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気候学(climatology)をめぐる個人的覚え書き

【この記事はまだ書きかえることがあります。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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いま、わたしは自分の専門が何かの述べかたはなんとおりかあるが、そのうちひとつとして、「気候学」だと言うこともできる。【しかし、長いあいだ、そうではなかった。それはあとに述べるような事情による。】

いま、わたしは「気候学」は「気候に関する学問」という意味であり、それ以上の限定はされていないのだと言う。【細かいことだが「学問」は「科学」を含みそれより広い意味だと思っている。わたしの知っている「気候学」は「気候に関する科学」だと言ってもよいのだが、その周辺の「気候に関する、学問ではあるが科学ではないもの」まで広げてもよいかもしれないと思う。】

ただし、「気候」ということばには統一された定義はない。わたしは科学史の論文(増田, 2016)の序論で次のように述べた。(ここでの引用では改行をふやした。)

わたしは、気候の概念には、次のような発達の過程からくる3層が重なっていると考えている。


第1に、気候は、人間をとりまく環境(「風土」ともいう)のうち、寒暖・乾湿・風などの地表に近い大気に関する要素群をさしていた。


第2に、近代科学の初めから大気の状態は気温・気圧・風速などの物理変数で測定・表現されてきたので、気象に関する物理変数の(季節を区別した)1年より長い期間の統計に現われるものごとを気候というようになった。代表的な数量として、気温・降水量などの「平年値」があるが、これは(たとえば1981年から2010年までの)30年累年平均値である。


第3に、第2の意味の気候の変化の原因を数理物理的に考える過程で、大気・海洋・雪氷などの部分からなり部分が相互作用しながら変化しうる「気候システム」という概念が成立した。「気候」はこの気候システムの状態をさすというとらえかたもできる。

わたしは近ごろは、「気候学」はこの3つのどの意味での「気候」を扱うものも含まれると思っている。しかし、これは最近のわたしの勝手な意味づけであって、数年まえのわたしはそう考えていなかったし、多くの人に通用するものではなさそうだ。

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わたしがなにものかを述べておく必要がありそうだ。自己紹介をしだすと長くなるので、ここでの議論に関係しそうな点だけにする。

わたしは高校生のとき地学クラブの活動をきっかけに、第四紀の氷期・間氷期サイクルの環境変動(気候の変動と海水位の変動を含む)に関心をもった。大学入学の際には理学部・工学部・農学部などのあいだの選択を先送りできる東京大学を選び、さいわい入学できた。理学部ならば地球科学を専攻したいと考えた。ところが東京大学 理学部の地球科学関係の教育課程(コース)は、天文学を別として、地球物理学、地質学・鉱物学、地理学の3つに分かれていた。(今は「地球惑星科学専攻」にまとまったが、学部課程のコースは「地球惑星物理」と「地球惑星環境」に分かれている。後者がかつての地質・鉱物と地理をまとめたものに相当するらしい。) 高校のとき以来の第四紀への関心にいちばん近いのは地理コースの地形学だった。しかし、過去の各時代の環境の証拠が地形に残っている場所は限られており、復元推定にはどうしても大きな空白ができてしまう。ちょうどCLIMAPプロジェクトの報告が出たところで、岩波の『科学』にその特集が出た。その執筆者の大部分は地質学者だったが、東大地球物理で博士をとったあとアメリカにわたって大循環モデルによる気候研究をしていた真鍋淑郎さんによる氷期の気候のシミュレーションの解説も出ていた。シミュレーションの根拠のあやうさはあるが、世界地図を埋める情報が得られることは魅力的だった。それでわたしは地球物理に進学を決めた...というと話がきれいなのだが、あとで確認すると『科学』のCLIMAP特集号が出たのは1977年でわたしが進学さき希望を届けたあとだった。CLIMAPの約2万年前の世界に関する成果の論文は1976年に英語で出版され、それを紹介する短い科学時事記事が1976年の『科学』に出ていたから、わたしの決断のきっかけはそれだったのかもしれない。

大学院に進学するときも迷ったが、結局そのまま地球物理の大学院に進み、気象学を専攻した。そうしながら地理の授業や勉強会などにも顔を出した。そういう人は少なかった。地球物理の同級生の多くは他学科に出入りするとすれば物理・天文だった。(地質に出入りした人もいたがやはり少数だった。) 地球物理のカリキュラムはもともと物理から分かれたものであり、1980年当時は3年生はほとんど物理と同じだった。地球物理特有の専門科目が実質4年生から始まるのだから卒論などあるはずがなかった。他方、地理のほうは3年生で講義をとりおわって4年生はフルタイムで卒論のフィールド調査をせよというような、まったく別の文化だった。場所も、同じ本郷キャンパスとはいうものの、地理は南西の端、地球物理は北東の離れ島のようなところで、授業のあいだの休み時間に移動するには自転車が必要だった。

それ以来、わたしは正式には地球物理の気象の集団にいながら、非公式に地理の気候の集団でも活動して、両者の境目をなくすような働きをしてきた。

1992年からは東京都立大学の教員として地理のほうに本拠を移した。(ただし地理のうちで「気候学」ではなく「地理情報学」を担当する立場だった。)

