【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】
【この記事は個人の随想です。知識を提供するものでも意見を主張するものでもありません。】
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ひとつまえの [2025-02-21 (お) しんこ] の記事と、わたしにとっての意識のながれはつづいているのだが、記事をわけることにした。
わたしは 3年ほどまえから、JR 武蔵野線で通勤している。そのことは [2024-04-02 武蔵野線 [むさしの せん]] の記事に書いた。それで、いつも「しんこだいら」 (新小平) という駅をとおるので、「しんこ」をおもいだすことがおおくなっているのだ。
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「しんこだいら」から「しんこ」をとりだしたくなってしまうことには、ことばのアクセントが関連している。
日本語のアクセントは高低アクセントだ。そして、NHKのアナウンスの標準とされている東京型のアクセントでは、さがりめ が重要で、あがりめ は付随的にきまる。ここでは、さがりめ を "⏋" でかき、あがりめ は省略することにする。
わたしの個人アクセントは東京型だ。NHK標準とのちがいをわたしが自覚しているところは、[2012-10-23 わたしの個人言語と共通語の違い] の記事にも書いたのだが、 形容詞の活用形のアクセントを終止形とかえないことだ。「白く」は NHK標準では ”シ⏋ロク” らしいが、わたしの個人アクセントでは "シロ⏋ク" なのだ。いまの文脈では、このちがいは問題にならない。【あがりめ に ついて、"シンコ" のように 2拍めが「ン」である語のアクセントが平板型ならば、NHK標準では "シ⎾ンコ" のようにあがりめがあるが、わたしの発音ではまったく平板である、というちがいがあるが、ここでは あがりめ をとりあげないことにする。】
東京型アクセントでは、2つの要素からなる複合語では、後半の要素の1拍めのあとに さがりめ がくる、という規則性がある。
たとえば「青梅街道」の「青梅」は ”オ⏋ーメ” 、「街道」は "カイドー" (平板型) だが、 つながると "オーメカ⏋イドー" となる。
そこで、”シンコダ⏋イラ” ときくと、”シンコ" + "ダイラ" の複合だろう、と推測するのは自然な発想だとおもう。 "ダイラ" ということばにこころあたりがなければ、"タイラ" の連濁だろうと推測する。そこで "シンコ” とはなんだろう、となるわけだ。
「新」と 「小平」からくみたてられた複合語ならば、アクセントは "シンコ⏋ダイラ" となるはずだとおもう。しかし実際にはそうなっていない。ただしこれは、「新」が軽い接頭語なので後半部のアクセントがそのままのこったのだろう、と、合理的に解釈できる。
(「小平」自体にも、(意味ではなくアクセント形成のたちばで) 対等な要素からなる複合語なのか、”コ" が接頭語なのか、という問題があるが、ここでは深入りしないことにする。)
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話題はとぶが、わたしには「新小平」の駅名の漢字表記からは、別の連想が生じる。
「小平」のまえにもうひとつ漢字があることが認識できて、その漢字がなんであるか推測しようとするとき、わたしのあたまにおもいうかぶのは「鄧小平」なのだ (「鄧」あるいはその簡体字の「邓」の字をおもいだせるとはかぎらないのだが)。1980年代、中国の政治家のなまえとしてはまっさきにでてくるものだった。日本のマスメディアは中国の人名を日本漢音でよむから、そしてわたしはその時期に中国にいかなかったから、わたしはそのなまえを「とうしょうへい」という日本語の音とともに記憶している。
辞書をひいて (このごろわたしは字音の確認は Wiktionary ですませてしまっているが) 、中国語のピンインでは (声調記号を省略して) 「Deng Xiaoping」であることを確認した。これを日本語のかながきにどううつすかはまようところだが、わたしの判断は「トン シャオピン」となる。中国語ピンインの「d」は無気音だがかならずしも有声音ではない。「e」は (ei や ie にふくまれるばあいを別として) 日本語にない母音で、かなをあてはめにくいが、あえてえらべば五十音図のオ段だとおもう。「小」の xiao は「少」の shao とはちがう音なのだが、かながきはどちらも「シャオ」がよさそうだ。「シアオ」「シヤオ」などとしても日本語のなかでつたわるうちに「シャオ」とまざってしまうとおもう。
なお、鄧小平時代のスローガン「改革開放」も、(日本のマスメディア経由だったから日本漢音の「カイカクカイホー」として) わたしの記憶にしみついてしまった。無関係なところでおもいだしたことを、[2013-09-05 改革開放?] の記事で話題にした。(そこにでてくる駅は JR 東日本だが武蔵野線ではない。)