macroscope

( はてなダイアリーから移動しました)

江戸時代の人口変化の地理的分布を見る (1) 天保のききんの時期など

【[2022-07-18] このデータの統計処理をやりなおしました。このページに置かれていた図は、正確でないおそれがあるので、記事からリンクするのをやめました。(図があったところに「[図]」という字を置いています。) ちかぢか、それにかわる図をふくむ あたらしい記事をだす予定です。 つくりなおした図をふくむ [2022-09-11 江戸時代の人口変化の地理的分布を見る (新1)]の記事をごらんください。

- 0 -
この記事は、直接には気候をあつかっていないが、「歴史気候」のカテゴリーにふくめることにした。[2019-03-25 気候が人口にどのように影響をあたえるかについての考え]の記事に書いたような動機で、すこし作業してみた報告だからだ。

- 1 -
日本の江戸時代には、幕府による人口調査が、1721年から1846年まで、原則6年ごとにおこなわれた。(ただし、人口の定義が近代とちがうところがある。ひとつあげれば、武士の人口は調査対象にふくまれていなかった。) 各藩にしらべさせたものをまとめ、「国」(大宝律令(701年)以来の「令制国」、たとえば武蔵の国、出羽の国)ごとに集計した。ところが、この人口調査の公式な記録は残されなかった。「国」ごとに集計された値は、さまざまな文書に分散してのこっていて、関山(1958), 高橋 (1971), 南 (1978, 1984)など、研究者がほりおこして出版した。

それは、速水(監修) (1992)にまとめられている。1721, 1750, 1756, 1786-1804の6年ごと, 1822-1846の6年ごとの各年の値がある。時系列としてみたことによって記録された値が正しくないと推測されたところもあって、注釈がつけられている。この表は、速水(2009)の本にも「表3-4」として収録されている。この表と同じデータを、高橋美由紀さん(日本経済史・歴史人口学、立正大学)から、ディジタルの形でいただいた。

速水(1971)は、この資料(当時利用可能であった部分)をつかって、国別の人口の変化率 (= 人口の変化 / 人口)を、対象期間全体(1721-1846年)と、この論文で「三大災害年」とした期間(1721-1750, 1756-1786, 1834-1846年)、それ以外の期間について、それぞれ、地図を模様でぬりわけた形で示している。「災害年」には東北、関東、北陸、近畿で人口がへっている。この論文は、速水(2009)の本の第1章としても出版されている。

この「災害年」には、天保のききんの期間もふくまれているが、わたしは、それをとりわけて見たいと思った。

南 (1978) の本の第96表に、関東・東北地方は国別、そのほかは地方別に、1828-1834, 1834-1840, 1840-1846年の人口変化がしめされている。

また、[2019-05-28 人口変動の要因としての天候: 浜野 潔 (2001) 天保のききんを1年ごとにみる]の記事でもふれた 浜野(2001)の論文の表7-3に、地方別に、1828-1834, 1834-1840年の人口変化率がしめされている。

わたしは、国ごとの値の6年ごとの変化を地図に表示してみたいと思った。それをみて論じることは、ひとつひとつの国についてではなく、日本をおおきく地方にわけた分布になると思う。しかし、国ぐにをどのように地方にまとめるかは、あらかじめきめるのではなく、数量の分布をみてから考えたかったのだ。

文献

  • 浜野 潔, 2001: 気候変動の歴史人口学 --天保の死亡危機をめぐって-- 。速水ほか (2001) 第7章, 173-192.
  • 速水 融 [はやみ あきら], 1971: 徳川後期人口変動の地域的特性。『三田学会雑誌』64巻 8号 67-80.
  • 速水 融 監修, 1992: 国勢調査以前日本人口統計集成 I。原書房。
  • 速水 融, 2009: 歴史人口学研究。藤原書店。[読書メモ]
  • 速水 融、鬼頭 宏、友部 謙一 編, 2001: 歴史人口学のフロンティア。東洋経済新報社。[読書メモ]
  • 和男, 1978: 幕末江戸社会の研究。吉川弘文館。
  • 和男, 1984: 寛政四年の諸国人口について。『日本歴史』 432号 42-47.
  • 関山 直太郎, 1958: 近世日本の人口構造。吉川弘文館。
  • 高橋 梵仙, 1971: 日本人口史研究。日本学術振興会。

