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アメリカ合衆国の気象データセンター NCEI (NCDC)、大雨災害でサービス停止中

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】
【この記事は、気象・気候の専門家としての話題と個人的な話題がまざっています。】

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[2024-10-04 補足] NCEI のウェブサイトは、2024年 10月 4日 には再開している。しかしその機能には回復していないものもある。
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2024年 9月 28日 (土曜)、Twitter を見ていたら、アメリカ の North Carolina 州 Asheville という、見たことのある地名がでてきた。(かたかなでどう書くか、まよう。いまあらたに英語から転写するならば v を「ヴ」で書くことにして「アシュヴィル」としたくなるが、まえからの習慣では「アッシュビル」だ。)

大雨で、洪水や土砂くずれがおきて、その町とまわりとの道路がみんなとおれなくなっている、停電しているのでネットへの発信も公共図書館などかぎられたところからしかできない、ということだった。大雨はおもに 27日 (金) にふったらしい。Helene という強い熱帯低気圧 (アメリカだから「ハリケーン」) が、フロリダ半島の西のつけね付近に上陸し、北に進んで Asheville 付近をとおった。Asheville に住んでいた人たちにとっては経験したことのない洪水だったが、同様なものが記録にないわけではなく、1916年7月16日にあったそうだ。わたしはこの熱帯低気圧の事例をくわしくおいかける予定はいまのところないのだが、しごと上の縁のあるところなので、気にかかっている。

ハリケーンが地球温暖化によってできたわけではないが、地球温暖化が進行していたことによって雨がはげしくなったことはたぶんたしかだろう。まだそのことが論証されたわけではないが、地球温暖化の科学についての大学教科書も書いている Andrew Dessler さん (Texas A & M 大学) が、ブログ記事でそのような意見をのべているのを紹介しておく。

Desslerさんの著書についてはつぎのリンクさきの読書メモとさらにそこからリンクされた英語版についての読書メモをみてほしい。

  • アンドリュー E. デスラー 著, 神沢 博 監訳, 石本 美智 訳, 2023: 現代気候変動入門 — 地球温暖化のメカニズムから政策まで。名古屋大学出版会, 321 pp. ISBN 978-4-8158-1130-3. [読書メモ]

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わたしは、Asheville という地名を、1980年代に、郵便のあてさきとしてなんども書いた。それは、Asheville に、気象庁にあたる機能をふくむ NOAA (海洋大気庁) の気象に関するデータセンターがあって、そこからデータを (大型計算機用の磁気テープの形で) とりよせたからだ。

そのデータセンターは、ながらく National Climatic Data Center (NCDC) というなまえだった ("Climate" でなく "Climatic" なのは、1979年ごろよりもまえにつけられたなまえにはありがちなことなのだ。) 2015年に、Colorado 州 Boulder にある National Geophysical Data Center (NGDC)、Maryland 州 Silver Spring (Washington DC 郊外といってよいだろう) にある National Oceanographic Data Center (NODC) と組織上合併して National Center for Environmental Information (NCEI) というなまえになり、ウェブサイトは www. ncei. noaa. gov となったが、 ncdc. noaa. gov のドメイン名のページものこっている。

NCEI のうち Asheville にある 旧 NCDC は、おもに地上観測によってえられた、リアルタイムでない気象データを保管・編集・提供するところだ。衛星観測によるデータをあつかうところは NOAA のなかでも別のところで、ウェブでの入口は www. nesdis. noaa. gov だ。(組織上は NCEI も NESDIS の下になっているが、外の人が NESDIS というとだいたい衛星データの件になる。)

NCEI (旧 NCDC) で編集・提供されているデータセットの一例である GHCN (Global Historical Climatology Network) には、[(2022-08-19) 地上気象観測データセット GHCNd に見られた 1968年夏のラサ (Lhasa) の異常値] の記事でふれた。

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Asheville の 1916年の大雨の降水量を確認しようと思ったのだが、わたしが知っているアメリカの過去の気象データの源は NCDC だ。そして NCEI の ウェブサイトにはつながらない。NCDC の建物が直接に洪水の被害をうけたわけではないとおもうが、Asheville のまちじゅうが停電して、サーバーがとまっているにちがいない。www. ngdc. noaa. gov にはつながり、10月1日に見たら NCEI のサイトがとまっているというお知らせがでていた。www. nodc. noaa. gov にはつながらない。Silver Spring のデータアーカイブは無事のはずだが、ウェブサイトが NCEI のサイトの一部として管理されているからなのだろう。

NOAA の過去の気象データは、National Center for Atmospheric Research (NCAR) にもあるにちがいないが、わたしは NCEI の回復 (というよりも Asheville の都市機能の回復) をまつことにする。

