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江戸時代の人口変化の地理的分布を見る (新1)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

【この記事を記事カテゴリー「歴史気候」にいれたのは、将来の構想として気候の話題につなげようと思っているからですが、この記事自体には気候の話はありません。】

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日本の江戸時代には、幕府による人口調査が、1721年から1846年まで、原則6年ごとにおこなわれた。(ただし、人口の定義が近代とちがうところがある。ひとつあげれば、武士の人口は調査対象にふくまれていなかった。) 各藩にしらべさせたものをまとめ、「国」(大宝律令 (701年) 以来の「令制国」、たとえば武蔵の国、出羽の国)ごとに集計した。ところが、この人口調査の公式な記録は残されなかった。「国」ごとに集計された値は、さまざまな文書に分散してのこっていて、関山(1958), 高橋 (1971), 南 (1978, 1984) など、研究者がほりおこして出版した。

それは、速水(監修) (1992)にまとめられている。1721, 1750, 1756年, 1786-1804の6年ごと, 1822-1846の6年ごとの各年の値がある。(1872年の値もあるが、これは明治政府による調査で、調査対象や方法が幕府によるものと同じではない。) この表は、速水 (2009) の本にも「表3-4」として収録されている。この表と同じデータを、速水さんのプロジェクトのメンバーであった高橋美由紀さん (日本経済史・歴史人口学、立正大学 経済学部 教授)から、ディジタル (Excel ワークシートファイル) の形でいただいた。

速水 (1971) は、この資料(当時利用可能であった部分)をつかって、国別の人口の変化率 (= 人口の変化 / 人口) を、対象期間全体 (1721-1846年) と、この論文で「三大災害年」とした期間(1721-1750, 1756-1786, 1834-1846年)、それ以外の期間について、それぞれ、地図を模様でぬりわけた形で示している。「災害年」には東北、関東、北陸、近畿で人口がへっている。この論文は、速水(2009)の本の第1章としても出版されている。

文献

  • 浜野 潔, 2001: 気候変動の歴史人口学 --天保の死亡危機をめぐって-- 。速水ほか (2001) 第7章, 173-192.
  • 速水 融 [はやみ あきら], 1971: 徳川後期人口変動の地域的特性。『三田学会雑誌』64巻 8号 67-80.
  • 速水 融 監修, 1992: 国勢調査以前日本人口統計集成 I。原書房。
  • 速水 融, 2009: 歴史人口学研究。藤原書店。[読書メモ]
  • 速水 融、鬼頭 宏、友部 謙一 編, 2001: 歴史人口学のフロンティア。東洋経済新報社。[読書メモ]
  • 和男, 1978: 幕末江戸社会の研究。吉川弘文館。
  • 和男, 1984: 寛政四年の諸国人口について。『日本歴史』 432号 42-47.
  • 関山 直太郎, 1958: 近世日本の人口構造。吉川弘文館。
  • 高橋 梵仙, 1971: 日本人口史研究。日本学術振興会。

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わたしは、気候が人間社会にどのような影響をあたえたか、また人間社会が気候にどのように応答 (たとえば 適応) したかを知りたいと思っている。問題になりそうな気候の変動の空間規模は 数十 km 以上なので、人間社会についてもそのような規模のデータがあると対比してみようという意欲がおきる。

データをいただいてまもなく、国別に、2つの年次の間の人口の増減が 期間のはじめの年の人口のなん%であるか という意味での「人口増加率」を計算して、地図上に表示してみた。そしてブログ記事 [(1) 2020-04-06] [(2) 2020-04-08] [(3) 2020-04-16] を書いた。しかし、そのころ、わたしのデータ処理能力がおとろえていて、おもに Awk で作業したのだが、あまり注意深くすることができなかった。その後、Python によるデータ処理にだいぶ慣れたので、はじめからやりなおしてみることにした。

「国」 (令制国) の領域の地理情報は、つぎのものによった。おもに古代史のためにつくられたものだが、陸奥・出羽の領域を古代の支配地域でなく本州北端までにしているので、近世の「国」の領域の概略をあらわすのには適していると思う。データ形式は ESRI社がきめた shapefileというものになっている。

地図の作図は、つぎのGISソフトウェアによった。人口密度を計算するために必要となる各「国」の面積も、このソフトウェアで今津氏のデータから計算した。

  • 謙二, 2016-2021: 地理情報分析支援システム MANDARA10 ver. 10.0.1.5 for Windows 7/8/8.1/10。 https://ktgis.net/mandara/

その他の計算は、Python でおこなった。人口データは Excel で CSV 形式で書きだし、Python の pandas の read_csv で読みこんで処理した。回帰直線のあてはめに statmodels の OLS を、グラフの作図に matplotlib をつかった。

【Python で cartopy をつかって shapefile を読みこんで地図をかくことはできるのだが、shapefile で指定された多角形領域ごとにぬりわける方法をわたしはまだ修得していない。今回は、MANDARA の属性表に対応する形の表を Python でつくって CSV 形式で書きだし、LibreOffice で読んで MANDARA に copy & paste し、MANDARA で作図する方法をとった。】