- 2 -
1822年から1846年まで、6年きざみに、それぞれ6年間の人口変化率の地理的分布を、地図に表示してみた。ここでいう人口変化率は、「(後の年の人口 - 前の年の人口) / (前の年の人口) 」である。その数値に100をかけて%としてしめす。(1年あたりにしていないことに注意。)

データセットの注釈を参照して、つぎの国・年を欠損あつかいにした (ここで作図した期間にかぎらずにあげておく)。

  • 下総 1822, 1834 過小とみる (その前後が過大である可能性もあるが)
  • 甲斐 1828 過大
  • 伊豆 1792, 1798, 1840, 1846 過小 (おそらく、伊豆諸島をふくまない集計)
  • 対馬 1756, 1828 過小
  • 駿河 1750 過大
  • 三河 1792 過小
  • 美作 1792 過小

6年間の期間のはじめとおわりの一方でもデータが欠損のばあいは、その期間の人口変化率を欠損とした。

作図につかったソフトウェアと、国の境界線の地理データについては、あとの4, 5節でのべる。

4つの各6年間の期間について、「国」の領域を色でぬりわける形で表現した図をしめす。人口がふえているところを赤系統の色、へっているところを青系統の色、データ欠損を黄色とした。

[図] [図] [図] [図]

結果のあきらかな特徴として、つぎのことがあげられる。

  • 1834-1840年。多くの地方で人口がへった。とくに東北、北陸、山陰には、10%以上へっている国が多い(20%以上へった国はない)。九州、四国、関東には人口がへっていないところもある。
  • 1840-1846年。多くの地方で人口がふえた。とくに東北、北陸、山陰には、5%以上ふえている国が多い。

人口は、東北、北陸、山陰で、天保のききんによって大きくへり、その後に回復した、と解釈できそうだ。ただし、そういいきるには、ほかのうらづけも必要だろう。また、これだけでは、とくにあたらしい知見ではない。これからの研究で、気候の要素の時空間分布と関連づけられれば、成果になるかもしれない。

なお、図によれば、下野、常陸、駿河、近江で、1834-1840年に人口がふえているが、1828-1834年には、いずれもへっている。この4つの国では、1834年の人口が過小に記録されただけで、前後どちらの期間の人口変化も小さかった、ということがありそうだと思う。もしそうならば、ここも欠損あつかいして、黄色でぬっておくべきかもしれない。あるいは、この国ぐにでは実際に1834年までに (おそらく1833年の冷夏で) 人口がへったのかもしれない。まだ判断がつかないので、ひとまず計算された値をしめしておく。

- 3 -
数量をあらわすのに、地図を領域(ここでは「国」)ごとにぬりわける表現方法は、あらわしたいのが面積あたりの数量であるばあいはよいが、それ以外の量のばあい、面積がひろい領域の情報がつよく、面積がせまい領域の情報がよわくつたわってしまうという欠点がある。この問題については、[2020-04-04 新型コロナウイルス患者の東京都の市区町村別分布を見る]の記事でふれた。そこでこころみたように、柱の高さであらわすほうがよいかもしれない。ただし、正と負の値をつたえるにはひとくふう必要なので、時間がとれるときにやりたい。

- 4 -
「国」ごとにぬりわけるには、国の輪郭線を、点の列で近似して、その点の緯度経度の情報をならべたデータがほしい。ただし、日本地図のなかで「国」が表現できればよいので、あまり精密なデータを期待してはいない。「国」の境界は、実際、いまの行政区画の境界ほど精密にはきまっていなかっただろう。また、本やテレビなどに歴史時代の状況を説明する地図が出てくると、海岸線が近代の埋め立て・干拓などによってかわっているところが気になる人もいるけれども、わたしは、海岸ぞいの状況が主題でなければ、それは気にしないことにする。

