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韓国語、タイ語、中国語などのローマ字表記について (わたしが知っていること)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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わたしの日本語ローマ字表記についてのかんがえは、外国でそれぞれの自国語をどのようにローマ字表記しているかについて見聞きしたことを参考にしている。

わたしは、言語や文字を専門にしているわけでもないし、文字づかいについて調査しているわけでもない。地球科学者として、おもに 20-00年代 (2001-2010年ごろ) に、国際共同研究に参加して、会議に出席したり、現地を見学させてもらったりした経験があるだけだ。そして、現地の共同研究者やそのスタッフとのやりとりはほとんど英語によっていて (東アジア人どうしで会話すると単数複数や冠詞などがめちゃくちゃな英語になってしまい、いざ文章を書くときにこまるのだが)、わたしは現地語の会話ができないままである。ただし、とくに地名については、英語の文章中に出てきた地名を現地国語の地図で確認したいことがあるし、地図自体にも興味がある。わたしは、外国にいくまえにそこの言語の入門書の発音と文字の初歩のところだけは読んで、地名索引をなんとかひける程度まで文字になれるようにしている。

帰ってきてから外国語の情報を読みかえすかどうかは気まぐれで、わすれてしまうことがおおい。文字づかいの標準を知りたいときはウェブ検索するが、権威ある文書にであえるとはかぎらない。いま検索しながら情報を整理しているが、そこでは Wikipedia をかなりたよりにしている。Wikipedia の記述を信頼するかどうかの判断は直感になってしまっており、ただしくないかもしれない。

しかし、日本語圏に、外国語のローマ字表記の知識を わたしの程度にでも もっている人は あまりおおくないだろう、ともおもう。地球科学研究のために直接間接に国のおかねで出張させてもらった恩を、日本語圏のみなさんにかえすべきだろうとおもうこともある。

そのようにかんがえて、不確かな知識の断片にすぎないが、思いだしたことを、とりあえずのウェブ検索でおぎなって、書きだしておく。

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韓国とタイの状況は、にたところがあるとおもう。どちらも、自国語の文字が表音文字で、国語教育はその文字でおこなわれている。ローマ字が必要になるのは、外国や外国人にかかわるときだ。わたしが見たとき (20-00年代)、公的機関による地名のローマ字表記には、国の標準の方式がつかわれていた。しかし、人名や会社名・ブランド名などには、その標準がつかわれていないことがおおかった。

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韓国については、わたしのおもな知識源は、2004 年にプサン (釜山) で学会の会合に参加したときの経験だ。わたしはプサンは Pusan だとおもっていたのだが、幹線道路の案内標識、地下鉄の駅名、会場の名称など、その地名が書かれているときはつねに Busan だったのでおどろいた。この地名にかぎらず、公共機関による地名のローマ字表記は、一定の方式をきちんとまもってされていた。

いま Wikipedia 日本語版の「朝鮮語のローマ字表記法」などの項目をたよりに整理してみると、いま韓国の公共機関が地名をかくのにつかっている方式は「文化観光部2000年式」だ。

それよりまえにいくつかの方式があるが、英語圏でよくつかわれてきたのは「マッキューン (McCune) - ライシャワー (Reischauer) 式」(M-R式と略す)で、ふたりのアメリカ人 (ライシャワーはのちに日本駐在大使になった人) が 1937年に考案し 1939年の出版物でしめしたものだ。ハングルからの転写ではなく 朝鮮語 (韓国語) の発音を表記する体系としてかんがえられたものだが、いくらか英語による近似のようなところがある。日本語のばあいのヘボン式ににた性格のものだとおもう。

大韓民国政府ができてから、文教部 1949年式、1959年式、1984年式がつくられた。1959年式は文化観光部2000年式にちかく、1984年式は M-R 式にちかいらしい。たとえば、プサンの語頭の子音は 無声音・無気音の [p] なのだが、これを M-R式や1984年式では p (有気音のばあいは補助記号をつけて「p'」のようにする)、1959年式や2000年式では b (有気音を p) とかく。韓国語には有気音と無気音の区別があるが、基本的に有声音と無声音の区別がないので、ラテン語の有声音と無声音を区別する対立を無気音と有気音の区別に転用したほうが補助記号がすくなくてすむ。しかし、西洋の言語を想定してすなおに読んだ音からはとおくなる。 (中国語のピンインと同様な事情である。) 1984年式には反対意見があって世の中の表記は不統一だったらしい。2004年にわたしが見たのは、ちょうど2000年式が公的機関に徹底したところだったのだろう。

