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いわゆる「化学物質過敏症」、鈍い意味と鋭い意味、学説過信

【この記事はまだ書きなおす可能性があり、その際に当初の形を残すことを約束いたしません。】

「(多種類)化学物質過敏症」(英語ではmultiple chemical sensitivity、MCS)あるいは本態性環境不耐性症(idiopathic environmental intolerance、IEI)と呼ばれる病気について、ネット上で論争というよりもむしろ言い合いが起きている。

内科医のNATROM氏は2002年6月6日づけ(2009年2月18日最終改訂)のウェブページ「化学物質過敏症に関する覚え書き」を書いていた。最近も(わたしは追いかけていなかったが) twitter上でこの問題を論じていたようだ。それに対してtwitter上で、MCSあるいはIEIの患者のaoi_azuma氏、mortan_cs氏、momomo_ensemble氏が反論していた(ただしこの人たちが一致した主張を持ったグループを作っていたわけではない)。そして、この「はてなダイアリー」のブログに、NATROM氏自身(7月11日から)、NATROM氏の主張を大筋では支持する(ただし行き過ぎを批判することもある) ublftbo氏(6月14日から)とshinzor氏(7月9日から)、NATROM氏を批判するsivad氏(7月4日から)の記事がそれぞれ複数出されている。またkumicit氏はブログhttp://transact.seesaa.net に7月12日からMCSに関する北アメリカの情報を紹介する記事を複数書いている。

化学物質過敏症という病名による診断は、おもに「clinical ecologist(s)」、日本語では「臨床環境医」と呼ばれる人々がしてきた。kumicit氏が9月7日の記事で紹介している次の文献を読んだ。著者はトロント大学の医学史の教授。

化学物質過敏症という考えを広めた中心人物は、アメリカの医師Theron Randolphである。彼を中心として1966年にthe Society for Clinical Ecologyという団体が作られたが、1984年にthe American Academy of Environmental Medicine (AAEM)と改名されている(この改名にはRandolphは反対だったそうだ)。

Shorter氏は論文の題名にもあるようにMCSをpseudodiseaseとみなしている。ただしこれは、ほんとうは病気ではない人がうそをついているという意味ではない。健康の不調を訴えている患者はいるのだ。しかし、そういう患者を同類としてまとめ、さらに原因を微量の化学物質への過敏であると推測する医師の判断がじゅうぶん科学的でないので、MCSという病気が存在すると考えないほうがよいと言っている。なお、Shorter氏は、clinical ecologistsの診療態度が患者に(現代の通常の医療からは得がたい)対話や心理的支援をもたらした面があることは認める。

ここまでのところではShorter氏の言うことはもっともだと思ったが、同意できないところもある。Shorter氏は、MCSと診断された患者は、実は心因性の病気か、病気というほどでない状態だろうと考えているようだ。わたしは、NATROM氏の言うように、MCSとされる人の一部は、通常医学で診断すれば別の身体の病気と認められるだろうと思う。またShorter氏は、この病気が人がもっと石炭の煙などの化学物質にさらされていたはずの20世紀初めごろの工業地帯でなく20世紀後半の住宅地で現われたことから、原因は化学物質とは考えにくいとも論じている。しかし、MCSの概念が提示される前の時期にのちにそれに分類される病気がなかったとは言い切れないし、20世紀後半にあらたに身近になった化学物質が原因であることもありうるはずだ。

人によってはMCSと同一視するものとして、「シックハウス(sick house)症候群」がある。その少なくとも一部は、建材・塗料・接着剤などに含まれた有機溶剤などの揮発性有機物の毒性によるものと考えられ、日本では建材中のホルムアルデヒドなどの規制に至っている。

また「杉並病」と呼ばれるものがある。東京都杉並区のごみ中継施設の付近の住民が喉の痛み,頭痛,めまい,吐き気,動悸などの健康被害を訴えたものだ。1997年に原因裁定を求める申請が出され、2002年に裁定があった(杉並区における不燃ゴミ中継施設健康被害原因裁定申請事件 http://www.soumu.go.jp/kouchoi/activity/suginam.html )。裁定は、申請人18名のうち14人について、1996年の4月から8月ころに生じた被害については、原因物質の特定ができないが、因果関係を肯定することができるとした。原因物質の候補としては、未処理の排水に含まれていた硫化水素等と、排気系から漏出し無処理のまま換気系を通して排出された化学物質がある。他方、排水処理と換気系の対策がされて以後の申請人の症状を、化学物質過敏症や広義の化学物質アレルギーによって説明することは困難であるとした。これは科学だけでは答えられない問題に対する行政的答えであるが、そこでは証拠不足で確定できなかったものの、1996年8月ごろまでは微量とは言いがたい量の有毒物質がもれていたと推測されたようであり、MCSの典型的想定とは違っていると思う。

事実調べが充分とは言えないがいったん打ち切って、総論的に考えてみる。

1970年代に高橋晄正(こうせい)氏の講演で「医学の認識には、現象論、構造論、因果論という段階がある」と聞いた覚えがある。まず、どういう人にどういう症状が出ているという記述がされる。次に、複数の症状の間、また症状と患者の生活条件との間の相関関係が調べられる。そして因果関係の仮説がたてられ、実験あるいは統計的推論によって検証される。医療はなるべく因果論の段階の医学に基づくのが望ましいと、高橋氏は考えていたにちがいないし、わたしもそれはもっともだと思う。しかし、まだすべての病気についての認識がその段階に達しているわけではなく、たとえ努力してもすぐに達する見こみがあるわけでもない。人を苦しみから救う現場の医療は、構造論あるいは現象論の段階にある医学をも使わなければならないことがある。

