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Anthropocene (人類世、人新世) という新概念の複数のとらえかた (1)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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Anthropocene ということばが使われる話題については、このブログでも、[2012-12-10「AGU GC51Hほか: 人類世、+4℃の世界」][2012-04-03「Planet under Pressure会議宣言文(非公式)日本語訳」]などでふれたことがある。(そこでは日本語表現を「人類世」としておいた。)

近ごろわたしは、このことばによって表現したい概念が人によってかなり違っており、その違いを意識して議論する必要があると感じている。

ただし、わたしは、この話題について継続的に情報を追いかけているわけでもなく、しっかり文献レビューしているわけでもない。わたしが認識していない重要なことがあるかもしれない。それでも、ひとまずわたしが知っている範囲のことを書き出しておくことに意義があるかもしれないと思ったので、ブログ記事の形にした。

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人類が地球環境の制約の中で生きていることは昔も今も変わらないのだが、今では、人間活動が地球環境を変化させることが、地球環境の変化の立場からも、(複数の)主要な要因のひとつになってきた。

【ここでいう「地球環境」は、大まかに次のような意味だとしておこう。

  • 地球環境: 地球表層の状態
  • 地球表層: 地表面に近いところ
  • 地表面: 大気(気体)と海(液体)または陸(固体)との境界 】

地質年代は「代」「紀」「世」と区分される。現在の標準的な時代区分では、われわれが生きている現在の時代は、新生代第四紀完新世(Holocene)とされる。完新世は約1万年前以後、詳しくは、11700年前以後(Walkerほか, 2009)である。

しかし、人間活動が大がかりになってきた結果、地球環境は完新世の典型的状態から大きくはずれている。「世」のレベルで新しい時代にはいったと言えるのではないか。もし完新世とならぶ新しい「世」だと認めるとすれば、人間活動が重要な時期だから、Anthropoceneという名まえがふさわしいだろう。

新生代の「世」の名まえはいずれも、英語で言えば「-cene」で終わるものになっていて、それに対応する日本語は「-新世」で終わるものになっている。したがって、この規則性をまもれば、Anthropoceneは日本語では「人新世」とするのが適切ということになりそうだ。しかし、次に論じるように、Anthropoceneという用語は地質時代区分名をまねて作られたけれども、実際に地質時代区分の名まえとしようという意図ではなく、比喩的に使われることが多かった。わたしは比喩的な使いかたを念頭においていたので、聞いてわかりやすい「人類世」という表現を使ってきたのだった。【なお、外来語扱いでかたかな書きするならどう書くかという問題もある。英語の発音に近くすると「アンスロポシーン」になると思うが、わたしは、化学物質名の日本語表記にならった形の(フランス語の発音にも近い)「アントロポセン」がよいと思う。】

Anthropoceneということばは散発的には1960年代から使われていたらしいが、今につながる意味で使いはじめたのはアメリカの生態学者Stoermerだそうだ。そして、2000年にStoermerがオランダ出身の大気化学者Crutzenと共著でIGBP (地球圏・生物圏国際協同研究計画)のニュースレターに論説を書き(Crutzen & Stoermer 2000)、さらに2002年にCrutzenがNatureに論説を書いた(Crutzen 2002)ことによって広まった。StoermerやCrutzenにとってのこの語の意味は、人間活動が生物地球化学サイクルに大きな影響を与えている時期、ということであり、大気中の二酸化炭素濃度がそれまでの完新世の変化範囲をこえて高くなっていることがその影響の代表例となる。したがって、時代の変わりめは「産業革命」あるいは「工業化」つまり化石燃料の動力への利用ということになるだろう。

Anthropoceneを地質時代区分として定義しようという議論はZalasiewiczほか(2008)などから始まるようだ。わたしは2012年のAGU (アメリカ地球物理学連合)大会のZalasiewiczやそのほかの人の発表でその話題を聞いた([2012-12-10の記事])。2015年10月にAGUのニュースレターに出たEdwards (2015)の記事によれば、国際層序委員会(International Commission on Stratigraphy)で、Anthropoceneを地質時代区分とするかどうかはまだ決まっていないが、今後1年くらいのうちに決めることになるだろう、ということだ。このEdwardsの記事には、それを地質時代区分とすることへの賛成反対両方の議論も紹介されている。

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地質時代区分として採用しようとすると、いろいろな条件を満たさなければならない。

地質時代区分の境目は、時間軸上で幅をもたない点だと考えられる。現実世界の状態の変化は急とはいっても瞬間的ではなく連続的であり、ひとつの時点でくぎるのは約束にすぎない。しかし、区分という表現に意義があるためには、境目としては、なるべく世界規模で重要な変化がある時点を選びたい。

また、世界のどこの地層や化石をも時代区分と関連づけることができる必要がある。通常これは、世界のどこかに標識地を選び、そこの地層で境目を定義して、他の場所のものごとはなんとかして標識地と対比することによって前後関係を決められればよい、という考えかたによる。ただし、最近の時代については、標識地との対比よりもむしろ直接の年代決定のほうがしやすいので、標識地を決めなくても年代で境目を定義すればよいという考えもあるそうだ。

