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地球の年齢に関するKelvinの議論はどのようにまちがっていたのか?

科学者が当時としてはまじめに考えた結果が、あとの時代の科学の視点から見ると大きなまちがいだった、という話の例として、Kelvin (William Thomson, 1824 -- 1907; Lord Kelvinになったのは1892年だが便宜上一貫してこの名まえで呼ぶことにする)による地球の年齢の算定があげられる。Kelvinは、地球内部からの熱流量を熱伝導(熱伝導率は一定)だと考え、その熱源は地球ができたときの内部エネルギー [および重力の位置エネルギーからの転換 を考えていたようだが、詳細未確認] であって新たな補給はないと考えた計算の結果をもとに、1862年には2千万年から4億年の間という数値を示し、のちにはそのうち小さいほうの数値を主張した。

今では地球の年齢は46億年とされているが、その数値は放射性核種の壊変(および(ある種類の)隕石が地球とほぼ同じ時期にできたという仮定)によって、1950年代に得られたものだ。【その方法は放射性核種と安定核種の比率にもとづくものであって、放射性壊変を考慮した地球内部の熱収支とは別の話である。】放射性壊変が認識されたのは1900年ごろ(ひとまず大まかにとらえておく)以後なので、それ以前には精密な数値が得られなかったのは無理もない。

Kelvinが具体的な数値を得た理論的考察は、Pollack (2003)の第7章では、数理的モデルの前提となる概念形成が不適切だった例とされている。垂水(2014)の第1章では「パラダイムの違いがもたらす誤謬」(パラダイム交代後から見れば誤りは明らかだが、旧パラダイムの中ではそれに気づくのが困難だったこと)とされている。いずれも、放射性核種の壊変を知らなかったので、地球内部に熱源を想定できなかったことが、(以後の科学から見れば)まちがった結果を得てしまった理由だと考えている。

ところが2007年、わたしは別の記事を読もうとして手にとった雑誌American ScientistでEnglandほか(2007a)の解説記事を見て驚いた。それは、Kelvinがまちがった理由は放射性壊変ではないと主張していた。同じ文章ではないが基本的に同じ内容はアメリカ地質学会の雑誌GSA Todayにも出ている(Englandほか, 2007b)。

Englandたちによれば、Kelvinが地球の年齢を推定するのに使った数理モデルに、放射性壊変による熱を(現在の見積もりで)加えても、結果はたいして変わらないのだそうだ。モデルの概念形成に加えるべきだったのは、 地球内のエネルギー伝達には熱伝導のほかに対流(流体の質量移動)によるものがありうるということであり、それは放射性壊変による熱源の発見よりも前の1895年に、物理学者John Perry (1850--1920)によって指摘されていたのだ。Perryは、Kelvinの助手をつとめたあと、日本の東京にあった工部大学校に招かれて1875--1879年の間そこで教えた人でもある。

Perryが地球の年齢に関してKelvinと議論したのは1894--95年のことで、1895年のNature誌に複数の記事がのっている。(わたしはまだそれを直接読んでいない。論文として整ったものではなく、意味をつかむには当時の文脈をよく知る必要がありそうだ。) Smith and Wise (1989)によるKelvinの伝記では17章の604--607ページにこの件が出てくる。それによれば、Perryの議論は、Kelvinのモデルを修正して「地球内部では熱伝導率が表面付近より大きい」とすれば年齢は古くなる、というものだ。Perryは地球内部は表面よりも温度が高いので熱伝導率が大きくなるのだと考えたが、熱伝導率の温度依存性の知識は当時不確かだった。Kelvinは自分でも実験をしてその範囲では温度が高くなると熱伝導率はむしろ小さくなったので、Perryの議論は成り立たないとしてしまった。

