macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

「熱輻射実験と量子概念の誕生」

最近「熱輻射実験と量子概念の誕生」という本を出した小長谷大介さんの同じ題目の講演を聞いた。日本科学史学会http://historyofscience.jp/ の「科学史学校」という、科学史に関心のある一般の人向けの企画だそうだ。わたしは科学史家の著書の訳者ではあるが科学史家ではないので期待された聴衆には合っているのだと思うが、ほかの聴衆の多くは科学史学会関係者だろうと思われた。

現代の物理学の「量子」概念の始まりが、Planckの「熱輻射」に関する理論(とくに1900年10月の論文...こういう細かい情報は小長谷さんの講演による)にあることはよく知られている。それは、実験結果を、従来の古典物理をもとにしたRayleighの理論(たとえば1900年6月の論文)では波長の長い側、半経験的なWienの理論(1896年の論文)では波長の短い側しか説明できないという状況のもとで、普遍的な理論を求める思索の結果だった。Planckは実験を尊重する理論家だった。ではその実験結果を出した人たちはどういう動機で研究していたのか。

小長谷さんはドイツの3人の学者に注目する。Hannover工科大学(Technische Hochschuleを便宜上こう訳している)にいたPaschenは、上司から指示された吸収スペクトルの研究(アメリカのLangleyの実験の検証)から、熱輻射自体の法則性を知ることに向かった。物理量計測の標準を主な課題としていたPTR (帝国物理工学研究所)にいたLummerは、光の測定標準から赤外線領域に向かった。ベルリン大学とベルリン工科大学で仕事をしたRubensは、Maxwellの電磁波理論の検証をHertzの電波検出よりももっと定量的に赤外線領域でやろうとした。いずれも、輻射源、分光器、輻射検出器からなる実験機器をくふうし、その過程では相互影響もあった。

さて、わたしが翻訳にかかわったWeartさんの本の表題になっている「地球温暖化の発見」というとらえかたは、科学の発展についてのひとつの切り口にすぎないと思うが、これが小長谷さんの切り口といろいろなところで出会っている。

現代、大気のエネルギー収支を計算しようとすればその基本となるのは黒体放射だ。

しかし現実の物体からの放射は黒体放射からずれる。とくに気体分子による赤外線の吸収・射出を計算しようとすれば、分子の振動が量子化されていることをまじめに扱う必要がある。

ただし、Arrhenius (1896)が大気中の二酸化炭素温室効果定量的に見積もったときには、まだ量子論は知られていなかった。Arrheniusは気体による赤外線吸収の実験的結果を利用したのだ。論文の注を見ると、Langleyの1884年や1890年の著作とならんで、Paschenの1893年や1894年の著作が参照されている。内容に立ち入って理解していないが、小長谷さんが注目している理想的な熱放射(黒体放射)に向かう業績ではなくて、そこからはずれる吸収線関係の仕事かもしれない。しかしともかく、Arrheniusは当時の先端の実験物理の成果を取り入れて学際的な研究をしていたのだ。

Arrheniusの温室効果の議論は、地球科学者には受け入れられたようだが、物理学者からは否定的意見が多かったようだ。それには、実験物理学者Knut Ångström (単位名にもなったÅngströmの息子)が、気体による赤外線吸収を測定する実験(それ自体はよい研究だったようだ)に基づいて、大気中のCO2による赤外線吸収は飽和しているのでCO2濃度がふえても気温には影響しないという理屈をたてたことが効いたらしい。吸収物質は射出物質でもあるので、それがふえると大気層を通過する間の吸収・射出のくりかえしの回数がふえるのだが、そのことが当時は見落とされていたのだ。(Archer & Pierrehumbert 2011の53-55ページにPierrehumbert氏による解説)。

現代の気候システム論には、放射(輻射)研究の系譜と、流体力学の系譜が合流している。その流体力学の系譜のほうの祖先であるHelmholtzやRayleighの名まえが、きょうは輻射の関係者として出てきた。わたしは原文献を読む経験をまだしていないが、Maxwellと同時代の彼らにとって、電磁気学流体力学も同じ種類の思考の対象だったのだろう。その時代の感覚をとりもどした電磁気学流体力学の教材(科学史的再現ではなく今の物理から見てまちがった道に進まない注意がほどこされたものになると思うが)がもっとあったほうがよいと思う。

文献

  • David ARCHER & Raymond PIERREHUMBERT eds., 2011: The Warming Papers: The Scientific Foundation for the Climate Change Forecast. Chichester, West Sussex UK: Wiley-Blackwell, 419 pp. ISBN 978-1-4051-9616-1 (pbk.) [読書メモ]
  • Svante ARRHENIUS, 1896: On the influence of carbonic acid in the air upon the temperature of the ground. The London, Edinburgh and Dublin Philosophical Magazine and Journal of Science, Ser. 5, Vol. 41, 237–276. (http://nsdl.library.cornell.edu/websites/wiki/index.php/PALE_ClassicArticles/GlobalWarming/Article4.html に簡単な解説と原論文PDFへのリンク [2018-04-27 リンク先修正]) (Archer and Pierrehumbert 2011に収録, 56-71ページ).
  • 小長谷 大介, 2012: 熱輻射実験と量子概念の誕生北海道大学出版会。[版元ページ] [わたしはまだ読んでいない]
  • Spencer R. WEART, 2003, 2008: The Discovery of Global Warming. Harvard Univ. Press. [初版の日本語版]: スペンサー・R・ワート著, 増田 耕一, 熊井 ひろ美 訳 (2005): 温暖化の〈発見〉とは何かみすず書房, 262+xxi pp. [読書ノート]