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軍事研究との距離

【この件についてのわたしの意見は必ずしもまとまっていない。ひとまず資料集のような意味でブログ記事にしておく。今後も書きかえる可能性があり、その場合にいつどこを書きかえたかいちいち明示しないかもしれないことをおことわりしておく。】

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2015年1月16日、産経新聞による「東大、軍事研究を解禁 公開前提に一定の歯止め」という見出しが広まり、ネット上ではそれをまにうけて、「とうとう大学も軍国主義に負けたか」のようになげく声もあり、「当然の規制緩和だ」とほめる声もあった。

産経の報道は東大からの新しい発表を受けたものではなく、2014年12月に東大の情報理工学研究科の大学院生向けの「科学研究ガイドライン」(http://www.i.u-tokyo.ac.jp/edu/others/pdf/guideline_ja.pdf ) が改訂されたこと(旧版はWeb Archiveで閲覧可能 https://web.archive.org/web/20140629064500/http://www.i.u-tokyo.ac.jp/edu/others/pdf/guideline_ja.pdf )を解釈したものだった。東大の広報室も報道を見て驚いたようで、その日に、ウェブサイトに総長による文書「東京大学における軍事研究の禁止について」が出された。その中では、東大は軍事研究を禁止する原則を変えていない、と述べている。また、「学問研究はその扱い方によって平和目的にも軍事目的にも利用される可能性(両義性:デュアル・ユース)が、本質的に存在する。」とも述べている。これを受けて朝日新聞は「東大『軍事研究認めない』 『解禁』の一部報道を否定」という見出しの報道をした。

ガイドライン文書を見比べてみると、旧版では、「軍事研究」という項目で「一切の例外なく、軍事研究を禁止しています」とあったのに対して、新版では、「学問研究の両義性」という項目で、「成果が非公開となる機密性の高い軍事を目的とする研究は行わないこととしています」とある。

新版の文は、「成果が公開となる、機密性の低い、軍事を目的とする研究」はありうるのか、もしありうるならばそれを研究科内で研究してよいのか、などの点で、あいまいなところがあり、ガイドラインとしてはさらに改訂が必要だと思う。

原則は変わっていないという総長のメッセージも合わせて、わたしなりに状況を想像すると、これまでは、軍事研究禁止の原則はあっても何が軍事研究かの合意がなく、判断のくいちがいがあると決定権をもつ者の判断をおしつけることになったが、これからは、「この課題は、両義性があるが、結果が公開となるので、軍事研究とみなさない」というような合意が起こりうるようになったと思う。この事態をどう評価するかはむずかしいことだが、わたしは、いくらかの改善だと思う。ただし、公開性は確かに重要だがそれだけで決めるのはまずく、軍事目的に利用された場合の重大性をも考える必要があると思う。

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科学技術の「デュアルユース」(dual use)問題については、日本学術会議が2012年11月30日に「科学・技術のデュアルユース問題に関する検討報告」(http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-22-h166-1.pdf )を、また、JSTの研究開発戦略センター(CRDS)が2013年3月に、「ライフサイエンス研究の将来性ある発展のためのデュアルユース対策とそのガバナンス体制整備」(http://www.jst.go.jp/crds/pdf/2012/SP/CRDS-FY2012-SP-02.pdf )という提言書を出している。これらは、インフルエンザなどの感染症ウィルス研究の成果が生物兵器やテロに利用されるおそれがあるという指摘から始まった議論を受けたもので、学術会議の報告は科学研究にかかわる人々の行動規範を論じており、JST CRDSの提言書はそれを実現するためのガバナンス体制づくりを論じている。

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デュアルユース問題が指摘されたのはこれだけではなかった。東日本大震災のあと、とくに原子力発電所の事故の現場で、放射線などのため人が立ち入れず、しかも地震や爆発事故のあとで通路が障害物だらけになっている状況で、日本のロボットはすぐに役にたたなかった。外国ではそのような状況でも使えるロボットが、おもに軍事関連の研究で開発されていた。日本の研究者はその分野への関心が薄かったことが反省された。それは必ずしも、日本も軍事用ロボットを開発すべきだという意味ではない。2011年ごろ聞いた意見は、軍事関連研究であっても公表される情報があるので、そういうものを参考に研究課題を考えるべきだ、というものだった、と記憶している。

ところが2012年に、アメリカ合衆国 国防総省 高等研究計画局(DARPA)による災害対応ロボットのコンテスト「DARPA Robotics Challenge(DRC)」があった。東大の情報理工学研究科でロボットを開発していた研究者が、東大をやめてベンチャー企業に移った、ということが報道された。そのベンチャー企業は、DARPAから資金を出してもらってコンテストに参加し、よい成績を出した。その後、アメリカ資本に買収された。そのいきさつは、たとえば、WIRED Japanの、Katsue Nagakura氏による2013年12月23日の記事「DARPAロボコンで勝利した日本のヴェンチャー企業が、グーグルに買収された理由」http://wired.jp/2013/12/23/schaft-wins-darpa-robotics-challenge/ に書かれている。これを見ただけでは、東大所属のままではコンテストに参加できなかったのかは、よくわからないのだが、東大全体、研究科、専攻のいずれかのレベルに、その道をふさぐようなルールがあったのかもしれない。

