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江戸時代の人口変化の地理的分布を見る (2) 1721年-1846年全体の傾向

【[2022-07-18] このデータの統計処理をやりなおしました。このページに置かれていた図は、正確でないおそれがあるので、記事からリンクするのをやめました。(図があったところに「[図]」という字を置いています。) ちかぢか、それにかわる図をふくむ あたらしい記事をだす予定です。 つくりなおした図をふくむ [2022-09-11 江戸時代の人口変化の地理的分布を見る (新1)]の記事をごらんください。

[2020-04-06の記事]のつづき。

幕府による人口調査の記録がのこっている最初の1721年と最後の1846年の値をもとに、この期間全体の変化を見てみた。数値は「( (後の年の値) - (前の年の値) ) / (前の年の値) × 100」を % としてしめす。出典は2020-04-06の記事と同様である。

[図]

この期間をつうじて、人口は、九州・四国・中国地方(ただしいまの岡山県をのぞく)の大部分の国でふえている。とくに周防と薩摩では60%以上、安芸では50%以上ふえている。(速水(1971)がすでに論じているように、幕末に「薩長」が力をもったことの要因になっただろうと考えるのはもっともだと思う。ただし、長州藩は長門も20%台の増加だからよいのだが、薩摩藩は大隅で人口がへっている。九州ではこのほかに豊後で人口がへっている。)

東北・関東と近畿では人口がへっている国が多い。(中国地方のうちいまの岡山県は近畿のつづきに見える。) とくに、北関東の上野・下野・常陸で20~40%のあいだの減少がみられる。最初と最後の年だけの異常ではない。

北陸・山陰は、天保のききんをふくむ1834-1840年の期間には人口がへったのだが、この全期間では人口がふえているところがおおい。