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納得のいかない完新世の細分「メガラヤン」など (2)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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[2018-07-25 納得のいかない完新世の細分「メガラヤン」など]の話題のつづき。

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日本第四紀学会の『第四紀研究』 59巻6号に、平林・横山の総説がのっている。これで、2018年7月にIUGS (国際地質科学連合)の国際層序委員会(ICS)がきめた完新世の細分がどのようなものかわかった。総説の 表1 をわたしの理解した形で書きなおすとつぎのようになる。

時代画期年代 (西暦2000年を基準)模式地
完新世後期 Meghalayan の始まり4250年前インド メガラヤ州 Mawmluh洞窟の石筍
完新世中期 Northgrippian の始まり8236年前グリーンランド氷床 NGRIP1 コア
完新世の始まり11700年前グリーンランド氷床 NGRIP2 コア
なお、年代は西暦2000年から何年まえかでしめされ、「b2k」と略されることがある。炭素14年代のBPが1950年を基準とするのとは50年ずれている。

ここでは、この総説を読んでわかったことをわたしなりにのべ、わたしの感想・意見をそえる。

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完新世の始まりは、Younger Dryas (YD)期のおわりの北大西洋周辺でみられる急激な温暖化の時期とした。そのうちで明確な変化として、グリーンランド氷床の NGRIP2 コアにみられる、水素同位体比と酸素同位体比をくみあわせた d-excess という量の急激な低下をとった。その年代は、NGRIP、GRIP、Dye-3 の氷床コアをくみあわせて同位体年縞をかぞえることで得られ、誤差は 99年とみつもられている。d-excessの減少は、グリーンランドに雪をもたらす水蒸気の供給源となる海面水温の低下にあたるが、これは寒冷化ではなく、降水の供給源が高緯度側にうつったことだと解釈されており、世界の気候にとっては温暖化に対応すると考えられている。

氷期の状態から間氷期の状態への変化は、あきらかに時代の変わりめだといえるが、数千年かかっている。そのなかで時代画期をこまかくきめる必要があることを前提とすれば、おもな特徴は北大西洋周辺の寒冷期ではあるものの全世界におよんだ現象といえる YD に注目して、YDの終わりを完新世のはじまりとするのは、もっともな決めかただと思う。日本でも、水月湖の花粉の組成から、急激な気温上昇がみられるとのことだ。

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約8200年前に、グリーンランドの複数のコアの氷床コアの酸素や水素の同位体比に、160年程度つづいた寒冷期とみられるシグナルがある。そのうち NGRIP1 コアの酸素同位体比がもっとも下がった層位を時代画期にとることにした。年代は、複数のコアの年縞のくみあわせから、8236年前ともとめられ、誤差は47年とみつもられている。

このイベントは全球規模のものと考えられている。たとえばブラジルの複数の洞窟の石筍の酸素同位体比がこの時期に低下していて、「南アメリカの夏のモンスーンの強まり」と考えられている (むしろ、サンプルをとられた地域が湿潤あるいは温暖になったということなのだと思う)。平林・横山の本文137ページでは、この時期にインドや東アジアの夏のモンスーンは弱まったとされている(むしろサンプルをとられた地域の乾燥化あるいは寒冷化だろう)。しかしその例として図5 (136ページ)の(e)にあげられている中国のDongge洞窟の石筍の酸素同位体比のグラフは、8300年前ごろと8100年前ごろに「モンスーンが弱い」ほうにふれており、8200年前ごろは相対的に「モンスーンが強い」ように見える。

このイベントは、北アメリカのローレンタイド氷床の融解の過程で、大量の淡水が北大西洋に流入したことによっておこったと考えられている。

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約4200年前に、世界の亜熱帯のあちこちで乾湿の変化が見られた。そのうち、インドのメガラヤ州のMawmluh洞窟の石筍では、4353年前から3888年前まで、酸素同位体比が前後にくらべて高まっており、「夏のモンスーンが弱かった」(降水量が少なかった)と解釈されている。これを4250年前の層準で代表させた。石筍が年代の境界模式層に採用されるのははじめてのことである。(石筍の環境変化の記録としての意義はわかるが、地層として追跡できないものを時代画期の代表にとることが適切なのか、わたしは疑問に思う。)

副模式地として、カナダのMt. Logan (北緯61度、西経141度)の氷河のコアがとりあげられている。4250年前から3950年前までの間、氷の酸素同位体比が低い値をしめしており、ここでは東太平洋からの水蒸気供給が多かったと考えられている。

平林・横山の図9 (140ページ) の説明文には「インドモンスーンおよび東アジアモンスーンの弱化と同期してITCZが南下した」と書かれている。しかし図9のグラフをみると、東アジアモンスーンの例となっているDongge洞窟の酸素同位体比(出典はDykoskiほか 2005年の論文)から「夏のモンスーンの弱まり」とされるむきのわりあい大きな変化はおよそ3500年前ごろ(Mawmluhの乾燥期がおわったあと)に見えるし(ただしDonggeの別のサンプルをあつかった文献の図の印象はまたちがう)、ITCZ (熱帯収束帯)の位置の指標とされるベネズエラのCariaco海盆の堆積物のチタン含有量は4200年前ごろから3000年前ごろまで振動しながら徐々に減少しているように見える。千年ぐらいの時間分解能では同期しているといえても、百年の時間分解能では同期していないというべきだろうと思う。

このイベントのメカニズムはまだよくわかっていない。

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8200年まえと4200年まえに、百年ぐらいの時間スケールで、地域によって強さはまちまちだが全地球規模と考えられる気候変化のイベントがあったことは確からしくなってきた。それを「8.2 ka event」「4.2 ka event」とよぶのもよいし、固有名をつけたければつけるのもよいだろう。ただし世界のいろいろな場所で見られたできごとの同時性については、まだまだ検討が必要だろう。

しかし、この2つのイベントを完新世の前期・中期・後期をわける時代画期にするのは、うまくないと思う。

平林・横山の図9、とくにその (a)(b)(c) をおおまかにみると共通性があり、北半球の熱帯の夏のモンスーンの強さ (および、ITCZの北半球側へのかたより) が、8千年前ごろを頂点として、それまで上昇し、そのあとは下降している、と まとめられるようにみえる。それは、モンスーンのしくみのほうから、地球の軌道要素の変化によって北半球の夏の(大気上端にはいってくる)日射量が1万年前ごろから減少していることと、8千年前ごろまではまだ北アメリカに大陸氷床があったことによって、説明できそうに思える。このような観点から、北半球の夏のモンスーンがつよまっていった時期を完新世の「前期」、よわまってきた時期の前半を「中期」、後半を「後期」とよぶのは妥当かもしれない。しかし、日射量の変化はなめらかであって明確な画期はない。8200年前にイベントがあるのはみとめたとしても、その前の時代と後の時代に明確なちがいはないので、このイベントは時代画期ではないだろう。4千年前ごろに気候変動のベースが変わったとみることはできるかもしれないが、もしMawmluhでなくDonggeを模式にとったら、時代画期を3500年前ごろにとりたくなるだろう。

わたしは、ICSがこのように決定したという社会的事実は尊重するけれども、自分の用語としては「グリーンランディアン」「ノースグリッピアン」「メガラヤン」をつかいたくないという考えは変わらない。

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