おそらく産経新聞は、東大がDARPAなどとかかわりやすくするような規制緩和をすることを期待していたところに、情報理工学研究科のガイドライン改訂があったので、期待どおりの動きがあったと思ったのだろう。しかし、東大の態度は、産経が期待するほど大きく変化してはいないのだろう。

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ところで、東大でアメリカ軍から研究費をもらった研究がすでにおこなわれていることが、2014年に話題になった。

具体例は、ウェブページ http://www.dtic.mil/docs/citations/ADA526495 に報告がある。これは、東大 理学系研究科 物理学専攻の早野龍五教授が、Asian Office of Aerospace Research & Development (AOARD)という事務所から資金をもらって2009年9月から2010年8月までにおこなった「Development of a Charged-Particle Accumulator Using an RF Confinement Method VI」という研究プロジェクトの報告だ。別の年度の類似の報告も見つかるので、おそらく毎年新規課題の形で事実上継続されていてVIは6期めなのだろうと思う。AOARDの説明はhttp://www.wpafb.af.mil/library/factsheets/factsheet.asp?id=9477 にある。アメリカ空軍の中で基礎研究を推進するAir Force Office of Scientific Research (AFOSR)の事務所のひとつで東京(港区六本木7-23-17)にある。報告の始めのほうを読んでみると、CERN (ヨーロッパ原子核研究機構、スイスに本拠をおく国際的な研究所)で行なっている反物質(陽電子反陽子)の実験のための、反物質をたくわえる機器の開発だ。CERNでの研究の資金源はたくさんあるので、早野教授の側から見れば、その小さな部分がアメリカ軍の資金によっているということだろう。他方アメリカ軍の側では、これは基礎研究なので短期的に役だつことは期待されないが、長期的には軍の目的に役だちうる研究であるという説明がされていると思う。どう役だつことが期待されているのかについて憶測をのべるのはやめておく。これも、純粋科学を「平和目的」に含めるとすれば、東大総長メッセージのいう意味で「デュアルユース」の研究にちがいない。

軍事研究をしないという原則があっても、具体的な課題がその軍事研究に含まれるかどうかの判断はむずかしい。わたしは、東大は形式的に資金が軍から出ているかどうかで判断していると思い、ロボットの件ではDARPAから資金を受け取ることがそのルールに反すると判断されたのだと思った。しかしCERNの件で空軍の資金を受け取ることが違反とされなかったとすると、わたしの想像は正確でなかったようだ。東大の中でも部署によって判断が違うことはありうるのだが、そうだとすると、物理で比較的ゆるいというのはわたしには意外だった。

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第二次世界大戦後の日本の物理学者のコミュニティは、科学者のうちでもとくに、軍事とかかわることをきびしく抑制する特徴があったと思う。日本物理学会は、1967年9月、臨時総会で「日本物理学会は今後内外を問わず、一切の軍隊から援助、その他一切の協力関係をもたない」という決議を採択した。このことは現在、日本物理学会のウェブサイトの「行動規範」のページ http://www.jps.or.jp/outline/koudoukihan.html に書かれている。ただし、このページのうちの「日本物理学会行動規範」 (2007年7月10日制定) という文章には軍事との関連について明示されておらず、それには含まれないらしい「第33回臨時総会の決議3について」という文章に書かれている。その文章は、「本会会員はこの決議を尊重されるようお願いします。なお、決議3の具体的取り扱いについては、第522回委員会議(1995.7.8)で下記のように決定されました。...」と続く。

学会のルールは、学会という法人の事業に関する判断であるものと、それに限らず学会員の行動に関する規範であるものがありうる。続きを読んでみると、この決議の主要な趣旨は、学会という組織として軍との協力関係をもたないというものだ。少なくとも1995年の委員会議決定以後は、学会員の研究活動を直接的に規制してはいない。ただし明白な軍事研究であると判断された場合に物理学会の場を使って発表できないという形で、その種類の研究活動を抑制する動機を与えているとは言えるだろう。また1995年の決定の「決議3の具体的取り扱い」には次のような注がついている。「明白な軍事研究、および軍関係団体の範囲については、理事会の判断事項とし、拒否例が出た場合には代議員に報告する。この判断基準は国際常識に従い、研究費の出所のみで判断することはしない。」 これ以前に、軍から研究費が出ているものは軍事研究だという形式的な判断をしたことがあって、会員から不満が出たため、議論のすえに方針を変更した、ということなのだろうと思う。

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遠くから見た印象だが、1980年代の物理学会は、日本の自衛隊とかかわることにもきびしかったと思う。気象学会では、防衛大学校所属の人が会員として研究発表をし、ときには学会事業でも重要な役割を果たしているのだが、そういう気象学会が(当時の)物理学会と共同行動をとるのはむずかしいだろうと思った。

