【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】
【これはまったく個人的なおぼえがきです。なお、この記事を書こうとおもったのは2025年夏、下書きを書いたのは2025年11月中なので、そのあいだの期間にわたしがかんがえたことを反映しています。】
- 1 -
わたしは子どものころから「わすれものが多い子」だった。その傾向はいまも変わっていない。
ちかごろわたしは、ちかごろの自分のわすれものには、いくつかの類型があり、同じ類型のわすれものをくりかえしていることに気づいた。類型化できたから予防できるかとおもったが、へっていないようだ。ともかく反省したことを書きだしておくことにする。
- 2 -
わすれもののうちには、「なくしもの」ともいえる類型のものがある。持っていたはずのものを、いつのまにか持っていない、という事態だ。それは、どこかに落としたのだろう、ということになるから「おとしもの」[注] ともいえる。
- [注] 「おとしもの」ということばは、むしろ、おちているのをみつけたたちばでいうことがおおいようだ。しかし、もし おちているもののたちばになったとすれば、「おちもの」とか「おとされもの」と言ったほうがよさそうだが、そうはいわない。ひろった人のたちばにたてば「ひろいもの」でもよさそうだが、「おとしもの」というのは、おとしぬしはだれだろうかという意識がともなっているのだろう。
- 2A -
わたしは、ID (身分証明) カード、携帯電話などの貴重品を、ハンドバッグ (いわゆる婦人用のハンドバッグではないが、手持ちの袋もの) にいれている。そこにいれるべきものがふえてしまって、移動するごとになかみがそろっているかいちいち確認していない。気がつくと、持っているべきものを持っていないことがある。「おとした」ばあいもあり、あとの「4B」節でいうような「入れわすれた」のばあいもある。
ありがたいことに、わたしが落とした貴重品は、警察にとどけられていることがおおい。この4年で警察の4か所の窓口に受けとりにいった。25年間までひろげると、そのほかすくなくとも4か所に行った。
- 2A-1 -
最近のある朝、職場についたら手帳がなかった。商品価値はないとおもうが、わたしにとっては貴重品だ。自分の日程を (コンピュータでなく) 手帳で管理しているので、なくしたままだったら、いろいろな約束をおもいだせず、おおぜいに迷惑をかけるところだった。
さいわい、警察に届いているという電話があった。(手帳自体には名まえを書いてなかったが、名刺がはさんであり、複数枚あるのが持ち主の名刺だと推測できたらしい。) わたしが、バス停で、パソコンをとりだして eメールを送受信したとき、手帳も見る必要があってとりだしたのを、おとしてしまったのだ。それをひろって交番にとどけてくださったかたに感謝する。
- 2B -
わたしは、カギ [注1] [注2] のたぐい [注3] をなくすことを、最近1年ぐらいのあいだに4回ぐらいおこした。職場の落としもの担当者のところにとどいていて、トイレでひろわれたと聞いたこともある。事務室の出勤簿のテーブルに置きわすれていたこともある。
- [注1] この語は「鍵」と書かれるのがふつうだとおもうが、わたしは「鍵」といわれると「鍵盤」(キーボード) のキーのことをおもいやすいので、わざと かたかな書きにした。
- [注2] 日常用語の「カギ」は鍵と錠をあわせたしくみをさすが、ここの「カギ」はそのうち「鍵」である。
- [注3] わたしにとっての「カギのたぐい」は、 自宅および職場の研究室のカギ、職場のIDカード (いくつかの戸口を通過するときにつかう)、交通機関用のICカード (改札をつかうときにつかう) である。4年まえからのわたしの無意識のなかでこれは同じグループに属している。電車の駅の改札をとおろうとするとき、うっかりカギをとりだしてしまうことがある。「関門をとおるのに必要なもの」というくくりになっているとおもう。
それを反省して、わたしがおこす なくしもの のひとつの類型として認識でき、原因をつぎのように整理できた。わたしは、カギを定位置 (ハンドバッグのせまいほうの区画) に入れるときめているのだが、カギをつかったあと手ににぎったまま歩きはじめてしまうくせがある。そして、つぎに手をつかう必要が生じたところに落としてしまうのだ。類型化できたので、予防の方法はわかった。いまでもカギをもったまま歩きだしてしまうのだが、歩きだしてすぐに意識して定位置にしまうことがおおくなった。しかしそれでもわすれてしまうこともある。
- 2B-1 -
ある朝、家から出勤しようとしたら、カギたば (家のカギをふくむ) がなかった。これでは出かけられない。昨夜、カギをつかって家にはいったのだから、家のなかにあるはずだ。家についたらものを置くテーブルの上と、そこから落ちたものがあるだろう床を見たが、なかった。5分ほどさがして、前日に着ていたワイシャツ (色は white ではなかったが) の胸ポケットにあった。家についてすぐ手をつかう必要が生じ、手をあけてしかもいっしょに移動できる方法をとっさにとったのだ。
胸ポケットについては、思いあたることがある。わたしがカギ類をなくすことは、いまの職場にきてからたびたびあるのだが、前の職場のときはあまりなかった。