医学は、一定の構造をもつ症状群に対して、圧倒的に重要なひとつの原因を示すことができるような状況では、早く因果論に進むことができ、それに基づく対策を設計することができる。

しかし、人間は、物理的(例、温度変化、騒音)、化学的(生物起源物質、人工合成物質)、生物的(例、細菌)、社会的(例、近所づきあい)、など、いろいろなストレスとともにある。単独では病気にならない複数の要因が同時に働いた結果、病気になることもあるはずだ。たとえば、環境温度変化に対処するために体力を消耗して、細菌の繁殖を抑制できない、といったことだ。要因が複雑にからむ状況では、科学的因果論をうちたてることがなかなかできない。その場合の治療に向けての適切な態度は、臨床の医師が作業仮説をもち、患者を観察しながら仮説適用を考えなおすことだろう。

症状がアレルギーあるいは中毒にいくらか似ているが、原因となる化学物質が特定できないような患者について、作業仮説として、環境要因、とくに複数の微量の化学物質に対する過敏であろうと考え、それに基づく治療を処方するのは、もっともなことだと思う。

そして、健康保険などの枠組みでは、診断で病名が定まった患者に対する治療は制度化されやすいが、とらえどころのない症状をもつ患者への対応は制度化されにくい。この状況では、構造論の初歩的段階くらいで病名をつけてやる必要がある。日本の健康保険で2009年から「化学物質過敏症」が有効な病名として認められた(日本医師会化学物質過敏症http://www.med.or.jp/forest/check/c-kabinsyo/01.html 参照)のはこのような実用的判断によるもので、因果論が公的制度によって認められたことを意味しないと思う。[9月13日の記事]で導入した「鋭い用語づかい、鈍い用語づかい」という表現を使えば、「化学物質過敏症」ということばの鈍い使われかたは有効と考えられているのだ。

しかし、病名にとらわれて、作業仮説を確立した学説のように考えてしまうと、まずいことになる。「化学物質過敏症」という概念は、鋭い使われかたに耐えるほど磨かれていないのだ。日本の「臨床環境医」についてはわたしは調べていないのでよくわからないが、kumicit氏の伝える北アメリカのclinical ecologistたちのおこなう治療には、腸内洗浄やキレート療法など、効果が疑わしいうえに治療のリスクがあるものもある。Clinical ecologistたちは[9月6日の記事]で述べた「学説過信」におちいっていると思う。

化学物質過敏症」と診断されて、そのもとで治療を受け、健康状態改善の効果があると感じている患者が、その病名の概念が無効だといわれることに反対するのは心情としてはもっともだ。しかし、個別の患者の治療が成功しているとしても、必ずしもその根拠となった理屈が正しいとは限らない。また、同じ患者について、この診断に基づく治療と違った診断にもとづく治療とで健康状態改善の効果を比較評価することは実際上できないことが多い。多数の患者についての統計的評価は可能かもしれないが、どういう条件をみたす患者を比較可能とみなすかの判断にむずかしさが残る。

臨床環境医の診断と治療を受けている患者が、自分はそれで納得しているならば、そう言うことはよいと思う。しかし、他の患者に対して、臨床環境医の診断と治療を勧める人(本人が患者であっても)と、他の医師の診断を勧める医師の意見があれば、わたしは医師の意見のほうを尊重することを勧めたいと思う。

現在「化学物質過敏症」あるいはその疑いがあると考えられている人について、その概念を前提としない診断がされれば、その一部の人については、具体的な病気の原因が指摘されるだろう。それは化学物質ではないかもしれない。また、化学物質が原因となって病気となったとしても、因果関係はいろいろある。おそらく次のうち第1と第2のものは「中毒」、第3のものは「アレルギー」と呼ばれるのだと思う。【[2014-10-21補足] 最後の2つは問題の物質が実際に患者と接触しなくても起こるので、その物質を「原因」と呼ぶのは不適切だということもできる。しかし、その物質がそこに存在する可能性が原因になっているという見かたもできる。「原因」ということばの意味の広がりの違いであり、どちらが正しいと争ってもしかたがない。】

  • 化学物質自体の生理作用 (例、一酸化炭素がヘモグロビンの酸素交換機能をじゃまする)
  • 化学物質による神経の情報伝達機能の乱れ、それによる身体の変化
  • 免疫作用 (化学物質が抗原となり抗体が形成される)
  • 物質に関する知覚(例、におい)に対する条件反射
  • 物質の存在を認識することに伴う心理的効果
  • 物質を避けようとする努力に伴う心理的負担

また、原因物質がXとわかれば、もはや「化学物質過敏症」ではなく、たとえば「X中毒」「Xアレルギー」のように呼ばれるだろう。このようにして、「化学物質過敏症」患者と呼ばれる人への診断と治療の努力が進むにつれて、「化学物質過敏症」の概念は解体していくだろう。

しかし、科学としての医学の進歩は対象をしぼった(鋭い)ものになるだろうから、その理解の枠組みからとり残される症状をもつ人はいるだろう。そういう人々を大づかみな(鈍い)枠組みでとらえた上で、(その全体でなく)個別の患者の健康状態改善をめざして(鋭いが不確かな)作業仮説をもって取り組む人々も必要であり、社会はそういう人々も医学者として尊重するべきなのだと思う。ただし、そういう人々が学説過信におちいらないように注意していく必要があるだろう。