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「チバニアン」= 第四紀 更新世 千葉期(仮称)

【[2020-01-18 追記] [2020-01-18 「チバニアン」公認]もごらんください。】
【この記事は まだ 書きかえることがあります。 どこをいつ書きかえたか、必ずしも示しません。】

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わたしは、この話題の狭い意味の専門家ではなく、詳しい知識はない。しかし、第四紀学会会員でもあるし、地学概論のような授業を担当することもあるので、広い意味の専門家として、大まかな解説を書いておきたいと思う。

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千葉県にある地層が、世界の地質年代の区分の標準として使われることになりそうだ、というニュースが出た。ただし、まだ決まったわけではない。

ひとまず、ニュースのもとになったプレスリリース(報道発表)を紹介しておく。

そこにも紹介されているが、その前にこの発表があった。

6月7日の記事のほうに、その根拠となる学術論文が3つ参照されている。そのうち2つめの論文の筆頭著者である菅沼悠介さん(極地研)の仕事については、次の紹介記事もある。

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地球の歴史を考える際には、時間軸の目盛りが必要だ。そして、それには世界じゅうで共通な標準がほしい。

時間軸の尺度は、物理学で決められた時間の単位ではかればよい、という考えもある。これが「絶対年代」だ。時間の国際(SI)単位は「秒」だ。地球の歴史では「今からなん年前」という言いかたをする。「年」と「秒」との比率は定数として決められている。時間軸の原点としての「今」がいつかが問題になる場合(地球史のうちでは新しい時代を扱う場合)には、西暦1950年の初めを原点にとることが多い。

しかし、地層や岩石に残された過去の地球についての証拠を扱う場合、いつも絶対年代を決められるとは限らないし、決められても不確かさをもち、測定しなおせば数値が変わるかもしれない。絶対年代の推定方法が今ほど発達しないうちから、地層や岩石の年代の理解は、相互対比で進んできた。地層のかさなりあいかたから、どちらが新しいか決められることがある。生物の化石の種(しゅ)のちがいから、ある種が生きていた時代、それがまだいなかった時代、絶滅したあとの時代を区別できる場合がある。そのようにして「相対年代」がわかる。そして、限られた地点ででも絶対年代がわかれば、相対年代の尺度に、絶対年代の数値がはいる。

相対年代は、はじめは地域ごとに考えられたが、しだいに世界じゅうで統一した標準がつくられてきた。今では、国際地質科学連合(International Union of Geological Sciences、IUGS、学会の連合であって政府間機関ではない)の決定を、学者も政府も尊重する習慣ができている。

相対年代の体系は、地質時代の区分という形をとっている。連続した時間軸を区間に分けるのだ。区間は階層的に細分されていく。それぞれの区間つまり時代には、大きいほうから、代、紀、世、期ということばの前に固有名がつくような名まえがついている。(日本語で「紀」と「期」が同じ音であるのは、学術用語の名づけかたの失敗だと思うが、簡単には変えられなくなっている。固有名をふくめればまぎれることはない。) それぞれの時代に対応する地層は、界(代)、系(紀)、統(世)、階(期)の前に同じ固有名をつけて呼ばれる。

(この時代区分の説明は、Wikipedia 日本語版の「地質時代」の項がよくできていると思う。)

しかし、相対年代の決めかたのほうから考えると、基本は、時間軸の区間である時代ではなく、時間軸上の点である、時代と時代の境目 (地質学の用語ではないが「画期」と呼んでおく)のほうだ。画期として選ばれるのは、ある場所(「模式地」と呼ぶ)の地層で何かあきらかな事件が起こっていて、必ずしもその事件自体ではなくてもよいが、それとの前後関係を判定しやすい変化が、世界のなるべく広い地域で起こっているような状況だ。それは、生物種が大はばに入れかわる事件であることが多く、その前後で、温度、乾湿、海洋の溶存酸素などの環境の物理量も大きく変わっている(と推定されている)ことが多い。しかし、時代画期として選ばれなかった時期に同様に大きな変化がなかったとはかぎらない。

相対年代の標準のために、IUGSは、国際標準模式地 (Global Boundary Stratotype Section and Point, GSSP)を決める。ただし、これはまだすべての画期について決まっているわけではなく、学問的知見が定まっていくのをふまえて順次決めていく。