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気象を含む地球物理の分野の研究活動は、軍の資金をもらわないというルールは可能だと思うが、もし軍とはいっさいかかわらないというルールがきびしく運用されると、たちゆかなくなることもある。国によっては気象庁相当の機関が軍の中にあって、その国のデータを得るためにはその機関との交渉が必要なことがある。(イギリス気象庁は、2011年7月18日にビジネス・イノベーション・職業技能省に移管される前は、軍ではない行政組織ではあるものの、国防省の下にあった。) また、観測現場に行くのに軍の力を借りる必要がある場合もある。(日本の南極観測事業も、軍と称してはいないが、自衛隊が輸送の機能をになっている。)

地球物理の研究課題についておおざっぱに考えてみると、現実ばなれした想定の話は別として、現実の地球と照合できる結果が出るもののうちで、ごくローカルなものを別にすれば、軍事への応用の可能性がないものを考えるほうがむずかしいと思う。この分野では、デュアルユース性は昔からあるのだ。ところが、地球物理の研究者のうちにはそれに敏感になっている人もいくらかいるが、鈍感な人が多いと思う。それはひとつには、次に述べるデータ公開主義があって、軍事機密にふれる可能性があるデータを扱う少数の人は敏感になるが、公開(または公開予定)のデータだけを扱う多数の人は鈍感になるのだと思う。また、もし「軍事目的に利用された場合の重大性」を問われても、直接地球物理を応用した軍事作戦はあまりなく(たとえば、人工降雨はあまり有効でないことがわかっており、意図的な広域気候改変は資金面から現実的でない)、それ以外の地球物理の軍事への貢献は軍事でなくてもありうる運輸や土木工事などへの支援なので、なんとも答えようがない、とも思う。

地球物理研究者は、データ公開を重視してきた。1950年代の国際地球観測年(International Geophysical Year = IGY)に伴ってWorld Data Center (WDC)というしくみをつくり(今はWorld Data Systemに移行している)、世界の研究者がデータを共有できるようにした。1970年代の全球大気研究計画(Global Atmospheric Research Program = GARP、当時の日本の公式名は「地球大気開発計画」であったが今から見ると奇妙に感じるので英語から直訳しておく)でもデータはWDCを通じて共有された。今から考えてみると、この努力に向けられた熱意は、おもに、情報を秘密にしがちな傾向があった共産圏の国家からデータを引き出したいという欲求からきていたのかもしれない。しかし自由主義圏の国家でも、軍がかかわることに伴って起こりがちな秘密指向への歯止めになっていただろう。

【ただし、地球物理の分野で発達してきたのは、共通基準に従って整理された観測データ(および共有需要のあるモデル出力データ)の公開・共有であって、研究活動のすべての段階のデータを公開・共有することではない。「なまデータ」は、膨大で流通が困難なこともある。また、空間規模が細かくなると個人が特定可能になりうるため人権への配慮から流通を制限するのが適切と考えられることもある。】

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まだ詳しく調べていないのだが、中谷宇吉郎が1950年代にアメリカ軍からの研究費をもらおうとして、日本国内で反対されたことがあったそうだ。(所属機関のルールに反するとされたのかは確認していない。研究課題は雪に関するものだったにちがいないがそれ以上は知らない。) おそらく、研究者側から見れば純粋科学的価値があり、軍から見れば将来軍事に有用になる可能性がある、今の用語でいう両義性のある基礎研究だったのだろうと思う。

それで思いあたる背景として、1950年代、地球物理分野では、アメリカ軍、とくに海軍が、軍事研究とは考えがたいような基礎研究にも多くのお金を出していた。アメリカ合衆国は国全体の政策として基礎科学を推進しようとしたが、その手段として戦時にできた軍事研究のためのしくみが使われたとも見られる。NSF, NASA, NOAA, Department of Energy (DoE)が確立するにつれて、多くの課題がそちらの担当に移り、(この分野での)研究費提供機関としての軍の役割は相対的に小さくなったと思う。(一例としてWeart『温暖化の発見』ウェブ版のうちの、Keelingによる二酸化炭素濃度継続観測の資金源の話 http://www.aip.org/history/climate/Kfunds.htm ) (ただし、DoEは核兵器にもかかわっている。また、軍に属する研究機関の仕事は今も無視できない重みがある。) DARPAがおもな対象とした工学系の分野とは事情がだいぶ違うかもしれない。

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軍事が避けられないとしても、科学研究が軍事にとりこまれることの歯止めは必要だ。そこでは公開性が重要なのだが、それだけでなく、内容に立ち入った価値判断も必要になってくるだろう。軍事研究とそうでないものの区別をする必要があると思うが、境は自明ではなく、判断が大学ごとや学会ごとに分かれるのは当然で、むしろ多様性があるほうが健全だと思う。