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日本語のローマ字つづりかたについての国の審議会のうごきと、それについてかんがえること (2)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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[2024-02-24 の記事] のつづき。

2024年 3月 11日、また、国の審議会が、ローマ字のつづりかたをヘボン式を標準とするように変えようとしている、という趣旨の報道があった。

文化審議会 の 国語分科会 の会議があったのだ。

そのページには、「資料2 国語課題に関する今期の審議経過のまとめ(案)」の PDF ファイルがある。国語課題小委員会 からの報告文書が別にみあたらないので、おそらくこれが実質的に 国語課題小委員会 の 2月15日の会議をふまえたまとめで、そのまま上位の 国語分科会 の決定の原案としてもちだされたのだろう。ざっと読んでみて、国語課題小委員会の 2月15日のはじめに提示された文書と、あまり変わっていない。「訓令式が定着していない」という指摘はあるが、この文書の趣旨としては、ヘボン式を標準とするべきだという主張は読みとれない。

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審議会ではなく日本社会の現状をみれば、訓令式 対 ヘボン式 の対立にかぎれば、ヘボン式のほうがよく通用していることは無視できない。

ひとつには、国の行政が、パスポート発行の際に、人名をヘボン式 (1954年訓令の第2表というべきかもしれないが) で書くことを、ほぼ強制している。(そこで標準からはずれる表記のうちどんなものが許容されているかという問題もあるのだが、わたしはしらべていないので、ここではのべない。)

また、鉄道の駅名や、道路標識などにみられる地名のローマ字表記も、ヘボン式がふつうである。とくに JR の駅名はヘボン式であることはたしかだ。

ただし、看板や地図での地名のローマ字表記は、「日本語ローマ字で書く」というよりは「英語で書く」という態度で書かれている可能性もある。とくに、国の河川行政による河川名の看板で「利根川」は「Tone River」だが「荒川」は「Arakawa River」とされている、ということが話題になったが、(ここではそのようなちがいの話題にはふみこまないことにして) このばあい、普通名詞でもある「川」は英語の「River」におきかえられているので、固有名詞の部分も、日本語のローマ字表記というよりは、英語のなかに日本語の単語をとりこむための表記としてかんがえられているにちがいない。

国土地理院は、地名のローマ字表記について、 1984年に訓令式を標準ときめたのだが、あまり徹底できず、その後のみなおしで、2005年にあたらしい標準をつくり、ヘボン式を採用した。ただし「ン」はつねに「n」でしめす。「ン」と母音や「y」とのくぎりはハイフンでしめす。長音記号は原則として省略するが、必要なときは山形をつかう。

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わたしも、これだけ普及しているヘボン式を、許容する必要があるとおもう。

しかし、1990年以前ならば、ヘボン式を標準ときめてもよかったかもしれないが、いまは、「情報機器への入力に用いられるローマ字入力」の場で、訓令式と同様な si, ti, tu などのつづりをつかいなれていて、日本語のローマ字表記としてもそう書きたくなる人もおおいだろう。

中国語の ピンイン 対 ウェイド式、韓国語の 文化観光部2000年式 対 マッキューン・ライシャワー式の ばあいは、一方の方式でつづると、他方の方式ではちがった音、したがってちがった語をあらわしてしまうことがあり、混在はできない。しかし、日本語の 訓令式 対 ヘボン式 のばあいは、そのようなことがほとんどなく、混在してさしつかえない。(外来語や擬音語にだけあらわれる「ティ」「トゥ」を「チ」「ツ」と区別したいときなど、こまかい問題はあるが。) この事情のちがいは、日本語の子音の無声音と有声音の対立はラテン語のばあいと同様だが、中国語や韓国語の子音の無気音と有気音の対立はラテン語にはないことからきている。

わたしには、1954年訓令は、混在を想定していたようにおもわれる。第1表と第2表をまぜてつかっても、読みまちがいのおそれはほとんどない。第1表の si, ti, tu と 第2表の shi, chi, tsu を同一視しさえすればよいのだ。

そして、たとえば、パスポートに書かれた名まえが Chiba であり、本人の署名が Tiba であったとしても、照合がなりたつとするべきだとおもう。ひとりの人物の名はいつも同一の文字列で書かれなければならないという原則を捨てるのだ。そのような同一視が日本の法律で公認されたとしても、外国で通用させるのはむずかしいだろうが、日本政府が説明文書を発行すればみとめてくれる国もあるかもしれない。

理屈のうえでは1954年訓令のままでもよいのだが、ヘボン式が (相対的には) 普及している現状にあわせて、第1表と第2表 (の前半) との役わりをいれかえた新標準をつくったほうがよいかもしれない。そのばあい、なるべくならば、「訓令」「第1表」「第2表」という用語を別のものにかえてほしいとおもう。たとえば「202X年ローマ字表記標準」「主表」「副表A」として、「主表」をヘボン式の表、「副表A」を訓令式のヘボン式とちがうところの表とするとよいとおもう。