なぜかと考えてみると、前の職場では職場のへやの戸をあけるのに必要なものは IDカード (名刺ぐらいの大きさのプラスチックのカード) だった。しかも、わたり廊下が室内になっていて、(それが必要な季節には) 空調もはいっていたから、わたしは職場内の建物間移動で上着を着る必要がなかった。わたしは職場ではいつも左胸ポケットのあるワイシャツ型の服を着ていた。そこで、出勤しているあいだのIDカードの定位置が胸ポケットだったのだ。家のカギはハンドバッグ類にしまったままだった。いまの職場では、IDカードであける戸とカギであける戸の両方がある。また、建物間の移動で野外に出るので、冬場は上着を着る。それで、ワイシャツの胸ポケットを定位置にする習慣がなりたたなくなったのだ。
- 2B-2 -
反省したはずなのに、もうひとつ大きな失敗をしてしまった。金曜日の夜、雨の中で自宅についたら、カギがなかった。道で落としたのだったら悲劇だが、職場にわすれてきただけだったら喜劇だ。ともかく職場にもどらなくてはならないが、それには電車がうごきだす朝を待たなければならない。さいわい、自宅のもより駅のそばに、宿よりは安く、休めるところがあった。つぎの朝、職場に行ってみたら、カギはあった。わたしが戸をしめるべきへやは2つあって、1つのへやのカギは家のカギといっしょにたばにしてあり、持ち帰る。もうひとつは職場のしかるべきところに置いて帰る。この金曜日には、帰る直前に両方の戸じまりをしたのだが、さきにカギを持ち帰るへやをしめて、そのカギを、カギを置いて帰るほうのへやの中に置きわすれたのだった。けっきょく、出勤する予定がなかった土曜日に職場に行ったので1日の時間を損したが、それだけですんだ。
- 3 -
「なくしもの」のうちには、持ち歩いているはずのものを、途中でわすれることもある。
- 3A -
電車やバスの座席 あるいは駅のホームのベンチなどにすわったとき、通勤途中で外食をするので飲食店にすわったときなど、それから立ちあがるときに、「いつもの荷物」は持つのだが「臨時の荷物」をわすれる。いつもの荷物は、リュックサック (登山用よりは小さい。A4判までの書物やノートパソコンがはいる) とわたしのいう「ハンドバッグ」のふたつとしている。着がえを持つ必要のある日は、着がえを入れる手さげ袋がふえる。また、出勤途中で弁当類を買っていくときは (コンビニの弁当やおにぎり類は頑丈な弁当箱に はいっていないから、リュックサックにつめこまずゆったりと持っていくので) 手さげ袋がふえる。雨がふっていると、さらに、傘がふえる。忘れるのは、この手さげ袋と傘だ。手さげ袋をバスに置きわすれて、バスの営業所に電話してとりにいったことが、この4年のあいだに複数回ある。
- 3A-1 -
ひとまず わすれもの と関係のない背景説明。わたしがリュックサックをつかう習慣は、小学校のときのランドセルからつづいているともいえるが、つぎのような経過をたどっている。小学校のときは、ランドセルに本やノートを入れ、着がえ (「体操服」など) は手さげ袋で持った。中学校では、持ちものについての規則があって、手持ちのかばんを指定された。(とって と 本体のあいだに手の甲をいれることはできるが腕をいれることはできず、とってをにぎって持つしかない。「手さげかばん」とはいいがたいものだった。それを持ったまま歩きつづけるのも、電車の中で立っているのも、苦痛だった。) 着がえはナップサックに入れて背負うことにした。親が側弯症を警戒し、荷物の重さは左右対称にするのがよく、片手に持つよりも背中に背負うのがよい、と指導された。それで、手持ちかばんよりもナップサックをおもにつかうようになった。かばんについてのルールに制約されなくなってからは、本やノートをリュックサックに入れ、着がえを手さげ袋に入れるようになった。
- 3B -
わりあい最近のわすれもの事件。電車の中でいねむりをしてしまい、気がついたらおりるべき駅にとまっていたので、あわてておりたら、座席にハンドバッグを置いたままだった。そのハンドバッグの中がわたしがカギ類をいれる定位置だったから、そのままでは、家についても戸をあけることができないし、そもそも正常な手続きでは鉄道の駅から出ることさえできないところだった。さいわい、わたしはその鉄道路線のわすれものがどこにとどけられるか想像がついて、とりにいくことができた。拾ってくださったかた、とどけてくださったかた、保管し、すぐ返してくださったかたに感謝する。(ちょっとうまくいきすぎたので、反省がたりないかもしれない。)
- 4 -
わたしは小学生のとき「わすれものの多い子」だったが、そのころ多かったのは「教室に持ってくるのをわすれる」という種類のわすれものだった。
- 4A -
「教室に持ってくるのをわすれる」のうちには、前日までに用意しておくべきものを用意していない、という部類のものもある。子どもだけでは用意できず、親にたのんでおかないといけないのに、たのまなかったこともあった。
いまでも、よくやるが、「もの」は物体よりもパソコン上の文書ファイルのことが多い。その日が期限であることを指摘されてはじめて気づく。まわりの人のふるまいはあまり参考にならない。生徒にいっせいに出る課題とちがって、教職員にそれぞれ出る課題の期限を知っているのは、課題を出した人と出された人だけなのだ。
- 4B -
「教室に持ってくるのをわすれる」のうちには、家にあるのに、かばんに入れわすれる、という部類のものもある。
これも、ちかごろもよくやる。たとえば、パソコンのACアダプターや、携帯電話の充電器を、コンセントにつないだまま、家においてきてしまい、職場や出先で電気がたりなくなることがある。
ちょっとおおごとなのは、ノートパソコンを、家 (あるいは職場の本拠地) でつかっていて、つぎに職場 (あるいは出先) でつかうためにリュックサックにしまうべきなのに、つかっていた状態のままおいてきてしまったことだ。さすがに移動途中で気づくのだが、時間を気にしながらとりにもどったことが、複数回ある。