Englandたちが強調しているのは、このときPerryは、固体のまま熱伝導率が変わることだけでなく、地球内部の物質が(部分的でもよいのだが)流動して質量とともにエネルギーを運ぶことによって、熱伝導の形で近似した場合の熱伝導率を大きくする、ということも考えていたことだ。ただし、当時、地球内部はかたい(剛性をもつ)固体と認識されていた。そこでPerryは、靴なおしのワックスを比喩として持ち出して、物体は短い時間の変動に対して固体であっても長い時間では流体としてふるまうことがあるのだと論じた。この比喩は、相対論が確立する前に光の媒体として考えられていたエーテルの性質を説明するためにKelvinが使っていたものでもあった(想定された「長い」時間のスケールは違うが)。しかしKelvinは地球潮汐の研究によって1870年代までに地球はかたいという認識をかためていて(Smith and Wise 16章 573--577ページ)、Perryの議論はそれを考えなおさせるには至らなかった。

【[2015-12-14補足 (Pollackの本の読書ノートからわたしの議論を再録)] 同じ初期条件からならば対流があると伝導だけの場合に比べて地球が冷えるのは速まるが、Kelvinが設定したように地殻(固体地球の表面付近)で現在観測される温度勾配を説明できる歴史をさがすという問題ならば、対流を考えたほうが地球の年令が古いという解が出てもよさそうだ。】

2014年10月11日の地学史研究会での菅谷暁さんの話題提供「ダーウィンの前に立ちはだかるケルヴィン」にもこの話は出てきた。菅谷さんの話は、Darwinによる変異と自然選択による進化にかかった時間の見積もりや、地質学者による侵食・砕屑物運搬プロセスからの年代見積もりおよび斉一説の意味の変化、Kelvinの宗教的信念などにわたった。今の文脈で重要なことは、DarwinにとってKelvinが示した地球の年齢は短すぎたことだ。地質学者にとっては4億年ならばかまわなかったようだが2千万年は短すぎた。菅谷さんはPerryとKelvinの意見対立の本筋は(Smith and Wiseと同様に)固体の熱伝導率の件として扱っていた。ただし、参考文献にEnglandほか(2007a)を入れていて、講演中にもPerryが地球内部が流体である可能性を指摘したことに少しふれてはいた。

Perryは対流による熱輸送を具体的に計算することができなかった。当時の物理学にはまだそれに使える理論がなかったのだろう。Rayleighによる対流が始まる条件に関する線形論の論文が出たのが1916年である。

EnglandたちのPerryに関する記述はたぶん正しいのだと思うが、だから「Kelvinがまちがった結果を得た理由は放射性壊変を知らなかったことではない」と言いきれるか、わたしは必ずしも納得していない。まず、Englandたちの言う「Kelvinのモデルに放射性壊変をつけたしても結果はたいして変わらない」ことを確かめてみるべきだと思う(しかしわたしはまだ実際に計算するに至っていない)。また、もし放射性壊変を考えに入れることができていたら、モデルの構成として、Kelvinのモデルに単純に放射性壊変をつけたしたものとは違うものも可能だったと思うのだ(しかしこちらも具体的考察に至っていない)。

(なお、Kelvinが太陽の年令を若く推定した理由としては、 核反応(のちの知識によれば水素からヘリウムへの核融合)を考えていなかったからだというのは正しい。地球が太陽より古いことは考えにくいので、このことも地球の年齢に対する制約となる。)

文献

  • Philip C. ENGLAND, Peter MOLNAR and Frank M. RICHTER, 2007a: Kelvin, Perry and the age of the Earth. American Scientist, 95, 342 - 349.
  • Philip C. ENGLAND, Peter MOLNAR and Frank M. RICHTER, 2007b: John Perry's neglected critique of Kelvin's age for the Earth: A missed opportunity in geodynamics. GSA Today (Geological Society of America), 17 (1), 4 - 9. http://www.geosociety.org/gsatoday/archive/17/1/pdf/i1052-5173-17-1-4.pdf
  • Henry N. POLLACK, 2003: Uncertain Science ... Uncertain World. Cambridge University Press. [読書ノート]
  • Crosbie SMITH and M. Norton WISE, 1989: Energy & Empire: A biographical study of Lord Kelvin. Cambridge University Press.
  • 垂水 雄二, 2014: 科学はなぜ誤解されるのか -- わかりにくさの理由を探る (平凡社新書 734)。平凡社, 215 pp. ISBN 978-4-582-85734-4. [読書メモ]