なお、1954年訓令の第2表の後半は、日本式の訓令式とのおもなちがいなのだが、これは同一視されるべきつづりではない。訓令式 (第1表) では区別されない「ぢ」「づ」「を」「くゎ」「ぐゎ」を「じ」「ず」「お」「か」「が」と区別したいときのつづりなのだ。現時点で現代語を書くには、「くゎ」「ぐゎ」は不要になったとおもうが、「ぢ」「づ」「を」は現代かなづかいで (特殊なばあいだが) つかわれており、「情報機器への入力に用いられるローマ字入力」では di, du, wo でそれが呼びだされるのがふつうだから、di, du, wo も許容する必要があるだろう。これは「たとえば」の表現では「副表B」のようにして訓令式と区別しておくべきだろう。

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ヘボン式のつづりかたのうちには、1954年訓令の第2表に採用されなかったところがある。その部分について、おおまかにはヘボン式にしたがっている人のあいだでも、不統一がある。

  • 「ン」を、m, b, p のまえで「m」とする。(1954年訓令によるならば、第2表を採用したとしても、いつも「n」である。国土地理院 (2005年) は、いつも「n」とするほうを採用している。)
  • 「ン」のつぎに母音または「y」がくるときの分離記号として、ハイフン (「-」) をつかう。(1954年訓令によるならば、第2表を採用したとしても、アポストロフ (「'」) である。国土地理院 (2005年) はハイフンを採用している。)
  • 「ッチ」は「tchi」とする。(1954年訓令にしたがうならば、第2表を採用したばあい、「cchi」となるはずである。ただし訓令の文章を書いた人がこの状況をかんがえるのをわすれたかもしれないとおもう。国土地理院 (2005年) は tchi としている。)

ここにあげた件について、わたしは国土地理院の判断が妥当だとおもう。「ン」については、たとえば (東京の)「日本橋」は、発音に忠実には nihombashi のほうがよいかもしれないが、「日本」と「橋」からなっているととらえるならば「日本」は nihon という形をかえないほうがよいだろう。

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長音については注意が必要だ。訓令式でもヘボン式でも、長音を母音字のうえに 山形 (フランス語でいう アクサン シルコンフレクス accent circonflexe) または横棒 (ラテン語でいう macron) をのせた形であらわすことにしているが、補助記号が省略されてしまうことがおおい。とくに、「英語で書く」という態度のときは、英語のアルファベットには補助記号がないから、補助記号なしが「ただしい」とされてしまいがちだ。

ところが日本語の語をあらわすうえでは長音と短音を同一視してはいけない。道路標識で、滋賀県の「湖南」と「甲南」がどちらも Konan となっているものがあるそうだが、これでは漢字を読めない人への道案内の意味をなさない。

また、ローマ字の長音の約束は 現代かなづかいと直接対応しないので、「情報機器への入力に用いられるローマ字入力」の長音の表記はローマ字のつづりかた標準とちがうものになる。

イの長音は、(かな表記が「いい」であっても「イー」であっても) 長音記号をつかわず母音字をかさねる ii とされており、それでいいだろう。

ア、ウの長音は、a, u に長音記号をつけるか、aa, uu とするかのどちらかだろう。

日本語でエの長音とも感じられる音の大部分は、漢字音で、現代かなづかいでは「えい」、ローマ字では訓令式でもヘボン式でも ei と書く習慣ができている。和語で「ええ」の形になるもの (「おねえさん」など) は、数すくないが、e に長音記号をつけるか、ee とするかをきめる必要があるだろう。外来語で「エー」の形になるもので、原語つづりではなく日本語の語として書きたいばあいについてもきめておく必要がある。「エー」「エイ」の両方がありうる語は ei でよさそうだが、そうでないものは エの長音としてあつかう必要がある。

問題はオの長音だ。その大部分は漢字音で、現代かなづかいでは「おう」とされているので、「情報機器への入力に用いられるローマ字入力」では ou だが、ローマ字のつづりかた標準では o の長音とされている。和語では「おお」であるもの (「おおきい」「こおり」など) もあるが、「おう」であるものもある。(かなで「おう」の形になるもののうちには、o の長音なのか、o と u がたまたまならんだものなのかの判断がむずかしいものもある。) 外来語の「オー」のうちには「オウ」の形もありうるものもあるが、オの長音でしかありえないものもある。オの長音の標準的なかきかたを、o に長音記号をつけるか、oo とするか、きめるべきだが、どのようにきめたとしても、それからはずれるつづりをつかう人がいるだろう。どこまで許容するかが問題だとおもう。

なお、長音記号については、現状で見られるのは横棒のほうがおおいようだが、国土地理院 (2005年) は 山形を採用している。わたしは、これまで駅名などでなじんだ形を変えることになるが (また、わたしの感覚では横棒のほうが長音にあっていると感じるので、その点は残念なのだが)、これからは、山形を採用するべきだとおもう。それは文字コードのつごうである。山形のついたアルファベットは、西ヨーロッパでつかわれている Latin 1 (ISO-8859-1) 文字セットにふくまれており、それを表現できるフォントはおおい。また、ウェブページを記述する HTML 言語では、「& o c i r c ;」 という文字列 (ただし空白をつめる) で o に山形がついた文字をしめすことができる (この circ は circonflexe であって circle ではない)。 上に横棒 (macron) がのった文字を呼びだすのはこれよりだいぶむずかしい。

来年度の文化審議会 国語分科会のおもな課題は、この長音の標準をどうするかになるだろうとおもう。