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地球温暖化の直観的とらえにくさ

地球温暖化という問題があることは多くの人が知っているが、それが社会のいろいろな問題のうちで重要だと考えている人はあまり多くないようだ。

これは、いろいろな意味で無理もないことだと思う。

まず、用語の問題がある。「地球温暖化」と表現すると、地球全体の温度が一様に上がることを想像しやすいが、想定されている上昇量、たとえば2℃は、人がローカル・短期間に感じる温度差としては大きくない。また寒冷化よりもよいことと感じられるかもしれない。他方「気候変動」「気候変化」はエルニーニョ現象をはじめとする自然変動を含み、そちらが主だと思う人が多いと思う。「全球平均地上気温の上昇を代表的な症状とする複雑な気候の変化」をうまく代表できる用語がないのだ。

ちなみに、英語圏の用語の使われかたの変遷を、Google Ngram Viewerで見てみた。これはGoogle Booksでディジタル化された本を、発行年別に分けて、単語や連語の頻度の各年ごとの全体に対する相対値を数えたものだ。これで[global warming,climate change,greenhouse effect]を数えてみると、IPCCができた1988年から気候変動枠組み条約ができた1992年ごろまでどれも同じようにふえているのだが、それ以後、climate changeはふえていて、global warmingはあまりふえていない。(greenhouse effectは減っている)。これは本として出版された文章をサンプルとした統計だが、わたしが英語圏の報道や個人ブログなどを見た印象でも(世の中をあまりよく代表しないが)このごろはglobal warmingよりもclimate change (anthropogenic climate changeという表現を含む)がよく使われていると思う。残念ながらGoogle Ngram Viewerは日本語をサポートしておらず、ほかの方法で確認することもできていないが、日本語圏では「地球温暖化」のほうが多く使われていると思う。わたしは「気候変化」のほうがよいと思うが、自然起源・人為起源をいちいちことわらなければならないかもしれない。

第2に、地球温暖化問題は基本的に、将来起きそうだという予測(あるいは警告)として提示されたものなのだ。まだだれの感覚でもとらえられないうちに、科学によって、確実ではないもののかなり可能性(あるいは確率)が高いという見通しが得られたのだ。

今では、地球温暖化はすでに起きている事件でもある。しかし、これから50年あるいは100年の間に起きると予想される温暖化は(その大きさは不確かさの幅をもつが、いずれにしても)すでに起きている温暖化よりもだいぶ大きいのだ。すでに起きている温暖化を感覚的にとらえて人間社会がかかえる他の問題に比べてたいしたことがないと思い、それを将来に延長するのはまずいことだと(地球温暖化に関する科学的知識をもつ人は)思う。

地球温暖化への対応が政策としてとりあげられるためには、多くの人が将来の気候変化に関する科学的見通しを理解する必要がどうしてもあると思う。ただしそこで詳しい気候モデルによる予測型シミュレーションの結果を示してもそれだけで信頼を得るのはむずかしいだろう。やはり数値モデルに依存してはしまうのだが、むしろ鉛直1次元の単純モデルを使った理論的説明のほうが重要だと、わたしは考えている。

また、数十年後の人のくらしについて完全に予想することはできないが、ともかく想像してみて、自分たちの行動によって将来の人に損をさせては申しわけないという感覚をもつことも必要だろうと思う。そのためには、数十年前の人のくらしを知ることも意義があるかもしれない。

第3に、日本では、気候変化の問題を、「日本の気候はどう変わるか」「それは産業や生活にどのような影響をもたらすか」というふうにとらえる傾向がある。わたしの記憶によれば、地球温暖化問題に対する政府の取り組みが始まった1988年ごろからそうだった。それ以来、日本の気候変化の影響の研究はだいぶ進んできた。海水準上昇、集中豪雨がふえること、雪が雨に変わることなどの影響はあり、それへの適応が必要になるだろう。しかしその適応は、とくに気候変化のことは考えない産業政策や公共事業の中に吸収されてしまう程度のものかもしれない。

ところが、1991年に筑波で開かれた気候変化の影響に関する国際会議で、Maunderという人の講演を聞いてはっとした。気候変化の自国の社会に対する影響は、自国の気候の変化によるものだけではないのだ。たとえば、貿易相手国の気候が変われば貿易を通じて影響を受ける。他国の気候が変わって自国の特産物を安く生産できるようになると、自国の農産物輸出が打撃を受けるかもしれない。

世界のうちには、温暖化で得をするところも損をするところもあるだろう。ただし、損得の埋め合わせが自動的にされるわけではない。また、世界の人間社会は現在の気候に適応して発達してきたので、温暖化であれ寒冷化であれ気候が大きく変われば損をするところが多くなりそうだ。気候変化によって貧困化が進む地域があれば、それはその地域にとどまらず世界の社会を不安定にするので、日本の利害からみてもまずいことだろう。また世界の一員として日本には、気候変化で損をする国の適応を助けることや、損をするところがたくさん出てくるような気候変化が起こるのを予防するのに協力することが求められるだろう。

まずは、基本的気候や産業の発達段階が大きく違うところも含めて、世界のいろいろな地域の人々のくらしについての感覚をもち、そのくらしがどのような環境変化があると打撃を受けやすいのかを理解することが重要なのかもしれない。

文献

  • W.J. Maunder, 1991: Regional and national responses to climate change: Implications, risks and opportunities, and what each nation needs to do. Proceedings of the International Conference on Climate Impacts on the Environment and Society (Tsukuba, Japan, 27 Jan. - 1 Feb. 1991), WMO TD-435, F-8..F-12.