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グリッド・グループ論に関する勉強途中の覚え書き(3)

[2014-09-28の記事][2015-01-07の記事]の続き。

科学論に関する何かの用語でウェブ検索していたら、科学史家の成定薫さんが勤めておられた広島大学に残されているウェブサイトに行きあたった。そのサイトを見ていたら、成定さんにはグリッド・グループ論の科学論への適用に関する評論があることがわかった。しかもそれはわたしが持っていて参考文献としてあげたことさえある『科学と社会のインターフェイス』に収録されているので、わたしは読んだはずなのだが忘れていた。まえに読んだときはわけがわからなかったのだと思う。あらためて読んでみた。

成定(1994)によれば、Douglas (1970)のグリッド・グループ論は教育社会学者・社会言語学者 B. Bernsteinの、社会環境が言語使用を決定するという考えの影響を受けたものだ。Bernsteinが使った2軸も紹介されているが、それはグリッド・グループの2軸に直接対応するものではないようだ。Douglas自身が1982年の本の序論で使った枠組みは次のようになっているそうだ。ただし各象限のキーワードはD. Ostlanderによるそうだ。

高グリッド
低グループ(B) 孤立せる従属(C) 帰属的階層性高グループ
(A) 個人主義(D) 党派主義
低グリッド
図1 (成定 1994の図7-2に基づく)

(B)がいつもながらわかりにくいが、これは、各個人は孤立して行動するのだが、その際に細かい社会的規制に従わなければならない社会である。

Douglas編の1982年の本の中で、科学史家Rudwickは、19世紀の地質学者の認知スタイルが、それぞれの人々のおかれていた社会状況(グリッド・グループの形に要約される)によって規定されていると考えた。

高グリッド
低グループ(B) 不可知論的
理論を追求せず事実を記述
(C) 具象的
既成理論を前提として事実を記述
高グループ
(A) 抽象的
新理論構築を志向
(D) 二項的
聖書に合わせて事実を解釈
低グリッド
図2 (成定 1994の図7-3から一部の情報を抽出、本文を増田が解釈した表現で補足)

また、科学社会学者Bloorは、Lakatos (1976)が数学の場合について述べた「モンスター」(変則事例)への対応のしかたが、学者が生活する社会の特徴によって違ってくる、と論じた。Caneva (1981)は同様な考えによって、1820年のOerstedによる電流の磁気作用の発見に対する物理学者たちの態度を、グリッド・グループの4象限で分類した。

高グリッド
低グループ(B) 人々が孤立している社会
モンスター包摂
(C) 集団的で階層的な秩序が重視される社会
モンスター調整
高グループ
(A) 個人主義的で競争的な社会
モンスター同化
(D) 外部からの侵入や汚染に敏感な社会
モンスター排除
低グリッド
図3 (成定 1994の図7-3から一部の情報を抽出、本文によって補足)

図3の学者たちの態度をあらわす用語は、そのままでは区別がわかりにくいが、次のように説明すれば確かに4つに分類することはもっともだと感じられる。そしてRudwickが示した例もそれにあてはまると考えられる。

  • (A)のモンスター同化 (assimilating) とは、モンスターをも説明するように既存の知識や概念を改訂することである。
  • (B)のモンスター包摂 (embracing) とは、モンスター既存の知識とを併存させることである。
  • (C)のモンスター調整 (adjusting)とは、モンスターを既存の知識体系を乱さないように(もはやモンスターではないように)調整し、その限りで受けいれることである。
  • (D)のモンスター排除 (barring)とは、まさにモンスターを受けいれないことである。

Bloor, Caneva, Rudwickたちがこの枠組みを使って主張していることは、科学者の生活する社会の特徴が、科学者の態度を通じて、科学的認識を規定する(という表現が強すぎれば「影響を与える」)ことだと思う。ただしここで「科学者の生活する社会」と述べたものは、科学者集団と、それをとりまく(科学者が科学に従事することを可能とする)一般社会との少なくとも二重の構造をもっていて、その両者の(グリッド・グループ的)特徴が一致するとは限らないので、それを(構造を把握しながら適宜)区別して論じる必要があると思う。

また、わたしの最近の関心は、科学と社会のかかわりではあるのだが、どちらかというと、「科学者集団の外の社会の人々が、科学的知見を示されたときとる態度が、社会の特徴にどのように影響されるか」に向かっている。それは、ここで紹介された、科学者集団の態度に関する問題とは、だいぶ違う問題だと感じられる。

文献

  • D. Bloor, 1982: Polyhedra and the abominations of Leviticus: Cognitive styles in Mathematics. Douglas ed. (1982), 191 - 218. [未見]
  • K.L. Caneva, 1981: What should we do with the monster? Electro-magnetism and phychosociology of knowledge. Sociology of the Sciences: A Year Book, 5: 101 - 131. [未見]
  • M. Douglas, 1970: Natural Symbols: Explorations in Cosmology. Pantheon Books (ほかにいくつかの版がある) [未見]
  • M. Douglas, 1982: Introduction to Grid / Group Analysis. Douglas ed. (1982), 1 - 8. [未見]
  • M. Douglas ed., 1982: Essays in the Sociology of Perception. Routledge and Kegan Paul. [未見]
  • I. Laktos, 1976: Proofs and Refutations: The Logic of Mathematical Discovery. Cambridge University Press.
    • [日本語版] I. ラカトシュ 著, J. ウォラル, E. ザハール 編, 佐々木 力 訳 (1980): 数学的発見の論理: 証明と論駁共立出版
  • 成定 薫, 1991: グリッド・グループ理論と科学史・科学論。『科学とは何だろうか -- 科学論の転換』(科学見直し叢書第4巻、小林 傳司 編著) 木鐸社, 227 - 251.
  • M. Rudwick, 1982: Cognitive Styles in Geology. Douglas ed. (1982), 219 - 241. [未見]