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日本の原子力発電の歴史、津波に負けた理由

題目にした話題の全般の話ではなく、テレビ番組とそれを見た感想の覚え書きである。

NHK教育テレビの、2011年9月18日22時から23時半までの「ETV特集:原発事故への道程(前編)」を見た。前編はサンフランシスコ講和(1952年)から東京電力福島第1原子力発電所建設(開始1967年)までを扱っている。後編は1週間後の25日の同じ時間帯に放送されるそうだ。

番組製作者中には少なくとも2つのグループが違う意図をもっているように思われる。日本の原子力発電の発達の通史を示そうという意図と、時事的な関心にこたえようという意図だ。

いずれにしてもドキュメンタリーとしての値打ちを高くしているのは、新しく「発掘」された資料だ。1985年から毎月行なわれたという「原子力政策研究会」という会合の録音テープ、合計約100時間ぶんだという。この会合は、元通産官僚が主催した、行政官・電力会社の人・メーカーの人・学者などの集まりで、過去に重要な役割を果たした先輩を呼んで話を聞いている。当時の現在の政策に影響を及ぼそうという意図ではなく記録を残そうという意図だったらしい。

番組作成までの資料調査にどれだけ時間をかけたかわからないが、おそらく、ドキュメンタリー編集者がすでにもっている通史観に合わせて興味深い材料を拾ったのではないだろうか。それはそれでよいと思う。

この資料の実質的な意義がわかってくるのはこれからだろう。一般公開できる資料ではないのかもしれないが、科学技術史の研究者がアクセスできることを期待したい。

番組を通史として聞いた印象では、吉岡(1999)などを読んでこれまでに持っていたわたしの認識を大きく変えるものではなかった。ただし次のトピックに関連して気になったことはある。来週の後編を見て、またコメントするかもしれない。

番組の最初・最後には時事的トピックが置かれていた。福島第1原子力発電所(1号炉)がもう少し慎重に設計されていれば、2011年3月11日の津波に対してもう少しよく耐えられた可能性があるということだ。

この1号炉は、日本の電力会社が最初に動かした軽水炉であり、アメリカのGeneral Electric社(GE)のMark 1型を導入したものだ。設計・施工をメーカーにまかせ完成したものを受け取るturn key契約だった。

東京電力の当時の担当者(のち副社長、今は引退)の回顧をもとに、次のことが指摘される。

  1. 発電所は海抜35メートルの台地を海抜10メートルまで掘り下げて建設された。35メートルの上に建てれば津波の直接の影響は避けられたはずだが、それでは冷却用海水をくみあげるポンプの能力が及ばなかった。ポンプを変えることは、turn key契約の条件からはみ出し、費用がかさむので、できないと考えられた。背景に、費用を安くあげなければならないという経営的圧力があった。
  2. 非常用ディーゼル発電機が海寄りのタービン建屋に集中して置かれた。GEの設計がそうなっていたのだ。番組の説明によれば、だれもその問題点に気づかなかったということであって、この位置から変えてはいけない契約になっていたということではないようだ。日本側担当者に設計の細部まで考える能力か時間が不足していたらしい。それはturn key契約に頼らざるをえなかった理由でもあった。

「日本の原子力は設備輸入に頼っているので国内の技術水準が低い」という言説はもはや通念になっていると思うが、この事例はその通念をますます強めてしまう。ただし、これは1号炉導入のときの事情(影響はあとに及ぶが)であって、それ以後の日本の技術水準までここから類推するのは行き過ぎかもしれない。最近は多国籍企業の中で日本にある部分が技術を担っていることも多いはずだ。しかしその代わり建設がない時期が続いたアメリカにノウハウが残っていないかもしれない。

番組の副題にもなっていた「置き去りにされた慎重論」という表現は、科学者、とくに原子核物理学者の態度を念頭においているようだ。科学者は、戦後、原子核エネルギー利用の研究をするかどうかに関して割れ、いったん「平和利用」推進論でまとまったが、それは実用を急がず基礎研究からやれという方針だった。ところが政府が正力松太郎初代原子力委員長を中心として早く原子炉を外国から輸入するという方針を固めたので、多くの科学者は反発して政府の原子力開発から距離をおいた。番組では原子力委員を1年で辞任した湯川秀樹が代表的な例とされている。

ただし、現場で不足していた技術能力は工学知であり、物理学者がとなえた基礎からやれという路線で獲得できていたかどうかはわからないと思う。番組でも、東海村の実験炉の経験談で、地下水や湿気などのローカルな条件への適応に手間取った話があった。アメリカでは原子核物理学者の一部が工学者を兼ねた。日本でも物性(半導体・磁性体)物理には産業への応用につながる仕事をしている人がいるし、素粒子実験でも実験機器の工学をやっているので、物理学者であり続けながら原子炉の実際的問題に取り組む人があまり見あたらないのは機会が与えられなかったからにすぎないのだろう。

原子力政策に批判的な人から見ると、電力会社は原子力に関して政府から手厚い保護を受けていたという印象がある。しかしこの番組で福島第1建設の際の東京電力内のコスト削減圧力の話を聞くと、政府は電力会社を鼓舞してはいたがじゅうぶん手厚く保護はしていなかったように見える。

ひとつには、正力氏に限らず1950年代に多くの人が示した「原子力は安くなる」という楽観に誤算があった。番組では、コールダーホール炉についてのイギリスの費用計算が日本の条件では成り立たないことに通産官僚が気づいたという話がある。それでも原子力を推進した人たちの多くが、やりようによっては安くできると考えたようだが、よい設計を選ぶ必要があった。費用面からよい設計と考えられたのが軽水炉だった。

ところが、電力会社が軽水炉を選ぶのとほぼ同時に、政府のほうは核燃料サイクル(プルトニウム利用)重視に方針を転換して、軽水炉導入への支援にはほとんど予算をつけなくなった。政府内の科学技術庁通産省の綱引きでこの時点では科学技術庁優勢だったと見ることもできる。もし通産省が優勢ならば電力業界にお金を補助していただろうか? 通産省主導であっても自由主義・資本主義政権の原則どおり機会だけ与えて金は出さないという方針をとっただろうか?

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