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ニッポニウム -- まちがっていたが、まっとうな科学

113番元素が話題になっている。この件は別に書きたいと思うが、これがニッポニウムと呼ばれることはないだろう。ニッポニウムということばは科学の歴史、しかも思い出す価値のある歴史の一部となっているからだ。

小川正孝(1865-1930)は1908年に43番元素を発見したと発表し、nipponiumと命名した。しかし、その結果は再現されなかったので、43番元素は「未発見」という認識にもどった。小川はその後も研究を続けた。息子たちが関連分野の研究者になったおかげもあって、その資料(とくにX線写真乾板)が残っていた。吉原賢二氏が解析しなおしたところ、75番元素レニウムの特徴に一致した。(吉原氏が2003年に日本語論文、2004年に英語論文を発表した。梶・吉原2003の解説参照)。

75番元素はドイツのWalter Noddack, Ida Tacke, Otto Bergによって発見された。論文は1925年に出た。名まえはライン川にちなんでrheniumとなった。彼らは同時に43番元素も発見したとしてmasuriumと名づけたのだが、こちらは再現されず発見とは認められなかった。

43番元素は1936年にイタリアのCarlo PerrierとEmilio Segrèによって、アメリカのLawrence Berkeley研究所のサイクロトロンの実験廃物の中から発見された。名まえは結局technetiumとなった。知られている同位体はすべて放射性である。 その後、自然界からも発見された(発見が1961年、論文が1962年らしい)が、ウランの自然核分裂の産物と考えられている。

吉原氏の再解析によれば、小川正孝は、それ以前の43番元素を発見したという報告が既知の元素の混合物を誤認していたのと違って、確かに当時未発見の元素を同定したのだ。しかし、原子量を判定するところでまちがえてしまったのだ。

当時、周期表という枠組みが確立したところだった。Mendeleevの1869年の著作から約40年、Ramsayが希ガスの列を追加してから約10年だった。その穴を埋めるのは(学問の枠組みを変えることではなく)Kuhn流に言うと通常科学のパズル解きだと言える。しかしパズルの中でも43番元素は極端にむずかしい升目だった。あとでわかったことによれば、天然物の分析からは見つからないのが(ほぼ)正解だったのだ。そして、周期表の同じ列にあり化学的性質がよく似ている75番元素も未知だった。

なお、世界の中での日本という観点で見ると、結果として失敗だったものの、日本が世界の科学(ここでは化学)に貢献する能力をもっていたことを示すと言えると思う。ただし、結果としてレニウムであった元素の抽出は小川がロンドンのRamsayのもとに留学中に始めた仕事だった。帰国後にも実験を続けてその成果を含めて論文を出したのだから日本の研究成果にはちがいないのだが、日本の独創性というよりは、日本が世界の科学界の一部をなすようになったことを示すと言える。X線回折を使えるようになったのが1930年だったため75番元素の同定がドイツの研究者よりも遅れたことは、当時の日本の世界の科学界の先端からの遅れの度合いを示すとも言える。

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さて、このごろ別の文脈で、「科学の知見について、事実として正しいことと、まっとうな科学の一部であることとは必ずしも同じではない」という主張をする必要を感じている。その議論を正面からしようとすると、「正しい」という表現の意味を考えなおさないといけないので、別の機会にしたい。ここでは「ニッポニウムの発見は、事実としてまちがっていたが、まっとうな科学の一部であった」という例として述べておきたい。事実としてまちがっていることがわかった知見は、狭い意味の科学的知識の体系からは切り離される。しかし、広い意味の科学的知識の体系は、そういう試行錯誤の経験も含めて成り立っているのだと思う。

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ところでIda Tacke (1896-1978)はWalter Noddackと結婚して1927年の論文ではIda Noddackの名まえを使っている。そして、こちらの名まえで、科学史上もっと重要なことがら(学問の枠組みの転換)にかかわっている。1934年、Ida Noddackは、Fermiたちによるウランに中性子をあてる実験の報告を見て、鉛よりも軽い元素ができていることを示唆した。しかしこの考えはほとんどの科学者に5年ほど認められなかった。当時の科学者の共通認識としては、元素は放射性崩壊によって変わりうるという認識枠組みはできていたものの、それはα線β線中性子などの相対的に小さい部分の放出に限られ、核分裂は想定外だったのだ。(わたしはAnderson, Barker, Chen (2006)の本[読書ノート]で知ったのでその著者たちの観点にとらわれているかもしれない。) 「核分裂がありうる」という点にしぼれば、これは正しい認識が正しいと認められるのが遅れた例になる。しかしむしろ、認識枠組みが変わるまでにはかなり多くの知見の累積と知的試行錯誤が必要だった、というべきかもしれないと思う。

文献