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2024年11月 3日 金谷・牧ノ原を歩く

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】
【この記事は個人的おぼえがきです。専門知識の提供でも、意見の主張でもありません。】

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2024年11月3日、わたしは、浜松から東京に帰る途中、金谷 [かなや] でおりて、牧ノ原台地にのぼってみることにした。
(「牧ノ原」という表記については [別の記事] にする。)

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わたしは子どものころ (1960年代) 島田の大井川ぞい (蓬莱橋の近く) に住んでいたことがある。大井川の南側に (子どもにとっては) 山のようなものがあるように見えたが、それが牧ノ原台地だった。小学生のころ、そこに歩いてのぼったことはなかった。(遠足でそことは別の標高 300 m 台の山にのぼったことはあったのだが。) 学校行事や親戚の行楽などあわせて3回ぐらい、バスで行って、茶畑がひろがる平坦な土地を見た。下からみた山のようなものと同じとは思えなかった。(中学・高校生になって地形図を見るようになって、関係を理解した。)

それから55年ほど、新幹線で通過することや下から見上げることはあっても、台地上を歩いたことがなかった。

今回あるいたのは、地学巡検ではなく、気ままな散歩である。ただし、地球科学の専門家の習性というよりも、高校の地学クラブで (高校生なりに、こことは別の地域の) 地形の調査をしたことがあるので、標高の数値などを確認したくなることがある。といっても、地学クラブの調査ならば、たびたび立ちどまって地形図を確認したところだろうが、今回は、ほとんど地図を見ずに歩き (それで方向をかんちがいしてだいぶとおまわりしたこともあったが)、駅についてから、あるいは家に帰ってから、ウェブで「地理院地図」そのほかの地図サイトを見て情報を補足した。

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東海道線の各駅停車で金谷でおりる。金谷のJRの駅の出入り口は北側だけだ (それに接して大井川鉄道の金谷駅がある)。駅の標高は、あとでみた「マピオン」のウェブサイトによれば 92 mだ。駅は北東側に市街地や大井川を見おろす位置にある。地理院地図で確認すると、1960年代に国道1号線だった道 (旧東海道とも近い) の橋の付近の標高は約70 m (堤防の上に73mの三角点、低地に68mの水準点がある)、東海道線の橋のあたりの大井川の川原の標高は約 60 m、もうすこし下流の蓬莱橋あたりの標高は約 50 m だ。

駅の西側で線路を越えていく道がある。地図をみると国道473号線だ。線路にそって西にすすみ、473号線に合流して線路をわたって南にすすむ。

「東海道 金谷坂 石畳」の入り口がある。南東にむかう473号線からほぼ直角の南西にむかうのぼり坂だ。これが江戸時代の東海道で、その一部分の石畳が最近復元されたのだという。復元された石畳のところをすこし歩いてみたのだが、「山石」 (地学用語でいうと牧ノ原礫層の円礫) をならべて、わざとでこぼこした路面にしてあるようで、(いまのわたしの日常用の靴では) 自動車むけに舗装された斜面よりも歩きにくい。

「石畳茶屋」の前までもどって、南のほうにのびる農道 (と表現したが、おそらく市道になっているだろう、農業用小型トラックむけに舗装された道路) をのぼっていくと、平坦な台地に出た。

ほぼ全面、茶畑になっている。東西にのびる道路がある。あとで Google Map をみると「金谷お茶の香通り」という名まえがついていた。この道を東にむかう。塔があって、「牧ノ原高架水槽」という看板がでているのだが、塔の上に水槽は見あたらない。(おそらく、あたらしい農業用水は大井川の上流がわで水をとっているので圧力がじゅうぶんあって、いったん塔のうえに水をくみあげる必要がなくなったのだろう。) 高い鉄塔がいくつもみえる。あとでしらべると、テレビの中継アンテナだ。近くに地理院地図の 213.6 m の三角点がある。とおった道の標高もそれに近い。現在の大井川河床との標高差は 約 150 m だ。道なりに北東に進み、204 m の標高点をとおる。南側に県の「ふじのくに 茶の都 ミュージアム」がある。北側に「牧之原公園」がある。その北側が台地の端で、展望台になっている。また「静岡県 榛原郡 茶業組合 創立三十周年 紀年碑」と「茶祖 栄西禅師 尊像」がある。

公園の北側にすこしおりると473号線がある。谷すじをおりる道のほうが近いのだが迷いそうなので、473号線の車道の端を歩いて駅方面にもどる。

石畳道の入り口まで来て、その反対の北東方向へ坂をおりる。旧東海道だ。「金谷大橋跡」の看板がある。そしてJR金谷駅の南側にでる。(駅の出入口はない。)

駅の南側を線路にそってすすむと右手に「長光寺」の入り口がある。長光寺は1644年に開かれた日蓮宗のお寺だ。この日、本堂は、ガラスごしに中をみることはできたが、しまっていた。「南無妙法蓮華経 身延山 七十八世 日良」という碑があった。(碑の年代は裏側をみればわかったもしれないが見なかった。日良が身延山の長であったのは 19-00 年代ごろだ。) 境内の芭蕉の句碑が観光名所になっている。芭蕉が1684年に来たときよんで『野ざらし紀行』に収録された句だが、碑がたてられたのは 1956年だそうだ。

駅の東側 (島田寄り) の線路をくぐる地下道をとおって、駅にもどる。