2018年に、「国」の輪郭線の地理情報データを、ウェブ上のキーワード検索でさがしたら、今津 勝紀さん(日本古代史、岡山大学)のものと、立岡 裕士 [たつおか ゆうじ] さん(地理学、鳴門教育大学)のものの ふたつが見つかった。(そのほかキーワードではそれらしいものがあったが、地図画像データだった。) 2020年3月に、実際につかおうと思って見にいったら、立岡さんのウェブサイトにつながらない。(大学の研究者紹介のページにある研究室のウェブページへのリンクを選択しても応答がない。)

今津さんの研究室ウェブサイトの「地図」のページ http://www.cc.okayama-u.ac.jp/~kimazu/map/map.html
には、つぎのふたつのデータセットがある。形式はいずれも、ESRI社の地理情報システムソフトウェアでつかわれている「shapefile」になっている。

  • 旧国日本地図(shape版)
  • 旧国日本地図(古代)(shape版)

このうち「古代」でないほうをつかうことにした。

ソフトウェアは、谷 謙二さん(地理学、埼玉大学)による「MANDARA」をつかった。これは shapefile を読んで作図することができる。これについては、[2020-04-04 新型コロナウイルス患者の東京都の市区町村別分布を見る ]の記事でふれた。【わたしの動機としては、むかしの人口のデータを表示するほうがさきで、いまの患者数のデータを表示してみたのはそのついでなのだった。】

- 5 -
図化の作業手順の覚え書きをのこしておく。【このブログ記事の結論ではなく、おまけである。】

まず、今津さんのshapefileデータセットをMANDARAで読んでみた。このデータセットは、「.shp」でおわるなまえの、せまい意味のshapefileのほか、複数のファイルからなっている。「.dbf」でおわるなまえのデータベースファイルに「属性」情報がある。

この属性テーブルを編集して、shpファイルとの関連をしめす列、今津さんのつけた国番号、国名、「東海道」などの「道」の名まえの列をのこして、それ以外の列(今津さんの研究での作業のなごりと思われる)を消した。そして、別のファイルに書き出した。(実際にどうやったかわすれたが、MANDARA側で「編集」のうち「クリップボードにデータのコピー」を実行し、別にテキストエディタをひらいて、そこにはりつけ、書き出せば、タブくぎりテキストファイルになる。)

別に、速水さん監修の江戸時代の人口のデータセットのExcelファイルの内容をテキストファイルに書き出した。

今津さんの属性テーブルと、速水さん監修の人口データとでは、国をならべる順序も国番号もちがっている。国名で照合してもよいのだが、もし国名がちがう文字であらわされているとうまくいかない。(実際、今津さんの属性テーブルには「参河」があった。) そこで、両方の表を目でみながら、属性テーブルに1列追加し、それぞれの国に対応する人口データでの国番号を手入力で入れておくことにした。

そのうえで、 Awk言語のプログラムを書いて、それぞれの国の人口変化率を4つの(それぞれ6年間の)期間について計算し、それを属性テーブルにあたらしい列として追加した表をテキストファイルとして書き出した。

その表を表計算ソフトウェアで読み、範囲指定して「コピー」でクリップボードに入れ、MANDARAの「編集」の「属性データ編集」で開いた表にはりつけた。

6年間の期間の前後どちらかがデータ欠損の「国・期間」について、変化率の数値がはいっているセルの内容を消した(空白文字でなくnullにした)。(これはAwkプログラムの段階でやっておくべきだったのだが、わたしはMANDARAの「属性データ編集」でやった。)

MANDARAで、「データ表示モード」「単独表示モード」「階級区分モード」「ペイント」を選択。「ペイントモード」のサブメニューで、階級区分方法、色設定方法をかえて、「描画開始」。図の窓の上のメニューの「ファイル」から「画像の保存」でPNG画像ファイルに書きだした。ここで表示した画像は、そのPNG画像ファイルを、別のソフトウェア GIMPですこし加工したものである。