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日本語のローマ字つづりかたについての国の審議会のうごきと、それについてかんがえること

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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2024年2月15日、つぎのような見出しの報道があった。(有料記事なので、わたしは本文のはじめのほうだけを読んだ。)

書きだしはつぎのようになっている。

ローマ字のつづり方について、原則として「訓令式」を用いるよう示した内閣告示が約70年ぶりに改定される見通しになった。英語のつづりに近い「ヘボン式」が浸透している実態に合わせる。文化審議会国語分科会の国語課題小委員会は15日、「しかるべき手当てを行うべきである」とする報告案をとりまとめた。

これにはちょっとおどろいて、審議会の記録を見た。つぎにのべるように、審議会は、すくなくとも2月15日の会合の開始の時点までには、ヘボン式を標準にしようという明確な主張をしていない。朝日新聞の記者は、審議会の公式発表ではなく、委員か事務局員の主観のはいった見通しを聞いて記事にしてしまったのだとおもう。

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日本語に関する政策は、むかし (わたしが知っているのは1970年代) は、文部省のもとにつくられた「国語審議会」の審議をふまえてつくられてきた。2001年の省庁再編以後は、審議会は各省庁それぞれひとつにまとめられて、その下に分科会があるという形になっている。国語政策は文部科学省の下の文化庁の担当とされているので、文化審議会の下に国語分科会がある。そのウェブサイトはここにある。

国語分科会の議事のページをみると、いちばんあたらしい記録は2023年9月29日の会議だ。
この分科会の下で現在うごいている小委員会は、国語課題検討小委員会と日本語教育小委員会だ。国語課題小委員会の議事のページはここにある。

いちばんあたらしい記録は 2024年2月15日の会議だ。議事録はまだなく (前回の1月23日のものもまだなく)、会議の際に委員にくばられた資料のPDFファイルがある。

小委員会の2月15日の配布資料の「[参考資料5] 国語課題小委員会(23期)における審議の内容」をみると、2月15日が2023年度の小委員会の最後の会合で、その結果が国語分科会の3月11日の会合で報告されるようだ。そこで報告されるおもな内容は、「[資料4] 今期における審議経過のまとめ(案)」をもとに、この日の議論をふまえて改訂されたものだろう。

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の最初にある罫線でかこまれた文章がこの文書のまとめと思われる。その内容はつぎのようになっている。

第 23 期の文化審議会国語分科会は「ローマ字のつづり方に関する検討」を進めてきた。その審議の過程で、将来にわたって国語におけるローマ字が適切に用いられ、円滑なコミュニケーションの実現に資するよう、しかるべき手当てを行うべきであるという認識に至った。現状を更に調査しよく整理した上で、これからの社会におけるローマ字使用の在り方について、改めて考え方を示す必要がある。

朝日新聞の記事の「しかるべき手当てを行うべきである」はここからの引用にちがいないが、この「資料4」の文章は、「ヘボン式軸に」のような主張をしてはいない。

これをつたえるならば、日テレNews (Yahooのサイトで見た) のつぎの記事のほうが妥当だとおもう。

[前略] こうした状況を受け、現在、文部科学省の文化審議会の国語課題小委員会では、ローマ字表記について議論が行われていて、「訓令式かヘボン式かということだけでなく、人々にとって使いやすいものなのか、説明しやすいものなのかというところを考えていく必要がある」などとして、どのようなつづり方を主とするのが適切か、検討が進められています。

文部科学省は今後、外来語表記とローマ字つづりに関する意識調査を行う予定で、この調査の結果も踏まえつつ、来年度以降にローマ字表記に関する考え方を取りまとめたい方針です。

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小委員会の2月15日の

を見る。

  • ○ これまでにおおよその共通認識や理解が図られている点
  • ● 今後も検討を継続すべき事項

という記号つきで箇条書きになっている。

「I. 将来に向けてローマ字はどのように用いられていくのかには、つぎの3つの項目がある。いずれも○印がついており、a, b, c はついていないがわたしの説明のつごうでつけた。

  • a. ○ 固有名詞を中心に使用
  • b. ○ 主に日本語を母語としない人々への配慮として使用
  • c. ○ 情報機器へのローマ字入力

「VI. 情報機器へのローマ字入力との関係に配慮するか」にはつぎの3つの項目がある。

  • ○ 直接の審議対象とはしない
  • ○ ローマ字入力とつづり方との間にある混同等を整理する

したがって、小委員会の議論の主要対象は、I でいう a と b のためのローマ字のつづりかたにしぼられたのだろう。

「II. どのような「つづり方」にするのが望ましいか」にはつぎの2項目がある。d, e はここでの説明のつごうでつけた。

  • d. ○ 現実的なものとすること(分かりやすく、実際に使いやすく、また、使われるものを示す。)
  • e. ● 音韻対応性に考慮されたものとすること(日本語の基本的な音韻にできるだけ過不足なく対応し、体系的に分かりやすく示す。)

