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Anthropocene (人類世、人新世) (6) 地質層序専門家とそのほかの人とのすれちがい

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも しめしません。】

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わたしは「Anthropocene」ということばを自分からつかいたいとは思わないし、つかうことを人にすすめたいとも思わないが、このことばをつかった議論に注意する必要はあると思っている。これまで、このブログで、このような記事を書いてきた。

わたしはAnthropoceneが地質時代名になることはないだろうという予想のもとに「人類世」と書いてきたが、もし地質時代名になるならば、「人新世」となるだろうと思う。

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American Geophysical Union (アメリカ地球物理学連合) という学会のニュースレター Eos に のった Tripathy-Lang (2021) の記事を見た。この記事は、同じ学会の雑誌 Earth's Future 【まぎらわしいが Future Earthではない】にのった Zalasiewicz ほか (2021) のレビュー論文の論点を紹介するものらしい。(Zalasiewicz は層序学の専門家のうちで はやくからAnthropoceneにかかわってきた人だが、論文の共著者に、歴史学者 John McNeill と、IGBP で Great Acceleration を提起した Will Steffen が ふくまれている。) わたしはこの論文をまだ読みとおしていないが、要旨とはじめの部分を読み、たぶん主要な論点はわかったと思うので、それについてのわたしの考えを書く。さらに読んで気づいたことがあればこの記事を改訂する。

  • Alka Tripathy-Lang, 2021: The difficulty of defining the Anthropocene, Eos, 102, https://doi.org/10.1029/2021EO156556
  • Jan Zalasiewicz, Colin N. Waters, Erle C. Ellis, Martin J. Head, Davor Vidas, Will Steffen, Julia Adeney Thomas, Eva Horn, Colin P. Summerhayes, Reinhold Leinfelder, J. R. McNeill, Agnieszka Gałuszka, Mark Williams, Anthony D. Barnosky, Daniel de B. Richter, Philip L. Gibbard, Jaia Syvitski, Catherine Jeandel, Alejandro Cearreta, Andrew B. Cundy, Ian J. Fairchild, Neil L. Rose, Juliana A. Ivar do Sul, William Shotyk, Simon Turner, Michael Wagreich, Jens Zinke, 2021: The Anthropocene: Comparing its meaning in geology (chronostratigraphy) with conceptual approaches arising in other disciplines. Earth's Future (American Geophysical Union), 9 (3). https://doi.org/10.1029/2020EF001896

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地質時代の区分は、地球科学のうちの地質学のうちの、層序学 (stratigraphy, 層位学ともいわれる) を専門とする人たちがきめている。

18世紀ごろに近代科学的な地質時代区分がはじめられたころは、層序学もかかわるが、むしろ古生物学が主役だった。生物の種類のくみあわせが似ている時期が同じ時代で、くみあわせが大きく変わる時期が時代のかわりめとされる。それで「古生代」「中生代」「新生代」などの時代が区別された。ただし、生物のうちでも動物が重視された。日本語で「生」となっているが、英語では「Paleozoic」のように「zo-」がはいっている。これは動物を意味する。もし植物を重視したら、時代のくぎりかたはちがっていたかもしれない。

時代区分が精密になるにつれて、(古生物学もかかわりつづけるが) その主役は層序学になった。

層序学の人たちは、時代の画期として、どこかの模式地の地層で明確にみとめることができ、しかもそれを世界じゅう追跡して同時性や時間の前後を判断できるようなものをえらぼうとする。短期間に生物の大量絶滅がおこるような事件はそういう画期になりやすいが、時代画期がかならず大量絶滅や多数の生物にとっての環境悪化をともなうともかぎらない。

時代区分をきめる層序学の人たちにとって、時代名は、(19世紀以前につけられた「石炭紀」などは別として、あたらしいものは) その時代期間の特徴をあらわすものではない。その時代をほかの時代と区別するための識別子にすぎないのだ。ただし機械的な識別子はあつかいにくいから固有名をつける。

