【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】
【この記事は個人の随想です。知識を提供するものでも意見を主張するものでもありません。】
電車のつぎの駅のアナウンスとか、テレビのニュースとかで、「しんこ」ではじまる音の列 (あるいは、かな文字の列) にであうと、わたしは「しんこ」まででくぎって意味をとろうとするくせがある。【わかってみると、ほとんどのばあい、「こ」ではじまる地名か人工物のなまえ (たとえば「国立劇場」) のまえに「新」がついたものであって、「しんこ」でくぎる必要はなかった、ということになるのだが。】
それは、たぶん、こどものころ、「しんこ」とはなにか、なぞだった、という経験があるからだ。【であったことばは、たいていのばあい「おしんこ」というかたちだったが、それは食卓にでてくるものであり、食卓にでてくるものに「お」または「ご」がつくのは「ごはん」や「おはし」をはじめとしてあたりまえだったので、「しんこ」に「お」がついたものと理解した。】
ときに、それは、つけものだった。「たくあん」とおなじものであることもあったが、「ならづけ」など、ちがう種類のつけもののこともあった。
ときに、それは、お菓子だった。やわらかい和菓子で、かたちは一定していなかった。
それぞれ、だれからきいたのだったか、おもいだせないのだが、親戚の人だったとしても、飲食店の人だったとしても、食卓にたべものをだしてくれる人、という属性が共通だったので、わたしはこの両方を おなじ ことば だとおもった。しかし、その意味のひろがりがよくわからなかった。【いまのわたしならば、食卓にでてくるたべものであり、ごはんやパンのような「主食」ではなく、肉料理や魚料理のような「おかず」でもない、軽くつまむようなもの、というふうにまとめることはできる。英語でいえば snack にあたるかもしれない。こどものころのわたしはそのようなはっきりしたかんがえにはいたっていなかったが、なんとなく、それにちかい意味のひろがりを想定していたとおもう。】
中学生ぐらいになって、小説や随筆の本をよむようになった。(小説は途中でよむのをやめてしまったことがおおかったのだが。) そのうちには、漢字にふりがながつけてあるものもあった。それで、わかってきた。
つけもののほうは「お新香」だった。つけものを「香[こう] のもの」ともいう。発酵によって揮発する成分が生じ、人の鼻の感覚を刺激するからにちがいない。【なお、それを理解したわたしは、大学生ぐらいのころ、ある飲食店で「お新香」 (という文字づかいがされていた) を注文してでてきたのが白菜の浅漬けだったのを変だとおもった。その つけもの のだす香りはその店のおもな料理の香りよりもはるかに弱かったから。】
お菓子のほうは「お新粉」だった。米の粉を分類したうちに「上新粉 [じょうしんこ]」というものがあるのだ。 (ほかに「白玉粉 [しらたまこ]」などがある。) それは、だんご などにつかわれる。地方にもよるが、単に「だんご」と言ってでてくるもののおおくは上新粉をまるめてゆでたものだ。上新粉でつくられているが、球形でないものを、材質にもとづいて「おしんこ」ということがあるのだ。
語源が別なので、両者にまたがる意味のひろがりを想定する必要はないのだった。そうわかっても、わたしのあたまには、「しんこ」ということばの意味をさぐるくせがのこってしまっている。