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氷河時代、氷期、小氷期 / (勧めたくない用語) 氷河期、小氷河期

- 記事分類上のおことわり -
この記事をひとまず「気象むらの方言」に入れたがこれは正確な分類ではない。ここでの話題は、気象学の用語というよりも、古気候学の用語だ。ただし、古気候学は教材が標準化された専門分科ではなく、地球科学のさまざまな専門分科(気象学もそのひとつ)の人が過去の気候を扱う仕事の総称だ。たとえ話としては「古気候市場(いちば)で通用している言語」というところだろうか。【[2016-02-04改訂] 「古気候」のカテゴリーも作って「気象むらの方言」と両方に入れておくことにした。】

- この記事を書こうと思ったきっかけ -
もう年単位の昔になるが、だれかが「小氷河期」ということばを使っていた。だれかが、その用語はまちがっていると言っていた。確かに、わたしに用語を選ぶ権限があれば「小氷期」と訂正するにちがいないところだ。しかし「小氷河期」をまちがいだと決めつける発言に同調するのもちょっと横暴な気もする。その気分を説明しようとするといろいろ背景知識が必要になる。

= 本論 =
-「氷河時代」(発端) -
今の地球上には南極とグリーンランドに氷床がある。これは、氷河であり、そのうちで巨大なものだ。19世紀の科学者が、過去にはそれに加えて北アメリカやヨーロッパにも氷床が広がっていた時代があることを認識した。その時代は、ドイツ語でEiszeit、英語でice age、日本語では「氷河時代」と呼ばれた。

-「氷期」-
その氷河時代に関する研究が進むうちに、氷床は広がったり狭まったりをくりかえしていたことがわかってきた。氷床が広がった時期を英語でglacial period、日本語で「氷期」、狭まった時期を英語でinterglacial period、日本語で「間氷期」と呼ぶようになった。今も一つの間氷期なのだ。ただし、経験ずみの氷期にはさまれているわけではないので、「後氷期」(英語ではpostglacial period)と言うこともある。氷期・間氷期サイクルには明確な周期があるわけではないが、最近約40万年の間には、約10万年の周期が見られる。

このglacialが、氷河(英語glacier)に基づくものなのか、あとで述べる雪氷学の場合と同じように「氷」を意味するラテン語系の要素たとえばフランス語glaceに基づくものなのか、わたしは確認していない。

もし氷河に基づいていたのならば日本語訳は「氷河期」のほうがふさわしいように思われる。しかし、語源はともかく、日本語の学術用語としては「氷期」が使われ、「氷河期」は使われないと言ってよいと思う。【わたしが1970年代に古気候の専門家が入門者向けに書いた本から学んだ用語はすでに「氷期」だったが、当時は「氷河期」と書く人もいたと思う。1980年代ごろからは現役の古気候研究者が「氷河期」と書くことはなくなっていると思う。ただし文献の用語づかいを調査したわけではないのでこの点は自信がない。】

間氷期 interglacialのほうは(空間的にではなく)時間軸上で氷期にはさまれた時期をさしている。

【[2016-09-20補足] 日本語の「間氷期」「後氷期」は、西洋の言語の要素を漢語の要素で置きかえた訳語で、おそらく原語(ドイツ語か?)での要素の出現順序を維持したのだと思う。しかし、「inter-」や「post-」はもともとラテン語の前置詞だが、漢語の「間」「後」は前置詞や他動詞ではないので、漢語での複合語としては、この組み立てかたは不適切で、「氷間期」「氷後期」が適切だったと思う。今さらもんくを言っても変えられそうもないが。】

-「氷河時代」(今の使われかた) -
「氷河時代」という用語のほうは、今でも学術用語としての意味はしぼりこまれておらず、文脈によって違った意味に使われている。そのうちには、「氷期」と同じ意味のこともあるかもしれない。しかし、明らかに「氷期」に置きかえることのできない使いかたがある。それは、氷期・間氷期のくりかえしを含む長い時期をさすことだ。最近約2百万年の「第四紀」全体が氷河時代であると言うこともあるし、南極氷床が持続していることに注目して、最近3千万年が氷河時代であるということもある。もっと昔の氷河時代の例としては、古生代石炭紀・二畳紀の氷河時代がある。最近(新生代)と古生代の二つの氷河時代にはさまれた中生代のうちには、大陸氷床がなかったと考えられており(山岳氷河もなかったとは限らないのだが)「無氷河時代」と呼ばれることもある時代がある。

- 「小氷期」 (Little Ice Age) -
さて、約1万年前から現在は、さきほど述べたように間氷期(あるいは後氷期)なのだが、その間にもいくらか氷河が拡大したり縮小したりしている。そのうちいちばん最近の拡大期【[2015-07-20補足] 西暦17世紀から19世紀なかばまでを含む時期。始まりをもっと早いとする人もいる。】が、英語ではLittle Ice Ageと呼ばれた。今でも古気候研究者が慣用として使うが、明確に定義された学術用語ではない。この呼びかたは、glacial periodの用語が確立する前にできたにちがいない。これは「氷期」より時間スケールが短いのだが、英語の名まえは「氷河時代」と似ている点がまぎらわしい。

日本語では、今の現役の研究者(のうちでこの概念を認める人)はみな「小氷期」と言っていると思う。「小氷河期」という表現を最近見かけたのは、英語圏に住んでいる人の日本語での著作でだったので、英語のIce Ageが「氷河時代」に対応すると認識したうえでの翻訳表現なのかもしれない。どちらを使うにしても時間スケールについて説明が必要なのだが、どちらかと言えば「小氷期」のほうが誤解が起こりにくいと思うので、専門家向け以外の文脈でもこちらを使ったほうがよいとわたしは思う。

=補足= -雪氷学-
英語のglaciologyは、(少なくとも国際雪氷学会International Glaciological Societyが扱う意味では)氷河だけでなく雪を含む地球(・宇宙)の氷を扱う学問で、日本語では「雪氷学」という。この語は、glacier (氷河)ではなく、それの語源ではあるが、「氷」を意味するラテン語系の要素に基づいているにちがいない。ドイツ語では「氷河学」を意味するGletscherkundeということばもあり、少なくとも雑誌名Zeitschrift für Gletscherkunde und Glaziologieでは、Glaziologieが広い意味の「雪氷学」であることは確かだ。(ただしGlaziologieがGletscherkundeと同じ意味に使われていることも見かける。まちがいが広まっているというべきなのか、そういう意味もあるのだというべきなのか、わたしにはよくわからない。)

=余談= -Eiszeit!-
ある夏の昼間、ドイツ語圏の町の通りを歩いていたら、「Eis」という看板がたくさんあった。かき氷などではなく、アイスクリームを売っていた。【「Eiskaffee」というものもあったが、日本でいうアイスコーヒーではなく、アイスクリームを入れたコーヒー、日本でいうコーヒーフロート[これも日本の喫茶店という文脈を離れると意味不明のことばだが]だった。】

そういった看板のうちに「Eiszeit!」というのを見かけた。「氷河時代!」と思ったのはわたしだけのようだった。暑い日の午後のおやつにアイスクリームがふさわしい時間というような意味の宣伝文句だったのだろう。