「世」よりもこまかい「期」【「紀」でないことに注意】のレベルでは、時代画期の模式地をきめる判断は多くの専門家の働きがつまっているからそれをたたえて、時代のはじめにあたる時代画期の模式地の名まえを、時代期間の識別子に転用している。

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[2017-11-19 「チバニアン」= 第四紀 更新世 千葉期(仮称)][2020-01-18 「チバニアン」公認] の記事で紹介したように、第四紀の更新世 (Pleistocene) の中期が「チバニアン (Chibanian)」期と名づけられた。これは、この期間のはじまりにあたる約 77万年まえの時代画期の模式地として、千葉県 市原市にある地層がえらばれたからなのだ。模式地をきめる前に、この時代画期として、地磁気の松山逆磁極期とブリュン正磁極期のさかい (B/M境界と書かれることが多いようだが、古いほうをさきにしてM-B境界と書いておく) を採用しようということになった。生物にとっての環境の大きな変化ではないが、世界規模で同時に影響があらわれた現象がえらばれたわけだ。そうすると、M-B境界の前後にわたる連続した地層があって、そのなかのM-B境界の位置と年代が明確にきめられるところが模式地にえらばれる。その意味で千葉県の地層がイタリアの地層よりもよいとみとめられたのだった。ただし、実際の時代画期は、M-B境界そのものではなく、その近くにある火山灰層が採用された。その火山灰の給源は御嶽火山らしいので、長野県から千葉県くらいの空間的追跡可能性はある。ここにはおそらく、層序学の専門家のあいだで、世界規模で同時性を判断できることと、模式地で明確に見えることと、どちらを優先するかの意見の対立があって、こまかいレベルでは後者が勝ったのだと思う。

層序学が専門でない地球科学者からみると、重要なのは、時代画期ではなく、時代の期間だ。約77万年まえから約13万年まえ (こちらの模式地と精密な時代画期はまだ決まっていないが) の期間が「チバニアン期」と呼ばれることになる。さいわいなことに、千葉県内のあちこちをつなぎあわせれば、77万年まえから13万年まえまでの連続した地層はあるから、それを念頭におけば、われわれのたちばからもこの名まえは悪くない。しかし、チバニアンのジオツアーは、市原市のM-B境界模式地だけでなく、13万年前の地層までをたどるものにするべきだと思う。

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そのすこしまえに、完新世 (Holocene) を細分する時代画期がきまり、完新世の「前期、中期、後期」に名まえがつけられた。この件は、[2018-07-25 納得のいかない完新世の細分「メガラヤン」など] [2020-12-16 同 (2)] で紹介・論評した。まだ Anthropocene がきまっていないから、約4200年まえから現在までが完新世の後期で、これに「メガラヤン (Meghalayan)」という名まえがつけられたのだ。それは、約4200年まえの時代画期の模式地として、インドのメガラヤ州にある鍾乳洞の石筍がえらばれたからだ。

わたしは、広域に追跡できる地層でなく石筍がえらばれたことにもあまり納得がいかないが、4200年まえの時代画期としてみとめることはよいとしよう。しかしその石筍の気候記録は現在につながっていない (2020-12-16の記事の参考文献にあげた平林・横山 (2020) の論文の図9 (a) )。この石筍は、「4200年まえから現在までの時代」を代表する気候記録とはいえない。わたしは、「メガラヤン」は、時代画期でなく時代期間に関心のある人にとって、「4200年まえから現在までの時代」にふさわしい名まえとはいいがたいと思っている。ただし、メガラヤ州から 4200年まえから現在までつづいたすぐれた環境記録がしめされれば考えなおすかもしれない。

