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地球温暖化・気候変化・気候変動に関する認識の変遷をさぐるという課題

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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[2017-05-23の記事]で予告したように、2017年5月27日、日本気象学会の大会に付随する会合として、「気象学史研究会」を開きました。

主催者からの報告は、ひとまず、研究会のウェブサイトに[第1回気象学史研究会「気象学史研究はどうあるべきか」を開催しました(2017/5/27)]として出ています。追って、日本気象学会機関誌『天気』にも報告を出す予定です。

第2回の研究会を、日本気象学会の秋の大会に付随する形で、まだ確定ではありませんが、11月1日に開く予定で準備中です。

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上にリンクを示した5月23日のわたしの記事に、田家 康 (たんげ やすし)さんからコメントをいただきました。

5月27日の会合の質疑討論の時間に、日本経済新聞社のかたから、世の中では寒冷化が話題になっていた1970年代に地球温暖化に関する認識が日本ではどのように発達してきたか、という気象学史の研究課題がある、という趣旨のご発言があり、わたしは、わたしが『科学史研究』に書いたこと([2016-05-12の記事]参照)にふれたうえで、そこで論じることができたのは欧米(おもにアメリカ)の動きなので、日本についてはもっと研究が必要だと思う、とお答えしたつもりでした。

田家さんのご指摘で、わたしは発言をじゅうぶん聞きとれていなかったことがわかりました。発言の主は池辺 豊さんだったそうです。そして、池辺さんは、温暖化や寒冷化に関する認識のうち、とくに日本の学者たちの認識の変遷を知りたい、その材料として日本気象学会機関誌『天気』の記事でそれらの主題がどのように論じられているかを見るとよいだろう、という趣旨の発言をされていたそうです。

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わたしも、気候変化(温暖化・寒冷化)に関する認識を、世間一般と、専門家とを区別しながら検討してみるのは有意義だと思います。とくに気象学会に注目するのも、おもしろい課題設定だと思います。

それで、わたし自身が中心になって、協力者をつのってやってみようかとも、少し考えました。

しかし、(わたしは池辺さんの署名記事を個別に覚えているわけではないのですが、その論調を思い出す限りでは) 池辺さんの位置から見て、「地球温暖化に関する世の中の認識は大きく割れていて、増田はその一方の旗色鮮明な論客である」というふうに見えているかと思うのです。もしそうだとすると、わたしが調査に積極的にかかわったのでは、結果が池辺さんや同様な疑問をもつかたがたから信頼されないおそれがあります。

この調査は、中立な位置にいる人が、池辺さんとわたしの両方にインタビューしたうえで、自主的に計画をたててしてくださると、ありがたいと思います。科学史(そのうちの現代史)や、科学を対象に含む社会学・人類学などの学生のかたが、方法面での指導・評価ができる教員の了解を得て、その専門分科の研究論文にしてくださると、とてもよいと思います。その見こみのある課題だと思います。

論文その他の記事の表題にあらわれている語句について、件数を集計することは簡単にできるはずです。『天気』では、ある年以後は、論文それぞれにキーワードが示されているので、それを数えることもできるでしょう。それは、(専門分野にもよりますが)学生のレポート課題にはなるかと思います。しかし、同じ語句の意味が変遷しているかもしれないし、同じ概念が別の語句で表現されているかもしれません。人びとの認識の変遷を論じるためには、語句の集計だけでなく、もう少し立ち入った分析が必要だと思います。

気象学会大会とは別に開かれていた日本地球惑星科学連合の科学論のセッションで、森下翔さんのポスター発表がありました。[予稿]ではわからないのですが、森下さんは、日本測地学会の研究発表会プログラムから発表を分類して件数を集計し、その変遷をグラフにしていました。(とくに人工衛星を利用した研究の件数の変遷に注目していました。) 件数の集計は機械的にしたが、検索キーワードの設定、キーワードの類のまとめかたなどは、森下さんの、人類学者として測地学を対象として研究してきた立場からの、専門家判断がはいっているそうです。

温暖化・寒冷化に関する気象学者の認識の変遷を知るには、記事に使われている語句を気象学者がどのような意味で使ってきたかを、その使いかたの変遷を含めて、知る必要があるでしょう。それは、科学を対象とする歴史学あるいは社会科学の素養のあるかたが、気象学者のコメントをもらいながら、必ずしもそれに忠実でなく、判断するのがよいと思うのです。