民間の会社名やブランド名は、かならずしもこの標準にしたがっていない。有名な例は自動車メーカーの ヒョンデ (漢字では「現代」) が「Hyundai」としていることだ。2000年式ならば「Hyeondae」となるだろう。2000年式で「eo」とかかれるのはオにちかいが「o」とは区別される音 (国際音声記号では [ɔ] ) で、これを英語で [ʌ] と発音される u であらわしたらしい。「ae」は エのような音 (国際音声記号では [ε] ) だが、ハングルの文字を要素に分解すると a + i であるし、「代」の母音はふるくは ai であったという意識がのこっているのだろう。

人名については、わたしが知ることができた例が、英語で研究発表をする人が自分の名まえを書くばあいばかりなので、韓国人一般からはかたよっているかもしれない。そのかぎりでは、2000年式にはまったくしたがっておらず、韓国語のローマ字表記というよりも、英語のなかにとりこまれるための形をえらんでいるようにおもわれた。

例として、わたしが直接会った人ではないが、IPCC (気候変動に関する政府間パネル) の議長を2015年から2023年までつとめた人のなまえをあげてみる。英語では「Hoesung Lee」とされている。ハングルでは「이회성」、漢字では「李會晟」だそうだ。(漢字はちがうがハングルでは在日韓国人作家の「李恢成」と同じになる。) 「성」(晟) の「ㅓ」は 2000年式では eo、M-R 式では ŏ だが、Lee さんは「u」をつかっている。これは Hyundai のばあいと同様だ。

そして、family name に特有の習慣がある。「李」は「イ」と発音されるので、2000年式では「I」となる。ただし人名のばあい 1文字ではわかりにくいので「Yi」とすることが奨励されているそうだ。もし「リ」(리) ならば (北朝鮮標準語のほか、韓国の方言にもあるそうだ) 「Ri」となる。しかし、わたしの知るかぎりの韓国人の李さんのほとんどが、英語のなかでは「Lee」としている。 Lee がすでに英語の family name にあるからにちがいない。同様に 朴 さんも、2000年式の Bak でも M-R式の Pak でもなく「Park」としている人がおおい。

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タイについてのわたしの知識の源は、2002年から2011年まで複数回訪問したときの経験だ。こちらも、道路の案内標識でも、気象や川の観測の地点名でも、公共機関による地名のローマ字化は一定の方式にしたがっていた。その方式は、タイ王立学士院 1999年式か、そのひとつまえの 1968年式だった。

タイ王立学士院1968年式や1999年式は、タイ文字からの転写ではなく、発音を記述するものである。(タイ文字はインドの文字体系をひきついでおり、古代インドで発音が区別されていた文字が、現代のタイ語での発音が同じになってしまっても区別されていて、パーリ語起源の仏教用語やサンスクリット語の要素からくみたてられた学術用語につかわれている。いわば、日本語の歴史的かなづかいににた状況になっている。ローマ字表記はそれをひきつがない。) さらに、(かつての1939年式では補助記号をつかって区別したのを、補助記号なしの簡単な形にしたので) タイ語の音韻としては区別されているものがローマ字表記では区別されなくなることがある。

  • 声調が区別されない。
  • 母音の長短が区別されない。
  • オに近い音の2つの母音 (国際音声記号では [ɔ] と [o]) がいずれも「o」となる。
  • ウに近い音の2つの母音 (奥舌の[u] と中舌の [ɯ]) が、1968年式ではいずれも「u」となっていた。1999年式では [ɯ] が「ue」として区別されるようになった。
  • 有気音には「h」をつけて無気音と区別するのが原則だが、「ch」は無気音にもつかい有気音と区別されない。

したがって、タイ語の地名などの正確な発音だけでなく、日本語で近似するのに必要は情報さえ、ローマ字つづりを見ただけではわからず、タイ文字でのつづりを確認する必要がある。[ 2018-06-29 (タイの地名の) 母音の長短を書きわけるには ] の記事に書いた。

1968年式と1999年式のちがいには、わたしは 1968年式で「muang」、1999年式で「mueang」とつづられる語について深くかかわることになった。別ページ [たくさんの府中] に書いた。(観測地点番号表は 1998年のもの、地点名の意味がわかってきた出張は 2002年のことだった。)