そして、d のうちの箇条書きの第1項目としてつぎのように書かれている。

現行の内閣告示では、第1表に示されたいわゆる訓令式を用いることを原則とし、学校教育等のよりどころとなっている。しかし、一般の社会生活においては主にいわゆるヘボン式が用いられている。今後、仮に社会におけるローマ字表記を第1表のつづり方に改めて統一しようとする場合には大変な困難が予想され、現実的とは言えない。

「現行の内閣告示」とは、1954年の内閣告示「ローマ字のつづり方」であり、文化庁のつぎのページにある。

これには「第1表、第2表」がある。この「第1表」のつづりかたが「訓令式」として知られている。「第2表」の前半はヘボン式の訓令式とちがう主要な点、後半は日本式の訓令式とちがう主要な点をあげたものである。第2表の前半を採用することは、ほぼヘボン式を採用することになる。(ただし、ヘボン式には明確な標準はないが、JRの駅名などにつかわれている方式は第2表に採用された以外にもいくつか訓令式とちがうところがある。「資料 3」のIII にでてくる「撥音「ん」の表記において n と m を区別するもの」はそのひとつである。)

(なお、1954年の告示よりまえに、1937年の内閣訓令があるのだが、わたしはその内容をまだ確認していない。いま「訓令式」を論じるときはそれにさかのぼらず 1954年告示の第1表を論じればよいとおもう。)

2月15日の資料3の II の d についている○を重視し、その下の箇条書きの内容まで「これまでにおおよその共通認識や理解が図られている」とみるならば、小委員会の議論では「訓令式に統一することは困難である」、また、「一般の社会生活においては主にいわゆるヘボン式が用いられている」という合意がえられているとみてよいのかもしれない。

しかし、他の項目をみると、●が多い。結論をだすまでにさらに議論が必要だとして、次年度にひきつごうとしていると読める。(2月15日の議論によって○にかわった項目がいくつもあるのならば別だが。)

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あらさがしになるかもしれないが、わたしは、まず「統一する」必要があるのか、という疑問をのべたい。

訓令式とヘボン式とのあいだには、日本語の (外来語や擬音語にかぎってでてくる「ティ」「トゥ」などを例外として、近代日本語本来の音韻とかんがえられるものについては) 一方でひとつの音をあらわすつづりが他方でちがう音をあらわすような関係になることが、ほとんどない。

(中国語のピンインとウェイド式のあいだでは、このような問題が頻繁におこるので、両方を不用意にまぜると情報伝達の目的をはたせなくなる。日本語に訓令式とヘボン式があるのも、成立の事情はにているのだが、現状の構造はおおきくちがう。これはおそらく、日本語の音韻の構造はローマ字がもともと記述しようとしたラテン語の音韻の構造とだいたい同じだが、中国語の音韻の構造はだいぶちがうからだ。)

同じ音韻を訓令式で書かれてもヘボン式で書かれても「どちらもただしい」「同意語である」とすればすむことがおおいとおもうのだ。

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もうひとつ、「一般の社会生活においては主にいわゆるヘボン式が用いられている」という事実認識がただしいかどうか。1970-80年代ならば、ただしかったかもしれない。

「情報機器へのローマ字入力」でおおくつかわれる方式は、かな書きと直接対応する方式である。「資料 3」の VI でもふれられているように、助詞の「は、へ、を」と長音については、ヘボン式と訓令式のどちらの標準ともちがう方式をつかわなければならない。そのほかの場面では、訓令式と同様な形もヘボン式と同様な形のどちらでもよいことがあるが、てまがすくないほうがこのまれるので、「ジャ、ジュ、ジョ」は (ヘボン式の) 「ja, ju, jo」をつかい、「チ、ツ」は (訓令式の) 「ti, tu」をつかう人がおおいとおもう。

そして、「固有名詞を中心に使用」や「主に日本語を母語としない人々への配慮として使用」の場面でも、「情報機器へのローマ字入力」でつかいなれた方式をつかってしまう人がめずらしくない。

「日本ローマ字会」という団体が、1999年に「99式」という標準案をしめした。それは、訓令式を修正して、とくに長音の表記を かな との直接対応にちかづけたものである。日本ローマ字会はなくなってしまったが、いま標準をきめなおすならば、このような議論も視野にいれるべきだとおもう。

ただし、99式は訓令式と同じつづりが別の音をあらわす可能性がいくらかあり、「どちらもただしい」というあつかいではすみそうもない。

日本語のローマ字表記は、ヘボン (Hepburn) 以来150年あまりの (日本式、訓令式をふくむ) ローマ字つづりの伝統をひきつぐか、かな書き (75年以上つかわれておりローマ字よりもゆらぎのすくない「現代かなづかい」) からの翻字を基本とするかの、わかれみちにある、と わたしはおもう。