世界規模で重要な変化と言っても、地球のどの部分に注目するかによって内容が違ってくる。Crutzenは大気成分の変化に注目していた。しかし、地質時代区分を考える層序の専門家は、地層の堆積環境の変化か、生物(伝統的におもに動物)の種組成の変化に注目するだろう。また、対比可能性の要請から、世界の多くのところの地層で同時に起こっている変化を認めやすい年代を境目にできるとよいと思うだろう。

産業革命は西暦およそ1800年ごろに起こったと考えられるけれども、その直接の影響の環境改変は世界の内で限られた地域で起きた。世界の工業化は今も進行中だ。境目に200年くらいの幅をもたせるならば「1800年から現在」が境目でよいかもしれないが、時期をしぼっていくと、いつを代表にすべきかは自明でない。【時代区分とは少し違った要請だが、地球温暖化の文脈では「工業化前の状態」とはいつの状態をさすかという問題があり、[2015-12-13の記事]で話題にした。】

わたしが2012年のAGUの講演で聞いた議論では、おもに世界規模の対比可能性の観点から、境目を決めるならば1950年ごろとするのがよいという考えが述べられていた。以下、その議論の記憶を頼りにわたし自身の理屈で述べる。大気中の二酸化炭素濃度の増加が急激になったのもこのころで、化石燃料起源のものの比率がふえたことは炭素同位体比にも現われる。肥料などのための空気中の窒素の固定はもっと前から始まっていたがこのころから世界規模でふえていて、環境中の硝酸イオンなどの反応性窒素の量に変化が見られる。フロンなどの合成物質、プラスチック粒子、天然になかった(新生代よりも前に消滅していた)放射性核種やその壊変結果の核種、あるいはコンクリートなどによる地面の舗装も、限られた地域での出現でなく世界規模への広がりをとらえるならば、1950-60年ごろから多くなったと言えそうだ。なお1950年は、炭素14年代の「現在」(時間目盛りの原点)とされていることからも、時代の切れ目とするのにつごうのよい年代ではある。しかし、そうすると、Anthropoceneのこれまでの経過時間はやっと66年ということになり、地質時代区分の「世」をたてるにはあまりに短い気がする。

そういうわけで、わたしは、Anthropoceneは正式な地質時代区分にならないと予想している。

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正式な時代区分にしないならば、境目をひとつの時点にしぼる必要はない。Anthropoceneへの移行は、徐々に起きた、あるいは複数の段階を踏んで起きた、としてもよい。産業革命以外に ふしめ になりそうなものを列挙しておく。

人類がいつ出現した(と認定する)かはむずかしい問題だが、ヒト属(Homo)の生きた時代ならば、およそ二百万年前以後であり、厳密ではないが大まかには、第四紀(現在の定義によれば258万8000年前以後)と一致する。そこで第四紀は「人類の時代」と言われることがあり、正式名称の提案ではないが「人類紀」と言われることもあった。

Homo sapiensの出現は約20万年前らしいが今後の研究で認識があらたまるかもしれない。ともかくHomo sapiensが生きた時代を人類の時代とする考えはありうるだろう。

また、ヒトが狩猟や火の利用によって生物相に大きな影響を与えるようになったことを時代の変わりめとしてとりあげる可能性もあるだろう。

農業は約1万年前から行なわれていたことが知られており、農業のある時代は、厳密でないが大まかには、完新世と一致する。ただし、農業が世界規模に普及した時代となると、完新世のうちでも(これまでの)後半に限られるだろう。

ここで、Ruddiman [読書ノート]の説にふれておく。大気中の二酸化炭素やメタンの濃度が、農業などの人間による土地利用がおよぼす影響によって、人間活動がなかった場合に比べて高く保たれていた、という考えだ。もちろん、化石燃料利用が始まってからの増加に比べればわずかな量なので、ノイズレベルをこえて有意かどうかは研究者の間で意見が分かれる。この説がearly Anthropocene hypothesisと呼ばれることがあるようだ(出典未確認だが)。ここでAnthropoceneはCrutzenが想定したように大気成分を変化させる要因として人間活動が重要になった時代をさしている。もしAnthropoceneは農業とともに始まったと認識するならば、それは完新世とほとんど重なる時期をさすことになるので、地質時代区分として完新世と区別されるAnthropoceneをたてる必要はなくなるだろう。

人間が核エネルギーを利用する(あるいは自然にない放射性核種を生産する)ようになったことは、化石燃料を利用する(あるいは化学合成をする)ようになったことよりも重要な変化だという考えもありうる。この観点からの時代のふしめは1950-60年ごろになり、先にのべた工業化の影響が世界規模で明確になった時期と重なるだろう。

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Anthropoceneに関連して、もうひとつ論じておきたいことがあるのだが、ここまでの話と異質なので、別の記事として書くことにする。

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