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「温暖化の発見」原書出版から10年、残された問題

わたしは、ワート(Weart)著『温暖化の〈発見〉とは何か』という科学史の本(原書2003年、日本語版2005年)の共訳者である。翻訳の作業の大部分は翻訳業の熊井ひろ美さんによるもので、わたしは専門的内容のチェックを担当した(したがって「訳者」と紹介されると気がひける)。しかし、その日本語版の「解説」はたしかにわたしの著作だ。解説と同じ文章ではないがほぼ同じ趣旨のことは[読書ノート]のウェブページにも書いた。

この本は、ウェブサイト http://www.aip.org/history/climate のほうが先につくられ、そこから材料が抜き出されたものだ。情報量はウェブサイトのほうが多い。ウェブサイトの内容は改訂が続けられている。いま見ると2013年2月づけになっている。新しい内容がつけくわわっているし、あちこち記述の変更はあるが、根本的に変わってはいない。紙のほうの英語原本も、日本語訳が出たあとの2008年に改訂版が出ている。日本語版も改訂したほうがよいとは思うものの、ほかのいろいろな本の仕事よりも優先させるのはむずかしい。改訂版づくりに本気になるかたが出ればわたしも協力するつもりだ。

それよりも、この本を読んだ当時からわたしが気になったのは、著者もみとめているとおり、題材がアメリカ合衆国で起こったことに偏る傾向があることだ。人物についてみると、日本からアメリカに渡って仕事をした科学者は複数とりあげられている(もっとあげることもできるのだが)。わたしから見ると、それに関連して日本で仕事をした人も重要だと思うのだが、アメリカにいるワートさんにそこまで調べろというのはむずかしい注文だ。ここは日本にいる人がしっかり記述して世界に示す必要があると思う。日本の科学史研究者に勧めたい、そしてわたしも協力したい研究課題だ。

わたしがこの本の翻訳をしようと思いたった理由は、社会問題としての地球温暖化問題への関心ではなかった。当時大学で「地球システム論」という授業(講義)を担当し、その分担部分の内容は地球のうちでは表層にあたる気候システムについて、質量保存やエネルギー保存という物理法則に基づいた概観をすることだった。(現在は別の大学で「環境気象学」として担当。) そのようなものの見かたがどのようにできてきたかの歴史的説明があったほうがよいと思ったが、限られた授業時間で話しきれるものではない。そこで「興味をもった人はこの本を読んでください」という形にしたかったのだ。

しかし、日本語版が出た2005年ごろからわたしは地球温暖化問題の論争にもかかわることになった。世の中には、実際そう思っているのか論争のための詭弁なのか知らないが、およそ「二酸化炭素で地球が温暖化するという議論は1988年にHansenが突然言い出した新説だ」というようなことを書く人がいる。1983年に真鍋淑郎さんの講義を聞いたわたしはもちろんそうでないことを知っているけれども、証拠を整理して示すのは楽ではない。こういうとき、科学史の本があるのは助かる。ワートさんの論調は論争の「反『温暖化懐疑論』」側にくみしてしまったところがあるので温暖化懐疑論者に対して「読めばわかる」ではすまないという問題はあるが。

他方、2010年ごろからときどき、「19世紀から(あるいは1950年代から)科学者たちは地球温暖化問題に警鐘を鳴らしてきた」のような記述を見かける。これはおそらく、ワートさんの本かそれと同様な内容を急いで読んだ人によるものだと思う。確かに、いま科学者が地球温暖化の将来見通しを持っていることの科学的知見としての源流をさかのぼれば、1950年代、さらには19世紀に科学者が考え著述したことに行きあたる。今の科学者は彼らの肩の上で仕事をしている。そして、たとえば19世紀末のアレニウスは、大気中の二酸化炭素がふえれば気温が高くなると言い、人間が石炭を燃やすことが大気中の二酸化炭素をふやしているとも言った。「アレニウスが人間活動による地球温暖化を示唆した」はよいだろう。しかし(ワートさんによれば)アレニウスは温暖化が人類にとって困ったことだと考えていなかったし、化石燃料による大気中の二酸化炭素増加はなん世紀もかかって起こると思っていた。「警告した」とはとても言えない。1950年代ならば、人間活動による地球環境変化を警告した人がいたとは言えると思う。しかしそれは気候変化にしぼられたものではなかった。1970年代初めには、確かに人間活動による気候変化について警告する議論はあったのだが、太陽光を反射するエーロゾルによる寒冷化と二酸化炭素による温暖化のどちらが重要かはわからなかった。「科学者たちは地球温暖化問題に警鐘を鳴らしてきた」のは「1970年代なかば以後」というべきなのだと思う。

ワートさんの本(あるいはウェブサイト)は、「気候システム」という認識わくぐみが発達してきた歴史を理解するうえでとても参考になるのだが、その観点で読む際には、本の話題が現代の地球温暖化の認識に向かう流れにしぼられている点にも注意する必要があると思う。

