data, and the Politics of Global Warming. Cambridge MA USA: MIT Press, 517 pp. ISBN 978-0-262-01392-5. [読書ノート]
  • 古川 武彦, 2012: 人と技術で語る天気予報史 ― 数値予報を開いた<金色の鍵>。 東京大学出版会, 299 pp. ISBN 978-4-13-063709-1. [読書メモ]
  • John M. LEWIS, 1993: 正野重方:The Uncelebrated Teacher。天気 (日本気象学会), 40, 503-511. http://ci.nii.ac.jp/naid/110001813298
  • 中島 秀人, 2006: 日本の科学/技術はどこへいくのか。岩波書店, 251 pp. ISBN 4-00-026345-5.
  • 佐々木 健一, 2017: Mr. トルネード -- 藤田哲也 世界の空を救った男。文藝春秋。[読書メモ]

【[補足4 (2017-12-09)】石黒鎮雄氏と藤田哲也氏はいずれも1920年生まれで明治専門学校(九州工業大学の前身)を1943年に卒業している。石黒氏は電気科、藤田氏は機械科である。