2000年にまた異動し、専門を問われれば大きくは「地球環境科学」、もう少し具体的には「気候・水文」と言うが、もし地理か地球物理かを問われれば地球物理のほうだと言うようになった。

2017年からまた地理を主題とするところに所属することになった。もはや地理と地球物理を区別する必要はないという心境になっている。(ただし、教育カリキュラムとしてはまだ区別があり、これから学ぶ人にはまずどちらか一方を選択することを勧めるしかなさそうだ。)

【[2021-05-21 補足] 2021年に異動して、地球環境科学を主題とするところに所属するようになった。地理と地球物理とを区別する必要はないと思っているが、もし問われれば自分は地球物理のほうだと答えるたちばになった。】

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さて、世の人びとのいう「気候学」とはどんなものかについて述べたい。ただし、わたしの記述は、わたしの位置から見えていたものに偏っているにちがいないので、そのつもりで読んでいただきたい。

上の1節に述べた気候の定義のようなものの第2項であげたように、気象についても気候についても、近代科学の初期から、機器による物理変数の観測値を使った議論がおこなわれてきた。そして気候はおもに気象変数の統計値で表現されてきた。気象学と気候学のあいだには、もともと明確な区別はなかったと思う。

しかし、(世界のどの国でもそうだったか確認していないのだが、少なくとも日本では) 1930年代ごろから、気象学は(物理学から独立しつつあった)地球物理学の分科、気候学は地理学のうちの自然地理学の分科、として認識されており、それは今も続いていると思う。ただし研究者や大学教員の地位を得て気候学を専攻する人の人数は、(気象学も少ないのだがそれよりも)少ないので、地理の気候学の存在を知らない人も多い。

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地理の気候学が学問として確立しようとしていたころの教科書として、福井(1938)のものがある。その内容は、当時 先進的とされていたドイツ語圏や英語圏の学問体系、なかでもKöppen (ケッペン)とR. Geiger (ガイガー)が編集していた教科書的叢書 Handbuch der Klimatologie を基本とし、日本についてのオリジナルな解析結果をいくらかつけくわえたものだった。先達となる研究者にもふれているが、そのうち日本の研究者はいずれも気象台所属の(どちらかといえば気象学を専門とする)人だった。

ケッペンの気候区分は当時もはや新しい研究成果ではなかったが、現役の研究トピックだった。【ケッペンの気候区分についての最近のわたしの考えについては、[2016-11-01の記事]とそこからリンクされた過去の記事をごらんいただきたい。】

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1980年ごろ、地理の気候学の研究者(わたしよりは先輩)から聞いた、気候学のとらえかたは、およそ次のようなものだった。(おそらく1950年ごろからしだいに強まって、1970年代に日本の地理の気候学研究者のあいだで主流になったものだと思う。)

【ここでは対象を大規模(水平規模約千キロメートル以上)の現象に限る。気候学にはこのほかに中小規模の現象の研究(「小気候学」、「局地気候学」などとよばれることがある)があるのだが、わたしには論じきれない。】

ケッペンをはじめとする、1930年代から続いている気候研究の方法は、気温・降水量などの気象変数の値の月平均値(または月合計値)を、さらに(1月ならば1月について)多数の年について平均した累年平均値(「平年値」はその一種)を使ったものだった。1980年ごろの気候学者はそのような仕事を「平均値気候学」と呼んでいたが、それは学問的には死んだ領域であり、取り組む価値のないものとされていた。

【学校教育の地理の気候のところでは、ケッペンの気候区分が教えつづけられている。多くの気候学者はそれに不満だったが、それを変えさせるだけの影響力がなかった。理由を想像してみると、ひとつにはよい代わりの案を提示できなかったこと、もうひとつは、あとで述べるように、気候学者と地理のうちの他分野の専門家とのあいだが疎遠になっていたことがあげられる。】

取り組む価値のある領域は「動気候学」と呼ばれていた。それは英語ではdynamic climatologyだったらしいが、物理の(動)力学[dynamics]に基づく気候学という意味ではなかった。毎日の天気図から、たとえば前線や低気圧の位置を抽出し、それを地図上で重ねあわせて統計をとることがおもな研究手法だった。代表的な本として高橋(1955)がある。もっと的確な名まえは「総観気候学」(synoptic climatology)だった。ただし、鈴木(1975)の気候そのものを扱っている部分は、わたしから見ると総観気候学なのだが、本人は総観気候学とはちがうと言っている。

総観気候学は、第二次大戦中の軍事研究として、とくにアメリカ軍が日本を空襲できる天気条件を判断するための技術として発達したらしい。日本でも、中央気象台(のちの気象庁)などで研究されていた。代表的研究者として荒川秀俊、高橋浩一郎がいる。彼らは物理を学んで気象台に就職して気象学を専門とした人たちだった。しかしその後、総観気候学はおもに地理の気候学の人たちの研究領域となった。

