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指数関数、等比数列、複利、倍々ゲーム

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたか、かならずしもしめしません。】

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[2020-03-25 指数関数型増加 (exponential increase), 指数関数型成長 (exponential growth)]のつづき。

2020-03-25の記事は、指数関数の概念についてのしろうとむけにはなっていない。その概念を知っている人が考えを明確にするために書いた。

指数関数というものは、微分・積分を (初歩的なレベルでよいから) 理解すれば、わりあい簡単に理解できると思う。関数が n 次の多項式ならば、それを微分すれば (n-1)次の多項式になり、積分すれば (n+1)次の多項式になる。微分したり積分したりした結果がそれ自体と同じ関数になるような関数は何か、という問いに対するこたえが指数関数なのだ。

しかし、微分・積分と無関係に指数関数をもちだそうとすると、数値のグラフをしめすことはできるけれども、なんでそのような関数をかんがえるのかを理解するところには、なかなか行かないと思う。

指数関数をもちだすまえに、「関数」をわかってもらうのがむずかしい、ということもある。現代の数学での関数の概念のひろがりは大きく、わたしもその全体をよく理解していない。「関数」と「写像」を同一視するような考えかたも知った。しかしそれは指数関数の理解にむすびつきにくい。わたしの知っている、指数関数につながる「関数」は、微分や積分 (の初歩的構成)のなかでつかわれている用語だ。【わたし個人の理解は、たぶん、遠山 啓 (1963) 『新数学勉強法[読書メモ]によってできた。関数は function だと書いてあったが、それでわかったわけではない。微分や積分の説明のなかで関数ということばがつかわれていたことによって、「微分」や「積分」をふくむ知識の連続体の部品として「関数」という概念もなんとかつかえるようになったのだ。】 微分や積分の理解をともなわないで「関数」をもちだしても、効果は期待できないのかもしれない。

しかし、「関数」がわかりにくいからといって、「指数関数型」を「指数型」と言ってしまったのでは、わかりやすくは ならない。

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指数関数をもちだしたくなる話題のうちには、等比数列でもかまわないことがおおい。時間とともに変化するものごとの表現ならば、時間を連続量としてあつかったときは指数関数になり、離散的にあつかったときは等比数列になる。

しかし、「等比数列」ということばは、日本語圏の数学のしろうとにとって、「指数関数」よりもさらになじみがないと思う。しかも、同類だが区別が必要な「等差数列」とまぎれやすい。現象の形容として「等比数列的」はうまくないと思う。

等比数列に関連して、日常にちかいものごととして、利子の「複利」がある。「複利」ということばは、実際の日常生活には出てこないかもしれないし、「福利厚生」の「福利」と区別しなければならないという問題もある。しかし、利子の知識は、現代社会で貯金をしたり借金をしたりするときに必要だ。だから、「複利」を理解することを義務教育や社会教育の重点目標としたうえで、ほかの等比数列型の現象の説明はそれに便乗できるようにするのが、よい方向なのかもしれない。

等比数列に関連しては、『塵劫記』の「ねずみ算」や、豊臣秀吉につかえた「そろり[曽呂利]新左衛門」の伝説がもちだされることもある。わたしは、そのような話を、こどものころ(1960-70年代)に、「おもしろい算数の話」のようなたぐいの本で、複数回 読んだおぼえがある。(そろり の伝説は、インドかどこかの賢人が王者の難題に対抗した話のやきなおしらしい、ということも読んだ。) しかし、そういう ものがたり が書かれた本は、かならずしもみんなが読むものではないし、数十年のうちにはよく読まれるものが変遷している。共通の知識基盤にはしにくい。

「単細胞生物の個体数が一定時刻ごとに2倍になったとしたら」という話だったら、(もちろん実際の微生物のふるまいからは単純化されたものだが、根本的にはちがわないので) すこし説明すれば、おおくの人につたわると思う。それとだいたい おなじ ものごとについての みじかい表現としては、「倍々ゲーム」ならば、世代をこえて通じると思う。(ただしこれも「バイバイ」と聞くと「さようなら」だと思うひともおおいだろうから、説明をおぎなうことが必要だ。)