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(Anthropocene ということばがそれ以前につかわれたかどうかは確認していないが) 今につながるAnthropocene の議論をはじめたのが、このシリーズの記事(1)の参考文献にあげた Crutzen & Stoermer (2000) であることはたしからしい。Crutzen は地球科学者だが(化学者でもあるが)、地球化学者であって、層序学者ではない。Crutzen は、人間活動の影響が大気の成分にあきらかにあらわれた時代はそれ以前とは地球科学的にちがう時代だと思った。そのはじまりは、産業革命のはじまり、つまり18世紀ごろだと考えられたようだ。

しかし、地質時代名にするという提案を本気で考えるならば、主役は層序学者となる。しかし層序学者だけで決めるわけにいかないという判断で、学際的なワーキンググループが組織された。時代画期は世界のどこでも見える現象がのぞましいので、イギリスだけで産業革命がはじまった時期は不適切だ。西暦1950年代ごろならば、放射性物質や、プラスチックスなど、世界じゅうで共通に急増しているものがいろいろある。[2018-04-06 「ホッケースティック曲線」をめぐる話題の整理] の第3節で紹介した、Great Acceleration とよばれている変化である。まだ Anthropocene をたてるときまったわけではないが、もしたてるとすれば、時代画期は1950年代が有力だ。

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このシリーズの記事(4) で紹介した Lewis & Maslin (2018) は、層序学的時代区分のしくみを理解しながら、ちがう時代画期 (西暦1600年ごろ) を提案している。Zalasiewicz ほか (2021) のレビュー論文は、(別の参考文献によって) Lewis と Maslin の提案をいちおう考慮している。しかし、1600年ごろの時代画期をしめす、(南極の氷コアにみられる) 大気中の二酸化炭素濃度の変化 (陸上生態系のもつ炭素量の変化を反映していると考えられている)が、20世紀の化石燃料起源の二酸化炭素の増加にくらべてわずかなので、Zalasiewicz たちからみると、これは有力な提案ではない。

層序学のたちばで時代画期をおもに考えるからそうなるのだ。(古)生物学のたちばで時代期間をおもに考えたら、話はちがってくると思う。陸上生物の、ユーラシア・アフリカと、南北アメリカとで、別々に進化してきた種類が、いわゆる大航海時代以後の人がはこんだこと (いわゆる Columbian exchange)によって、まぜられた。陸上生物の種類のくみあわせによって時代を考えるならば、この不可逆な混合の前と以後でわけるのは、もっともだと思う。農作物や家畜などの人間にかかわりのふかい生物に重点をおいて考えるならば、ますますそうだろう。ただし、わたし自身は、地質時代区分としてAnthropocene をたてることに反対なので、1600年ごろを時代画期にするという案にも積極的に賛成はしない。

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人間社会を考える人文学・社会科学の人たちも Anthropocene ということばをつかうことがふえてきたが、それは、「人間活動の影響が地球環境に明確にあらわれている時代」というような意味だろう。Crutzen とは話があうだろうが、層序学者の約束ごととはかみあわない。

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わたしは一方で、「メガラヤン」の件などからみて、地球科学共通の時代区分を層序学者たちにまかせつづけてよいのか、考えなおすべきときにきていると思う。

しかし他方で、層序学者たちがきちんと定義した (あるいは、しようとしている) 時代名を他の人たちがちがう意味でつかうのはよくないと思う。

Anthropocene は まだきまったわけではないが、「-cene」でおわることばを時代名にするという習慣は地質年代区分特有のものだから、このことばの意味は層序学者中心のワーキンググループにまかせて、「人間活動の影響が地球環境に明確にあらわれている時代」には、別の名まえをくふうしたほうがよいと思う。それは、なるべくならば、人文学・社会科学の人たちと、大気の化学をふくめた地球科学の人たちが、いっしょにつかえるものがのぞましい。もしそういうものができれば、地学の教科書にも、層序学者の用語よりも優先させてつかわれるかもしれない。

もし Anthropocene が地質時代名になるならば日本語では「人新世」になるにちがいない。「人類世」はそれとは区別された「人間活動の影響が地球環境に明確にあらわれている時代」をさすことばになりうるだろうか?