人名については、わたしが知ることができた例が、英語で研究発表をしたり文章を書いたりする人が自分の名まえを書くばあいにかたよっている。そのかぎりで、王立学士院式とちがい、タイ文字からの転写によっていると思われるものがおおかった。伝統的・宗教的背景のある要素を思いおこせる形がこのまれるのかもしれない。わたしはまだ確認できていないが、第二次世界大戦よりまえの国定のローマ字つづり方式のもとでタイ文字からの転写でローマ字表記されたものが生きのこっているのかもしれない。

そのほか個別の名まえごとの習慣があることもある。気づいた例は (もとは人名だが) 大学名になっている Chulalongkorn の「korn」の部分で、ここは「コーン」のような発音で「r」の音はないので 王立学士院式では「kon」になるはずだが、おそらくタイ文字のつづりに「r」にあたる字があるのでこうしている。英語でも「or」とかいて「オー」の長音になることがあるのでふしぎにはおもわれない。

公的機関以外のローマ字つづりの方式について、わたしはつかんでいない。ある音楽 CD の曲名がローマ字で書かれているのを見たら、あきらかに王立学士院の標準ではありえないつづりがみられたが、同じ語のタイ文字つづりをたしかめていないので、どんな方式によっているのかわからない。ローマ字転写というよりは、きこえる音を英語の音で近似したものだったのかもしれない。

なお、外国人のタイ語学習用には、アメリカの言語学者 Mary Haas による方式がつかわれることがおおい。タイ語の音素を区別するのにはローマ字ではたりないところを国際音声記号 (IPA) の文字でおぎなったものといえるだろう。長音を母音字をかさねてしめす。

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中国語のピンイン (「漢語拼音方案」) は、中華人民共和国政府が 1958 年に制定したものだ。

その趣旨は中国国内むけにあったようだ。中国では、漢字は全国共通だったが発音はまちまちだった。北京音を基本とした「普通話」を普及させる必要があった。中国には、漢字の部分の形をつかった「注音符号」という発音記号はあったけれども、中国政府はそれよりもローマ字がよいと判断したのだろう。

ピンインよりまえに、中国語のローマ字つづりかたはなんとおりかあった。英語圏でよくつかわれていたのは ウェイド (Wade) 式だった。

中国でピンインが制定されてからも、アメリカ合衆国の気象庁に相当するところで整理された世界の気象観測地点表の中国の地点名はウェイド式で書かれていた。中国から英語圏に移住した学者は自分の名まえをウェイド式で書いていた。

(いくつかの古くから知られた地名はウェイド式ではなくその地名ごとの慣例のつづりによっていた。たとえば「北京」 (ピンインでは Beijing, ウェイド式では Peiching) は Peking または Pekin と書かれていた。)

1970年代、アメリカ合衆国や日本などが中華人民共和国政府を承認したころから、ピンインは国際的にひろくつかわれるようになった。中国の地点名や、中国人の著者名は、しだいにピンインがふえ、いまではほとんどピンインばかりになった。

ピンインとウェイド式のいちばん大きなちがいは、有気音と無気音の区別で、上の3節に韓国語のばあいについて書いたのとほぼ同様だ。

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台湾では、国語教育用には注音符号が、外国とのかかわりではウェイド式がおおくつかわれてきた。

たとえば「高雄」という地名はウェイド式で「Kaohsiung」と書かれている (ピンインならば「Gaoxiong」となる)。この「hs」は、「sh」とにているがちがう音をかきわけるウェイド式独特のつづりだ。ただし、「チ」のような音にも同様な 2種類があるのだが、いずれも「ch」となっており、「hc」のようにはしていない。
(「高雄」という地名は、もともと「タカウ」のようなものだったらしく、清朝時代の中国人が「打狗」という字をあてたが、日本人が「高雄」にかえた。中華民国にひきつがれたとき、音ではなく漢字表記のほうがいきのこることになった。)

2009年から、標準としてはピンイン (「漢語拼音」) が採用されている。しかし、地名などの表記はウェイド式やその他の慣例がつづいていることも多い。

(そのまえ 1998年に「通用拼音」というものが制定された。これは漢語拼音とにた体系だが具体的な表現にはちがいがある。たとえば「中」が、ウェイド式では chung、漢語拼音では zhong だが通用拼音 では jhong である。これはあまり普及しなかったようだ。)

