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日本語ローマ字、とくに、マ行・バ行・パ行のまえの「ん」について

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしも しめしません。】

【わたしはこの主題の専門家ではありませんが、しろうとのうちでは知識のある人として、解説しようとしています。この記事でのわたしの主要な意見は、(最後でも最初でもなく) 2c 節の最後にあります。】

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日本語のローマ字のつづりかたには「訓令式」と「ヘボン式」があることはよく知られているだろう。そのちがいは、五十音表に濁音・半濁音をくわえた、かなならば1文字で書かれる「直音」と、かながきならば五十音表のイ段のかなに小さい「ゃ、ゅ、ょ」をつけて書く「拗音」の表のかたちでしめされる。

日本語をローマ字でかくためには、そのほかに、長音、「撥音」(かなでは「ん」)、「促音」(かなでは小さい「っ」) をどう書くかを指定しなければならない。それは、「訓令式」か「ヘボン式」かだけではきまらない部分がある。それぞれのうちに変種があるのだ。

訓令式の標準文書には、[2024-09-02 日本語ローマ字表記の「訓令式」についてのおぼえがき (資料リンク集) ] でのべたように、1937年の訓令と、1954年の訓令にともなう告示の「第1表」がある。両者で、直音、拗音、撥音、促音の書きかたは同じである。しかし、長音をあらわす記号が、1937年訓令では横棒 (マクロン)、1954年訓令では山形 (アクサン シルコンフレクス) である。また、「ん」のあとにア行またはヤ行がつづくばあいをナ行と区別するための分離記号が、1937年訓令では「-」(ハイフン)、1954年訓令では「'」 (アポストロフ) である。

この長音記号と分離記号についての不統一は、ヘボン式のうちにもあり、ヘボン式を採用するときめるだけではきまらない。

[2025-03-13 日本語のローマ字つづりかたについての国の審議会のうごき (2025年3月) ] で紹介した、文化審議会 国語分科会 ローマ字小委員会 の 2025年3月11日の会議に出された「ローマ字のつづり方に関する今期の審議のまとめ (案)」では、直音・拗音の表記はヘボン式、長音記号は横棒、分離記号はアポストロフを標準としようとしている。

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ヘボン式のうちには、このほかにもちがいがある。それを区別するために「修正ヘボン式」 (英語では modified Hepburn system) のような表現がつかわれることもあるが、その語の意味づけも人によってちがうので、その語をつかっただけではかならずしも表記方式を特定したことにならない。

いちばんおおきなちがいは、「ん」をつねに「n」とするか、m, b, p のまえ (五十音でいえば、マ行、バ行、パ行のまえ) では「m」とするか、だ。

- 2a -
ヘボン式のもとは、James Hepburn が和英辞典『和英語林集成』に採用したつづりかただが、それも『和英語林集成』の版によって変遷している。[2024-08-13 日本語ローマ字表記 (「ヘボン式」そのほか) をめぐる おぼえがき (資料リンク集) ] で紹介した、明治学院大学の「和英語林集成デジタルアーカイブズ」に「和英語林集成各版ローマ字対照表」がある。ヘボン式は 1886年の『和英語林集成』第3版で完成したといわれる。それには、1884年に結成された「羅馬字会」が 1885年に出した『羅馬字にて日本語の書き方』の方式がとりいれられている。そこでは m, b, p のまえの「ん」は「m」とされている。

また、現在、日本の行政のうちで旅券 (パスポート) を発行する現場で、人名をどのように書くかのマニュアルには、「ヘボン式」が標準とされ、 m, b, p のまえの「ん」は「m」とされている。(ウェブ検索で見つかるのは都道府県の窓口のマニュアルばかりなのだが、根拠は外務省の「旅券法施行規則」なのだそうだ。わたしはまだそれを確認していない。)