他方、地球物理の気象学のうち、総観規模(水平規模 数千キロメートル)の現象を研究する人たちの研究方法は、(動)力学と熱力学に基づく理論や数値計算がおもになり、専門家集団として毎日の天気図をよく見る習慣はなくなっていた (天気図に関する基礎知識は必要とされたし、個人の習慣としてよく見る人はいたが)。気象力学(dynamic meteorology)または大気力学(atmospheric dynamics)がさかえ、総観気象学(synoptic meteorology)は気象力学の応用課題としてだけ残ってその他の側面は衰退した、とも言える。1980年ごろ、中学の理科や高校の地学[地理ではない]で学ぶ気象学[気候学ではない]の「天気の見かた」などの教材に近いことを扱っていた専門家は、(予報の現場は別として、大学では)地球物理の気象学よりもむしろ地理の気候学にいたと思う。

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ところが、第四紀への関心で地理学教室に出入りしたわたしにとって、そこで行なわれていた地形学の研究は過去の気候を考えるのに役だつのだが、総観気候学の研究は役にたたないのだった。ひとつ前の間氷期(約13万年前)の毎日の天気図などを作れるデータはない。火山灰の分布から火山が噴火した日に風がどうふいたかはわかるかもしれないが、それがその時代の代表的な風向である保証はないのだった。

地理学は自然地理学と人文地理学に分かれ、自然地理学はさらに地形・気候・水文・植生などに分かれる。およそ第二次大戦後ごろから専門分化が進み、分かれた複数の分科にまたがって仕事をする人が少なくなった。自然地理学のうちでも、とくに総観気候学に特化した気候学は、地形学その他の分野と、疎遠になった。(鈴木秀夫教授は、(わたしのいう)総観気候学だけでなく、地形学的方法による過去の気候の証拠の研究もしたのだが、次の世代の気候学者になると、地形学にかかわることは少なくなった。専門分化が進みそれぞれの課題がむずかしくなったので、気候学の専門家であることと他分野に手を出すことを両立させにくくなったということだろうか。)

東大地理の卒業生だが大学院からはカナダで学びスイス連邦工科大学で仕事をしてきた大村 纂(あつむ)教授の仕事は、分類すれば気候学なのだが、総観気候学ではなく、地表面の熱収支(の観測やデータ解析)をおもな方法とするものだった。わたしが都立大学の地理学科に移ったあとだが、大村さんにセミナーをしてもらったとき、地形学者でアンデスの氷河地形を研究した経験のある野上道男さんが「1930年代の気候学をやってるね」と評したのを覚えている。これはほめことばだったと思う。氷期サイクルの氷河の消長を論じるときに役だつ気候学は、総観気候学ではなく、どちらかというと平均値気候学の系列につながるものなのだった。それを専門にやっている人は日本にはいなくなっていた。

第四紀に関心をもつわたしから見ると、地球物理のほうにも専門分化の弊害があった。やはり第二次大戦後ごろから、地震学を含む固体地球物理学と、気象学を含む流体地球物理学がわかれ、両方に手を出す人がほとんどいなくなったのだ。第四紀の気候の証拠はおもに地形に残っているのだが、地球物理のうちで地形プロセスは固体系と流体系のどちらの関心事からもはずれ、扱う人はとても少なくなった。ただし、月や火星などの探査で得られる情報は表面の地形に関するものが多いから、惑星物理の問題として月や火星の地形プロセスを扱う人はいた。

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過去の気候のうちでも、歴史時代、つまり機器観測はないが人による記録がある時代の気候については、総観気候学の発想が役にたつ可能性がある。とくに、毎日の天気の記録が複数地点でとられているのならば、毎日の天気の分布図をつくることができる。ただし、専門用語で「天気図」と言われているのはこれではなく、気圧の分布を基本とする図だ。天気の分布図から天気図までにはだいぶ飛躍があるが、なんらかの仮定をおけば推定することができる。

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わたしは、就職して以来の専門としては、第四紀よりも現代の気候に関心を向けてきた。その観点からも思うことがある。

気候の変化は人間社会に影響を与える。また、人間社会が気候を変化させることもあることがわかってきた。そして、人間社会にとって、気候の変化にどう適応していくかという課題がある。

地理学のうちで、気候学にも、人文地理学にも、気候影響・適応に関する課題に取り組む人はいる。しかし、専門分化してしまった気候学と人文地理学がいっしょに取り組むことは少ないと思う。もちろん、地理の中で閉じる必要はなく、気候学者や人文地理学者が、それぞれ地理の外の分野の専門家と組んで仕事をすればよいのだが。

文献

  • 福井 英一郎, 1938 (1942 4版), 気候学。古今書院。[読書メモ]
  • 増田 耕一, 2016: 地球温暖化に関する認識は原因から結果に向かう思考によって発達した。 科学史研究 (日本科学史学会), 54: 327 - 339. [このブログで紹介した記事。論文へのリンクをふくむ。] [この項目 2022-11-20 修正]
  • 鈴木 秀夫, 1975: 風土の構造。大明堂。(現在は原書房から出版されている。また、講談社学術文庫にも収録されている。) [読書メモ]
  • 高橋 浩一郎, 1955: 動気候学 -- とくに 日本の天候について。岩波書店。