- 3A [2024-10-05 補足] -
手もとにある GHCN-daily データセット (2022年2月に NCEI ウェブサイトからダウンロードしたもの) の降水量をみてみることにする。地点表に ASHEVILLE NC をふくむ地点名はたくさんあるが、1916年のデータをふくんでいるのは 地点番号「USW00013872」だけのようだ。そのファイルの降水量観測値は 1876年8月からはじまっている。1916年7月の毎日の降水量はつぎのとおり。

3, 53, 0, 15, 0, 0, 25, 528, 307, 104, 13, 3, 10, 64, 381, 279, 97, 0, 124, 0, 20, 94, 0, 89, 18, 41, 0, 86, 3, 0, 0

8日と15日に2回のピークがあり、どちらもそれから3日間、約100 mm/日 以上の雨がふりつづいたのだ。

「Asheville 1916」でウェブ検索してみたら、地元の歴史博物館の記事がみつかった。今回の大雨よりもまえにかかれたものだ。

8日に tropical storm、15日にもうひとつの storm がきた、そして 16日に洪水になった、と書かれている。

このキーワードでウェブ検索してかかる記事は、2016年に100年まえの災害をふりかえるという趣旨でかかれたものがおおいようだ。

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Asheville に行ったのは 2003年か2004年で (記録がすぐにでてこない)、GEWEX (Global Energy and Water cycle EXperiment、いまは Global Energy and Water EXchanges program になっている) の下の、全地球規模のエネルギー収支項のデータセットにかんする共同研究の会議だった。会場は主要メンバーのまわりもちだったが、その成果のデータセットや比較対象のデータを保管し提供するやくわりを NCDC がひきうけていたから、その回は Asheville でひらかれたのだ。

そこでの発表材料ではないが、それと共通の部分をふくむ研究発表の材料を、わたしのウェブサイトに置いている。

ここにでてくる ISCCP FD (International Satellite Cloud Climatology Project, Flux data D series) や SRB (Surface Radiation Budget) データセットは衛星観測にもとづいて地表面の放射フラックス値を推定したもので、会議にはそのデータセットをつくった人たちがきていたのだった。(わたしはこのたぐいの研究をまとめた論文を書かないままきてしまった。いささかなさけない。)

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そのときは、Atlanta からローカルの飛行機で往復し、NCDC がある連邦政府合同庁舎で会議に出て、市内のホテルにとまった。野外を歩く時間はほとんどなかったが、市内を流れる French Broad River を見に行くことだけはした。わたしは、このまちの立地が、子どものころに住んでいた静岡県の島田とにていると感じた。しかし、島田は大井川が山地から平地にでてくるところだが、考えてみると Asheville はそうではなかった。わたしは大陸の大河川の水収支をあつかっていたから、流域面積で世界第3位、温帯にかぎれば第1位の Mississppi 川の流域のひろがりを知っていた。French Broad River は Tennessee 川に合流し、それは Ohio 川 をへて Mississippi 川に合流するのだ。だから Asheville 市内を流れる French Broad River は低い平地に出ていくのではなく、高めの平地からアパラチア山脈をきざむ谷にはいっていくのだった。

川ぞいに、おそらく19世紀末か20世紀はじめの工場のたてものがあり、いったん廃墟となったが歴史遺産として再開発されているらしかった。綿紡績工場だった。綿が栽培されている地域にちかく、水と水力がえられるところに立地したにちがいない。わたしの父も綿紡績の会社につとめていて、島田に住んでいたのはその工場があったからだった。もっとも、島田の工場は第二次大戦のあとにできたものだったから、それをふくむ日本の綿紡績産業が安く製品をだすことによって Ashevilleの綿紡績産業を衰退させたという関係なのかもしれない。

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NCDC がいつはじまったのか、NCEI のサイトが見られないので、ひとまず Wikipedia 英語版 の National Climatic Data Center の項目をみた。1934年に、連邦政府が、気象データをパンチカード処理するために、New Orleans (Louisiana 州) に施設をつくった。それが 1951年に Asheville に移転した、ということだ。 当時のなまえは National Weather Records Center で、1967年に NCDC になった。

1951年ごろは、まだ統計処理に電子計算機はつかわれていなかったが、パンチカード機械はつかわれていた。データをパンチするためには、おおぜいの労働者が必要だし、パンチカード機械にはそれなりの電力も必要だ。Asheville はその条件にあっていたのだろう。その条件にあうところはたくさんあるはずで、ここがえらばれたのは偶然だとおもうが、Ashevilleの人びとにとっては綿紡績産業にかわる雇用者になっただろう。