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ディエゴガルシア (Diego Garcia) をふくむ チャゴス (Chagos) 諸島がモーリシャス領になる (予定)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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2024年 10月 3日、イギリスが、領有しているインド洋のチャゴス (Chagos) 諸島について、モーリシャスにひきわたす決定をした、というニュースがながれた。そのまえ、2019年に、国際司法裁判所がモーリシャスの領有の主張をみとめる勧告をし、(ひとまず Wikipedia 日本語版「チャゴス諸島」の情報によるが) 国連総会がイギリスに支配をおえるよう決議したにもかかわらず、イギリスはこれまでしぶっていたのだった。

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わたしは2017年に何かのニュース (国際司法裁判所が審議をはじめたことだったかもしれない) を見て、チャゴス諸島に領有権のあらそいがあることを知ったのだが、チャゴス諸島という地名は知らなかった。しかし、その諸島のうちでいちばん大きい島 (といっても面積 36 平方キロメートルだそうだが) の ディエゴ ガルシア (Diego Garcia) という名まえには聞きおぼえがあった。

それはたぶん、1980年代ごろ日本気象学会の熱帯気象の研究発表ででてきた観測地点名だった。赤道付近で上空の気象の観測をしているところとしては、シンガポールとナイロビがあるが、その中間のインド洋上の観測値もほしい。モルディブの南端のガン (Gan) がほぼ赤道直下なのでそれがつかえればよいのだが、そこの観測がおこなわれていないときに、南緯7度のディエゴガルシアがつかわれていたのだったと思う。(あるいは、緯度のちがうガンとディエゴガルシアを併用してややくわしい風の分布を論じていたのだったかもしれない。) そのときわたしは観測をどの国がしているか気にとめなかった。

2017年のニュースをみてしらべたら、ディエゴガルシアは、イギリス領なのだが、アメリカ軍の基地が1966年以来つづけておかれている。(50年契約で、さらに20年延長になっている。) 気象観測をしているのはアメリカ軍にちがいない。なお、ガンのほうは、1976年までイギリス軍基地がおかれていた。いまはモルディブの気象庁が上空の気象観測をしているが、とぎれた時期があったにちがいない。

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チャゴス諸島は、いまのところまだ British Indian Ocean Territory (イギリス領インド洋地域) である。この Territory は 1965年に設定された。(それまではモーリシャスとおなじ行政単位だったのだが、モーリシャスの独立 (1968年) にさきだって分離された。) 1976年に セーシェル (イギリス領だったがこの Territory とは別に統治されていた) が独立する際に 3つの諸島がセーシェルといっしょになり、チャゴス諸島だけがのこった。チャゴス諸島の住民は 1967年から1973年までに移住させられてしまい、いま住んでいるのはアメリカ軍とイギリス軍の軍人だけだそうだ。

この Territory は インターネットの国別コードトップレベルドメイン「.io」をもっている。「io」という文字列は情報処理関係者にこのまれるから、このドメイン名はチャゴス諸島と関係があるとはおもえない いろいろな会社や団体につかわれている。さいわい略号に「British」がふくまれておらず、インド洋の島にはちがいないから、モーリシャス領になってもドメインはそのままつづけられるだろう。

チャゴス諸島の位置は、北にあるモルディブ、西にあるセーシェルにくらべて、南にあるモーリシャスからは遠いので、たとえ 1965年よりまえにモーリシャスとおなじ行政単位だったとしても、モーリシャスが領有権を主張し、それが国際的にみとめられるのは、わたしには奇妙におもわれた。しかし、チャゴス諸島の旧住民の多くがモーリシャスに住んでいるのならば、もっともだとおもう。

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ディエゴガルシアの基地は、イギリスが「99年租借」をして、アメリカにつかわせることがつづくらしい。植民地支配をなくしてほしいたちばからは残念だ。しかし気象観測をつづけてほしいたちばからは、モーリシャスの気象庁による観測が (国際的に支援されて) おこなわれるほうがのぞましいが、アメリカ軍につづけてもらうのが現実的な策であるとおもう。

イギリスの「租借」はディエゴガルシアだけらしいので、チャゴス諸島にふくまれるほかの島には、旧住民がもどることになるのだろう。

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Diego Garcia というのはいかにもスペイン語ふうのなまえだ。しかしスペイン領でもポルトガル領でもなかった。どうしてこんな名まえになったのか、ちょっとしらべた。(といっても、Wikipedia 英語版と、たまたま検索でみつけたウェブサイトをみたにすぎない。)

1512年に、ポルトガル人の航海者 Pedro Mascarenhas [マスカレーニャス] がこの島を発見した。無人島だった。上司だった貴族にちなんで Dom [ドン] Garcia となづけた。この名まえがつたわるにつれて Dom が Dio をへて Diego にばけたのかもしれない。1544年に、やはりポルトガル船だがスペイン人の Diego Garcia de Moguer がここにきているので、その名まえが採用されたのかもしれない。(Wikipedia 英語版の Diego Garcia の記事の History の European Arrival のところの記述から要約したのだが、この記事は複数の説がまざっていてすじがとおらないところがある。) Diego Garcia 島は、18世紀からフランスとイギリスがあらそって植民地化しようとし、ナポレオン戦争後にイギリス領におちついた。住民のおおくはココヤシ栽培のために奴隷としてつれてこられた人びとだった。

なお、モーリシャス と レユニオン島 (フランス領) などをあわせてマスカレン諸島 (英語 Mascarene Islands) というが、そのなまえはこのPedro Mascarenhas に由来する。モーリシャス (Mauritius) のなまえはオランダが植民をはじめたときにオラニエ公マウリッツにちなんでつけられた。モーリシャスはのちフランス領をへてイギリス領となったがフランスの影響がつよい。

[ここから 2024-10-07 加筆]
Mascarene という地名は気象学の話題にでてくることがある。南半球の亜熱帯高気圧の気圧の空間的極大がこのあたりにあらわれることがおおく、「マスカレン高気圧」 (Mascarene High) とよばれる。亜熱帯高気圧の地域的極大に諸島の名まえがつけられたという意味では北大西洋の「アゾレス高気圧」(Azorez High) や、北西太平洋の「小笠原高気圧」 ([(2018-06-26) 小笠原高気圧?] 参照) と同類だ。南半球の冬にマスカレン高気圧から北側にふきだす南風が赤道をよこぎって北半球側のインド洋の夏のモンスーンにつながる位置関係にある。

羽田 (2007) の本で (インドとペルシャ (イラン) の港町のことを中心に) 論じられているように、インド洋には支配者はいなかったのだが、16世紀にポルトガルがでてきて海上を支配しようとした。17-18世紀にはオランダ、イギリス、フランスが覇権をあらそったが、そのうち17世紀はオランダ、のちにはイギリスが優勢だった。島々の名まえはそれぞれにこの歴史を反映している。

  • 羽田 正 [はねだ まさし], 2007: 東インド会社とアジアの海 (興亡の世界史 15)。講談社。[読書メモ]