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地質時代のうち最近の「紀」である「第四紀」は、その大部分をしめる「更新世」と、最近約1万年 (詳しくは11784年とされる) の「完新世」に分けられる。その「更新世」は長いあいだ、「前期」「中期」「後期」と分けて認識されてきた。

2009年に第四紀の始まりの画期が改訂され、ジェラシアン(Gelasian)期が新第三紀の鮮新世から第四紀の更新世に編入された。

それから、これまで「更新世前期」と呼ばれていた時期は、模式地を含むイタリアのカラブリア地方にちなんで、カラブリアン(Calabrian)期と呼ばれるようになった。

更新世の「中期」「後期」にはまだ名まえがついていないが、カラブリアンと中期とのあいだのGSSPが決まったら、「中期」にはそのGSSPにちなんだ名まえをつけようということになった。

カラブリアンと「中期」との画期は、地磁気が逆転した時期に合わせようということになった。地球の歴史のなかでは、地磁気の極がたびたび逆転したことがわかっている。約77万年前に、磁極が今とは逆の「松山逆磁極期」[次の4節参照]から、今の向きの「ブリュンヌ(Brunhes)正磁極期」に移った。過去の地磁気は、火成岩のほうがわかりやすいのだが、近ごろは堆積岩でも地磁気の向きが判定できる。地磁気はグローバルな現象だから、世界規模の対比に適している。(ただし、磁極逆転の前後で、物理的環境にも生物相にも大きなちがいがあるわけではない。)

この画期のGSSPに適したところは、地層の堆積が連続して起こっており、しかも堆積速度が速く(したがって記録の時間分解能がよく)、地磁気逆転が明確に認識でき、その年代が精密に測定できるところだ。その自然条件にめぐまれたところが日本の千葉県にあり、日本は、そのサンプルをとって地磁気や年代を測定する意欲と技術をもつ人びとがいるという社会条件にもめぐまれていたので、その地点をGSSPの候補として提案することができたのだ。

11月14日の極地研のプレスリリースによれば、このGSSPの候補には、ほかに、イタリアから2つの地点があげられたのだが、11月12日の「下部−中部更新統境界作業部会」で、3つのうちから千葉の地点を選んで上位の委員会に提案することになったのだそうだ。これから「第四紀層序小委員会」、「国際層序委員会」を経て、IUGS全体としての決定に至る。その日程はまだ決まっていないが、少なくとも1年はかかるだろうとのことだ。それで千葉の地点に決まる可能性と、未定のままになる可能性がある。

専門家にとってはGSSPがどうなるかが大事なのだが、波及効果としては時代名のほうが大きいかもしれない。GSSPが千葉の地点に決まれば更新世中期はそれにちなんだ名まえで呼ばれるようになるし、未定ならば「中期」のままになる。

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地質時代のあいだに地磁気が逆転したことを学術的に述べたのは、1920年代、京都大学につとめていた松山 基範(Matuyama Motonori)だ[注]。これは、日本が世界の自然科学に貢献した早い例としても、地球物理学と地質学の両方にわたる学術研究の例としても、注目にあたいすることだと思う。

  • [注 (2018-02-13)] (この記事の初版では「最初に」と書いてしまったが) 逆転したことを最初に述べたのは1900年代のフランスのBrunhesであり、松山の業績は、多数の地点の岩石残留磁気を使ってそれを確実にしたことだ (と認識をあらためた。ただし暫定的)。

地磁気の逆転がくりかえしたことが知られてから、磁極の向きが今と同じで持続した時期、それと逆で持続した時期をそれぞれ「正磁極期」「逆磁極期」と呼び、地磁気に関する理解に貢献した人の名まえをつけて呼ぶことになった。松山の名まえは実際に彼が対象とした時代につけられることになったが、他の人名はとくに研究対象と関係なくつけられている。

なお、Brunhesという人の名まえは、日本語圏の学術文献ではながらく「ブリュンヌ」と書かれてきた。フランス語読みによったのだと思う。本来の読みかたはちがうという説もあるのだが、はっきりしないので、ここでは慣用どおりにしておく。

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千葉にちなんだ時代名については、いろいろ思うことがあるのだが、それは専門家としての解説ではなく個人としての意見になるので、別記事にする。