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結果の図を、このブログとは別の個人ウェブサイトの [江戸時代の日本の人口の地理的分布の可視化] のページに置いた。(ブラウザで表のなかの画像ファイルをクリックすると拡大表示されるようにしてある。) 時系列のグラフは、そこからリンクされた [人口密度の時系列グラフ] のページに置いた。

速水 (1992) の注でデータに疑問がしめされているところはつぎのようにあつかうことにした。

  • 1756年 の 能登と加賀の値を入れかえる。
  • 1828年 の 甲斐は、391499 を 291499 と修正する。
  • 1750年 の 駿河は値が過大と判断し、欠損あつかいとする。
  • 1756年の対馬、1792年の伊豆、三河、美作、1798年の伊豆、1822年の下総、1828年の対馬、1834年の下総、1840年・1846年の伊豆は値が過小と判断し、欠損あつかいとする。

人口調査のあった各年次の人口密度の分布地図を、[江戸時代の日本の人口の地理的分布の可視化] のページのうち「第1部」の左の列に配置した。色わけは、80~160 人/km3 のところを「並」とみなして薄い黄色、それより大きいところを赤系、小さいところを青系とした。

比較のため、現代 (2015年の国勢調査) の都道府県別の人口密度を、同じ階級わけ・色わけで作図し、同じページの「第4部」に置いた。

また、各「国」の人口密度の時系列のグラフを [人口密度の時系列グラフ] に置いた。(上記の修正をしたところは修正後の値を青で、欠損あつかいしたところはその値を赤で表示した。)

人口調査のあった年次ではさまれたそれぞれの期間の人口増加率 [%/年] の分布地図を、[江戸時代の日本の人口の地理的分布の可視化] のページのうち「第1部」の右の列に配置した。ここでの人口増加率は、( ( (後の人口 - 前の人口) / (前の人口) ) / 期間の年数 ) × 100 として計算した。前の人口と後の人口の両方の値がそろっていないばあいは人口増加率は欠損とした。色わけは、増減が小さいところを薄い黄色、増加を赤系、減少を青系とした。

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幕府の調査の対象期間である 1721-1846 年の各国の人口密度を、時間 (年) について直線回帰して係数をもとめてみた。その分布地図を、[江戸時代の日本の人口の地理的分布の可視化] のページのうち「第3部」に配置した。

便宜上、1800年を時間の原点にとったので、回帰直線の切片は、1800年の人口密度に対応する。その分布地図をここに引用する。対象期間をつうじて人口密度の分布はあまり大きくかわらないので、この図を代表とみることができると思う。

↑ 直線回帰による 1800 年 の 人口密度 [人/km3]

回帰直線の傾きの図もつくったが、ここでは、人口増加率 [%/年] に換算したものの分布地図を引用する。

↑ 直線回帰による 1721-1846年 の 人口増加率 [%/年]

直線回帰による人口増加率は、1721年と1846年の値から計算した人口増加率 (分布地図を「第2部」に収録した) とだいたい同じである。ただし、大隅と豊後では、直線回帰による値ははっきりと負なのだが、最初と最後の値から計算すると 0 に近くなった。そこでは、1721年から1750年までは人口が大きく増加しているのだが、それ以後は減少傾向なので、そうなるのだ。

人口増加率の分布でめだつのは、北関東 (上野、下野、常陸) で大きな減少がみられることだ。増加しているところは、北陸、中国 (近畿に近いところをのぞく)、四国、九州 (大隅と豊後をのぞく) などに分布している。

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調査年次のあいだの期間ごとの人口増加率の分布には、「国」ごとに大きな値が見られることがあるが、同じ「国」で一つの区間と次の区間とで逆符号の大きな値が見られるばあいには、実際には変化が小さく、データにまちがいがある (調査がうまくいっていないか、調査後に書きまちがいなどが生じた) ことを疑いたくなる。しかし、実際の人口変動としてありうる数値ではあるので、まちがいといいきれない。

とくに、わたしは、天保のききんに関心があったので、1834-1840年の期間の人口増加率の分布地図を見て、増加あるいは減少の値が大きいところに注目しようとした。ところが、その前の 1828-1834年の人口増加率を見ると、逆符号の大きな値が見られるところが多かった。2つの期間をまとめて、1828-1840年の 12年間の人口増加率の分布地図をつくってみた (「第2部」に収録した)。ここに引用する。

↑ 1828-1840年の人口増加率 [%/年] 【[2022-09-12] 図にまちがいがあったので、さしかえた。】

このようにまとめると、東北・北陸・山陰などで減少がみられる (その大部分は 1828-1834年の期間におきている) が、明確に増加しているところはない。おそらくこれが天保期の人口の変化傾向を代表していて、2つの期間で逆になるのは 1834年の調査が (おそらく飢饉の社会情勢のせいで) 不正確になっていたのだろうと思う。ただし実際に大きな変動があった可能性を否定するほどの根拠はない。