さらに、現在おおくの人がみる日本語ローマ字書きとして、鉄道の駅名があるが、それはほとんどのばあい、m, b, p のまえの「ん」は「m」とされている。たとえば「新橋」は「Shimbashi」とされている。鉄道会社ごとにローマ字表記の指針があるとおもうが、わたしはそのような文書を知らない。Wikipedia 日本語版「ヘボン式ローマ字」 (2025-04-30 閲覧) によれば、根拠は国の運輸省が1947年に出した「鉄道掲示規程」だそうだ。

なお (わたしが職業上必要とする) 気象観測地点の地名のつづりについて、気象庁の指針は見あたらないのだが、気象庁が発表している実例をみると、たとえば「紋別」を「Mombetsu」とするなど、m, b, p のまえの「ん」は「m」とされている。

- 2b -
しかし、1906年に「ローマ字ひろめ会」がだした「標準式」では「ん」をつねに「n」とした。

現在の国の標準文書である 1954年訓令の第2表にしたがうならば、直音・拗音の表記はヘボン式であるが、「ん」はつねに「n」である。

1954年に研究社がだした『新和英大辞典』 第3版の見出し語のつづりかたでも、「ん」はつねに「n」である。これが英語圏の日本語研究者の事実上の標準となったといわれる。そして、「アメリカ図書館協会およびアメリカ議会図書館のローマ字表記法」に採用された。これは「ALA-LC Romanization Tables」( https://www.loc.gov/catdir/cpso/roman.html ) のうちの Japanese の表で、その現行版 (2025-04-30現在) は 2022年につくられ、「Earlier versions: 2016, 2012, 2011, 1997」があるとのことだ。

国土地理院の2004年の標準 (つぎの文書に収録されている) でも「ん」はつねに「n」としている。

文化審議会 国語分科会 ローマ字小委員会 の 2025年3月11日の会議に出された「ローマ字のつづり方に関する今期の審議のまとめ (案)」でも、「ん」はつねに「n」としている。

- 2c -
英語など、西洋の言語の話者にとって、m, b, p のまえの「ん」は「m」、n, d, t のまえの「ん」は「n」という別の音として認識されるのだとおもう。(それ以外の音のまえの「ん」がどちらにきこえるか、あるいはどちらとも別の音にきこえるかは、個人によってまちまちかもしれないが。)

しかし、おおくの日本語話者が話すとき、「ん」の音を、つぎにマ行、バ行、パ行がくるかどうかによってつかいわける意識はないだろう。おなじように「鼻にぬく音」をだそうとして、くちびるや舌がどの位置にあるかが前後関係によってちがっているだけなのだ。

日本語のローマ字表記の方式としては、どちらかといえば、日本語話者の感覚を重視して、「ん」はつねに「n」としたほうがよいと、わたしはおもう。

- 3 -
促音のローマ字表記は、子音字をかさねるのが基本となっている。

しかし、ヘボン式で「ッチ」は「cchi」ではなく「tchi」とするのが慣例となっている。

ところが、文化審議会 国語分科会 ローマ字小委員会 の 2025年3月11日の会議に出された「ローマ字のつづり方に関する今期の審議のまとめ (案)」では、原則どおり「cchi」としている。1954年訓令では促音については原則だけをしめしたから、もしその第2表のヘボン式つづりを標準として採用したならば、「ッチ」は「cchi」となるはずだ。2025年3月のまとめ案は、それをひきついだのかもしれない。

しかし、わたしの知るかぎり、「cchi」というつづりは見なれない。イタリア語にはあるが、その音は「ッキ」のようなものだ。「ッチ」を「cchi」とするのは、ヘボン式を採用することではなくあらたな標準をつくることであり、日本語をローマ字で書く人口自体がすくないなかでそれを推進するのは、無理があるようにおもう。

ただし、情報機器へのローマ字かな変換入力方式として、促音は子音字をかさねて打つという習慣ができており、「チ」を「chi」と打つので、「ッチ」を「cchi」と打つ人はいるだろう。いまや、そちらを、ローマ字つづりとしての慣例よりも重視すべきだというかんがえならば、理解できる。 【ローマ字かな変換入力がそう変換するようにつくられているとはかぎらず、ためしに手もとの MS IME でやってみても「macchi」で「まっち」がでてこないのだが。】