【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】
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天気予報の可能性の限界などの話題に関連して、応用数学用語としての「カオス」 (chaos) の話をすることがある。カオスの概念の起源はいくつもあるのだが、そのひとつが、気象学者 Edward N. Lorenz [ローレンツ] による研究で、代表的論文は 1963 年に出ている。Lorenz 自身がそれを解説した本『カオスのエッセンス』 [読書メモ] がある。Lorenz のいうカオスの基本は、わずかなちがいが時間とともに拡大することである。俗に「バタフライ効果」とよばれるのは本来このことをさすらしいが意味が際限なく (カオス的に?) ひろがってしまったとおもう。このことばについては [2016-05-23 (勧めたくない用語) バタフライ効果 ] に書いた。
- Edward N. Lorenz, 1963: Deterministic nonperiodic flow. Journal of the Atmospheric Sciences, 20: 130-141. DOI: 10.1175/1520-0469(1963)020<0130:DNF>2.0.CO;2
- Edward Lorenz, 1993, paperback 1995: The Essence of Chaos. Seattle: University of Washington Press; London: UCL Press, 227 pp. ISBN 0-295-97514-8.
- [同、日本語版] E. N. Lorenz 著、杉山 勝、杉山 智子 訳, 1997: (ローレンツ) カオスのエッセンス。共立出版, 232 pp. ISBN 4-320-00895-2. [読書メモ]
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この「カオス」について授業でふれようとおもって関連の情報をウェブ検索しているうちに、わたしにとってあたらしい補足情報をみつけた (最初にどこでみつけたかわすれてしまったが)。Wikipedia 英語版 [ [ Edward Norton Lorenz ] ] の 「Chaos Theory」の節にも最近の加筆がある。情報のもとをさかのぼるとつぎの記事にであった。
- Joshua Sokol (2019-05-20) The Hidden Heroines of Chaos. The Quanta Magazine. https://www.quantamagazine.org/the-hidden-heroines-of-chaos-20190520/
Lorenz がはたらいていた MIT の (当時とは部署名がかわっているが) Department of Earth, Atmospheric, and Planetary Sciences (EAPS) には、Lorenz Center というものがつくられている。「ローレンツ記念室」ぐらいのところだろう。専任の人がいるわけではなく、EAPS の教員がせわやくをしている。
【Lorenz Center のウェブサイト https://www.lorenz.mit.edu/ があるが、Sokol の記事に対応する情報はない。2019年には講演会 (Lorenz に関するものではない) の情報がひとつあるが、そのころに更新がとまったようだ。そのサイトの Lorenz 著作目録もリンクぎれになってしまっている (EAPSのウェブサイトにしかけられた「404 Whoops… You’re in outer space.」というページにいく)。Wikipedia 英語版からのリンクで、別のURLにあったころの著作目録の Web Archive にあるコピーにたどりついた。https://web.archive.org/web/20190405185818/http://lorenz.scripts.mit.edu/wp/ed-lorenz/lorenz-publications/ 】
Lorenz Center のせわやくの Rothman 教授が記念講演の準備をしていて、Lorenz の論文の謝辞が気になった。
1959年ごろ Lorenz は計算機を導入した。当時としては小型計算機で desk computer とよばれていたが desk-top ではなく大きなつくえのような箱で、大きな音をたてるので研究室のオフィスとは別のへやにあった。Lorenz はそれを操作する (プログラミングにあたるしごともする) ために人をやとった。その人は1963年の論文の共著者にはならなかったが、Lorenz は論文の謝辞 (acknowledgement) で名まえをあげていた。Miss Ellen Fetter.
Rothman はこの人についての情報をさがした。Fetter が John Gille と結婚したという報道記事をみつけた。Gille といえば、MIT の同じ学科の大学院で1990年代に博士号をとった Sarah Gille という人がいて、University of California San Diego の海洋物理の教授になっている。Fetter はその Sarah Gille のお母さんで、Rothman は電話で話すことができた。
Fetter は数学を専攻して大学を卒業し職をさがして、1961年に MIT の Lorenz の研究室に採用され、それまで経験していなかった計算機のプログラミングをしたのだが、そのしごとをした最初の人ではなかった。
1959年に Lorenz の研究室が採用したのは、やはり数学を専攻して大学を卒業したばかりの Margaret Hamilton だった。Hamilton が別のプロジェクトにうつることになって、Fetter にしごとをひきついだ。Hamilton のつぎのしごとは MIT が空軍からうけおっていた軍事研究だったらしい。それから Apollo などの宇宙飛行にかかわるソフトウェア開発のしごとをし、ソフトウェア工学という専門分野をつくった人のひとりといえる。
Sokol の記事には Lorenz が謝辞に Mrs. Margaret Hamilton の名まえをあげている画像もしめされているのだが、どの論文からとったのかは書かれていない。Lorenz の 1960-62年の論文をいくつか見たが謝辞はなかった (研究費の出どころは論文の最初のページの脚注に書くスタイルだった)。まだ確認できていないのは 1960年に東京でひらかれた数値天気予報の会議の proceedings (初期値のわずかな差の拡大はそこでの Lorenz の発表の主題ではなかったが討論のなかでふれた) で、たぶんそれだと思う。
Fetter は、夫が Florida State University をへて Colorado州の National Center for Atmospheric Research にうつったのでいっしょに移住した。しばらく計算のしごとをしていたのだが、 育児のため退職し、そのあと計算機の知識を更新するために大学の授業をうけてみたが、別のしごと (税務) にうつることにしたそうだ。1960年代には計算機プログラミングは女性のしごととみられがちだったが、1970年代には男性のしごととみられがちになった、という社会の変化のあおりをうけたようだ。Sarah さんの世代になると、社会通念の問題はのこっているが、制度上は (日本式にいえば) 「男女雇用機会均等」になった。この社会の変化はこの人の件にかぎらず重要だとおもうのだが、ここではおいかけきれない。
【Sokol の記事からははなれるが、NCAR の John Gille さんは退職しているが名誉所員としてウェブページ https://staff.ucar.edu/users/gille がある。成層圏の大気成分と力学とにわたる研究をしていた人だ。京都大学の (さきに亡くなってしまった) 塩谷 雅人さんが在外研究で NCAR に行ったときに受け入れてくれた人で、塩谷さんとの共著が 1987年からはじまっていくつもある。】