(考えてみれば従来の科学でもそうなのだがとくに)気候システムに関する現代の科学では、観測と、理論あるいはシミュレーションとの役割が複雑にからみあっている。相互に依存しあっていて、どこかに確固とした根拠があるわけではない。どんな知見が有効かの判断は専門内の経験による暗黙の知識でされていると思うが、その知見を専門外の人が使えるようにするには、知識の有効性の構造をもっと明確にしていく必要があるのかもしれない。少し考えたことを[2013-06-26の記事][2013-06-27の記事]に書いた。

また地球環境科学では、世界規模で情報を共有するしくみ(技術的なものと社会的なものの両方)が重要な役割を果たしている。そのうちでも天気予報・警報という社会的需要があった気象に関するしくみがさきがけとなってきた。この主題では、Edwards (2010) A Vast Machine という本[読書ノート]が出ている。科学技術のinfrastructureの事例とも言えると思うのだが、この本の歴史理論的あるいは社会学的論考は(わたしはそちらの専門的見識はないが)あらすぎるように思われる。したがって題材を問わずに科学史あるいは科学社会学の本として見るとできのよい本ではないのかもしれない。しかし、対象分野の中から見ると、その現場の仕事のスタイルの変遷を、わたしができるよりもよく調べて記述してくれているので、とてもありがたい本だ。これの日本語訳か、同様な役割をする日本語圏の出版物を出したいと思っている。

地球環境科学と社会とのかかわりでは、軍事とのかかわりの問題ははずせない。(狭い意味での)物理学の組織には軍とはいっさいかかわらないという戒律をもつところもあるらしいが、気象学の組織はそれではやっていけない。気象庁に相当する機関が軍の下にある国も多いし、そうでなくても現場に行く手段を軍に頼るしかないことがある。もちろん多くの科学者は見さかいなしに軍事研究にとりこまれたくないと思っている。どこかに歯止めが必要だ。

ワートさんの本ではとくに二酸化炭素濃度連続測定の始まりとして重要な、国際地球観測年(IGY、1957-58年)は、冷戦時代の産物だ。ソ連とアメリカの人工衛星は、純粋な科学技術のシンボルでもあったが、ミサイルや宇宙からの地表監視の軍事能力の示威でもあった。南極やグリーンランドの観測も、そこで作戦行動が可能であるという軍の実験でもあった。ワートさんの本によれば、IGYへのアメリカの貢献の大部分の費用は軍から出ていた。そののちになって、NASAやNOAAがつくられ、またNSFの担当分野が拡充されて、基礎研究がしだいに軍から切り離されてきた。今も軍は地球科学分野の基礎研究にも関与しているが、その比率はIGY当時よりは下がっているはずだ。ところで、IGYを含むICSU (国際学術連合会議、今は国際科学会議)主導の国際共同研究プログラムは、科学への軍事化への歯止めの役割もしていたといえると思う。その中心はデータの共有・公開にあったと思う。IGYとともにWorld Data Center(s)というしくみが作られた(今はWorld Data Systemになっている)。これのもともとの趣旨はIGYで得られたデータを全世界の研究者が利用できるように保存・提供しましょうということだった。

科学と社会のかかわりのもうひとつの面として、科学者が何を問うか(問いに対してどんな答えを得るかではない)には、そのまわりの社会の影響を受ける、ということがある。社会には科学者集団という小さな社会から世界まで、いろいろなものがある。ワートさんの本の中では、「気候はどのくらい変わりやすいものなのか」および「人間活動は気候に対して影響を与えうるものなのか」についての社会通念が時代とともに変わり、多くの科学者もその影響を受けていたと考えている。20世紀前半の通念は「気候は変わらない」あるいは「変化が起きても自然のバランスによってもとにもどる」というものだったらしい。ただしこの認識はアメリカ合衆国の場合に偏っている可能性がある。Stehr & von Storch (2009)の本[読書ノート]を見ると、ヨーロッパにはまた違う考えがあったようだ。日本の場合はどうか、どなたか調べてくださるとありがたい。20世紀後半になってしだいに通念が変わるのだが、ワートさんの議論に従えば、重要な影響をもたらしたのは、1950年代の大気圏内水爆実験(およびそれが実戦に使われる可能性の議論)だったようだ。これが直接もたらしたのは気候の変化ではないのだが(「核の冬」の議論が出てくるのはもっとあとの1980年代前半)、大気・海洋環境の目に見える(あるいは観測機器によって見える)変化ではあった。これはわたしとしても気分的には納得できるのだが、議論の根拠として使うには確かめる必要があると思う。

なお、核実験から地球環境科学への影響としてはもっと直接的に、大気・海洋の物質の動きを追いかける研究が発達したことがあげられる。日本の気象研究所によるビキニ水爆実験後の海洋の放射能測定も重要なもののひとつだ。(そして少なくともこの部分は軍事研究ではなかった。) 熱帯気象の認識は、ビキニ周辺の強化観測(これは明らかに軍事研究)で得られたデータの解析(軍との関係はデータ提供だけだったらしい)によって大きく進んだ。