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(タイの地名の) 母音の長短を書きわけるには

【この記事は まだ 書きかえることがあります。 どこをいつ書きかえたか、必ずしも示しません。】

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外国語由来のことばを日本語の中で書くとき、母音の長短の書きわけの問題がある。

たとえば、英語の場合、強く発音する音節ならば長短の区別が明確なのだが、弱く発音する音節では、区別がなくなってしまうので、日本語にとりこんで かたかな 表記するときには、発音にあわせて長音記号なしにするか、もし強く発音するならばなるはずの形にあわせて長音表記するか、という選択肢が生じる。

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タイ語では、母音の長短は明確で、それはタイ文字での表記でも明確に表現されている。

【話がそれるが、タイ語とベトナム語とは、言語の系統はちがうそうだが、音の響きも母音や子音の体系も似ている(と、わたしには思える)。しかし、ベトナム語には、母音の長短の区別は(少なくとも初歩で学ぶべきものとしては)ない。日本語に移す場合、母音で終わる音節を長音あつかいすることがあるが、子音で終わる音節との長さがだいたい同じになるようにしているのだと思う。】

しかし、タイ語の母音の長短は、日本語にはあまり反映されていない。

たとえば、タイ北部のチエンラーイ(2018-06-29現在、洞窟で少年たちがゆくえ不明になっているのが、チエンラーイ県)。ラーイとのばすのが正しいのだが、日本語ではほとんど「チェンライ」になっている。

【チェンかチエンかという問題もあり、わたしはまよったすえに「チエン」と書くことにしている。この件は日本の国語学用語を借りれば「拗音」の問題で、ここでは深入りしないことにする。】

ひとつの理由は、外国語の地名を日本語かたかなにするとただでさえ長くなるうえに、長音の音節はかたかなで2文字とるので、文字数が多くなる。たとえ正しい名まえを知っていても、短縮したくなる。

もうひとつは、たとえタイの公的機関や研究者がつくった資料を使っても、英語などのローマ字表記の資料に頼るかぎりでは、母音の長短がわからないことだ。

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タイの人びとによるタイ語のローマ字表記の方式は、かならずしも一定しない。

ポピュラー音楽の歌詞カードで、英語の発音で近似したらしい表記を見たこともある。

しかし、国の役所による地名の表記に関するかぎり、一定の方式で統一されている。(王立アカデミーによる標準があるそうなので、それだと思う。) それは、タイ文字からの単純な転写(transcription)ではなく、それよりはだいぶ表音的なものだ。

タイ文字はインド系の文字で、タイ語では同じ音になってしまってもサンスクリットでちがう音をあらわしていた文字の区別をひきついでいる。日本語の歴史的かなづかいと似た状況にある。

しかしローマ字表記では、タイ語の発音で区別されるものだけを区別する。

アルファベットに補助記号をつけることはない。母音の種類が5つよりも多いから、1つの母音を複数の文字をならべて示す場合がある。その部分だけ、役所による地名表記どうしでも、ゆらぎがある。たとえば、標準にしたがえば mueang となるところが、muang と書かれていることが多い。([多言語雑談「たくさんの府中」)参照)。

日本語への転写に向けて重要なことは、この標準方式では、母音の長短の区別がなくなってしまうことだ。(声調の区別もなくなってしまうが、これは日本語でも表記されない。)

なお、人名のつづりは、必ずしもこの方式にしたがっていない。わたしの知るかぎり、本や論文の著者名のローマ字表記では、サンスクリットに由来する歴史的区別を残した方式が使われている。

【長音の問題とは関係ないのだが、韓国のローマ字表記の状況もタイと似ている。国の役所による地名の表記は一定の標準にしたがっているが、人名の表記には別の事実上の標準があるようであり、その他の世間で使われるローマ字はまたちがうこともある。ただし、韓国の場合、英語で論文を書く人の著者名ローマ字表記は、英語で似た発音になるつづりをあてたもののようである。】

ローマ字表記の資料に依存するかぎり、タイの地名の母音の長短はわからない。

わたしはタイ語はごく初歩を勉強したにすぎないが([2012-03-16 カチャタナパマヤラワ]参照)、地名のタイ文字つづりをローマ字つづりとならべて示されれば、ローマ字つづりのどの母音が長音であるかを指摘することはできる。(ただし、タイ文字がいわゆる活字体のフォントで鮮明に印刷されていることが必要だ。手書きふうのフォントだったり、不鮮明だったりすると、判読できない。)

タイ文字だけでじゅうぶんかというと、そうでもないと思う。タイ文字はインド系文字で、子音字単独で子音に母音 a が続く音列をあらわす。ほかの母音が続くならば母音記号をつけてあらわす。母音がない場合は、母音がないことを示す記号をつけてあらわすのが原則なのだが、実際にはこの記号が使われていないことが多い。そこで、たとえば kra なのか kara なのか、つづりだけでは区別できない。

【[2019-08-06 追記] ここで r のはいった例をあげたのはたまたまだが、タイ文字つづりの r にあたる字は、サンスクリットの「-ar(a)」から音韻変遷をへて [-ɔ:n] (オーン)と発音されることも多い。(「たとえば kra なのか kara なのか」には「コーンなのか」がくわわるのだ。) そのアカデミー式のつづりは -on のはずだが、このような事情の場合にかぎって、-orn と書かれているのをよく見る。[ɔ]の長音が一般に or と書かれるわけではない。】

そこで、タイの地名をかたかな表記する際には、ローマ字資料とタイ文字資料を併用することをおすすめしたい。

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考えてみると、日本の地名を、日本語圏の外の人に伝える場合も、タイの場合とほぼ同じ状況だ。

日本語には母音の長短がある。短母音は1拍、長母音は2拍の時間をかけて発音する。

ローマ字表記では、本来は長音は補助記号をつけて区別されるのだが、英語などに引用される場合、そのまま補助記号なしとなり、長短の区別の情報が失われることが多い。

日本語の地名の母音の長短を正しく伝えるには、ローマ字資料だけに頼っていてはだめだと思ったほうがよい。(注意深く補助記号をつけたローマ字資料ならばだいじょうぶかもしれないが、かな・漢字の日本語を読まない人ではローマ字表記の品質を判断できないだろう。)

日本語の かな だけでも読めれば、ローマ字表記と かな 表記を併用すれば、母音の長短を確実につかむことができる。

かな表記だけでも、ほぼじゅうぶんなのだが、「う」が長音表記なのか独立の母音なのか、という、あいまいさが生じる場合もあるので([わたしが出会った問題な日本語「コーリ / コウリ」]参照)、ローマ字表記も併用したほうがよいと思う。