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中華人民共和国では、1958年の漢語ピンインにつづいて、漢語以外の少数民族の言語にもそれぞれピンイン (ローマ字表記) がさだめられた。それぞれの言語の音韻体系をかんがえてくみたてられているが、文字の選択は漢語ピンインにあわせたところがある。

たとえば、新疆ウイグル自治区の中心都市「ウルムチ」の ウイグル語ピンイン でのつづりは、Ürümqi である。「チ」のような音を「qi」とするのは、漢語ピンインにあわせたものにちがいない。

現在の世界気象機関 (WMO) の地点表の中国の地点名は、ピンインによっているが、ウイグル語、チベット語などの民族言語の地名は、それぞれの言語のピンインによっている。ただし WMO 地点表ではローマ字の補助記号をつかわないので、ウルムチは Urumqi となっている。しかし、WMO が編集したものだったかどこかの国の機関が編集したものだったかわすれたが、ウルムチが Wulumuqi のように書かれていたものもあった。こちらは、いったん漢字があてられてから漢語ピンインでローマ字化されたものである。

- [ここから 2024-03-20 追記] -
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インドネシアの国語のインドネシア語と、マレーシアの国語のマレー語は、ほぼ同じ言語で、いずれもローマ字が標準の表記となっている。補助記号がついた文字はつかわれていない (「e」の2種類の発音を区別するために一方に記号をつけたものを見たことがあるが、その文脈かぎりのようだ)。かつては、インドネシアではオランダ語の、マレーシアでは英語の影響をうけたつづり方式がつかわれていたが、1972年に両国で合意した正書法がつくられ、1970年代のうちに普及した。(たとえば、「シャ」はオランダ語式の sja でも英語式の sha でもなく sya 、「チ」はオランダ語式の tji でも英語式の chi でもなく ci となった。) 人名についてはこの標準ができるまえにつかわれていた表記がのこっていることがある。

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ベトナムの国語のベトナム語もローマ字が標準の表記になっている。ただし種類の多い母音と声調を区別するために補助記号がたくさんつかわれている。(母音の区別のための記号のついた字をもとの字と区別してアルファベットにかぞえ、声調記号は補助記号とされている。) (また子音についても、「d」に横棒をかさねた字がある。こちらが [d] の音に対応し、単純な「d」は別の音をあらわす。) ベトナム語のローマ字表記方式は、(個人ではなく集団に注目した表現をすれば) 16世紀末に日本語のローマ字表記をふくむ出版物を出したイエズス会が、日本を退去させられたあとの17世紀にベトナムでの布教のためにつくったものである。したがって「ニャ」を nha、「シャ」を xa (ただし現代の発音は「サ」になっており sa との区別は語ごとの歴史的なものになっているらしい) とするなど、ポルトガル語の発音の影響をうけたところがある。ベトナム語の表記では単語のうちでも音節ごとにわかちがきする習慣がある (ハングルが音素文字を音節ごとにまとめた形になっているのとにている)。

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ラオスの国語のラオ語は、タイ語に近い言語であり、それを表記するラオ文字もタイ文字と共通点がおおい。ただし、ラオス政府は表音的文字つづりを徹底し、歴史的理由によるかきわけを廃止して、区別される文字の数をへらした。

ラオ語のローマ字表記方式について、わたしはまだ標準の記述を見ていない。地名のローマ字表記を見たかぎりでは、語尾の [n] を「ne」 (タイ語ならば「n」)、[ŋ] を 「n」 (タイ語ならば「ng」) とすることや、[w] とも [v] とも発音される音韻を「v」で書く (タイ語ならば「w」) 、 [ɯ] (中舌のウ) を「eu」とする (タイ語 1999年式ならば「ue」) など、フランス語の影響がある。(ラオスの首都 ヴィエンチャンは Vientiane と書かれるが、タイ語とみなしてローマ字表記すると Wiang Chan となるそうだ。ただしこれは特別に有名な地名なので標準どおりでないつづりが慣用になっているかもしれない。) また「x」の字がたびたびつかわれることは、ベトナム語 (さかのぼればポルトガル語) のローマ字つづりの影響とおもわれる。ただしいまの発音は「s」と「x」とで区別がなく、どちらをつかうかは不統一になっているようだ (たとえばラオス南部の都市 パークセー は Pakse とも Pakxe とも書かれる)。