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「風立ちぬ」

風立ちぬ」という映画が話題になっている。わたしは映画を見る習慣がないし、宮崎駿(はやお)監督にもとくに興味がない。航空工学の中身に立ち入った話ならば、気象学の歴史にもかかわる可能性があるのだが、うわさによればそうではなさそうだ。関東大震災の描写はよいという評判も見たが、それをめあてに映画館に行こうとも思わない。テレビで放送されたら見るかもしれない。

ここでは題名にだけこだわっておく。この題名は、堀辰雄の小説の題名からきている。そしてそれは、Paul Valéryの詩の一節「Le vent se lève! Il faut tenter de vivre!」からきている。もとの詩Le Cimetière marin (海辺の墓地)はhttp://fr.wikisource.org/wiki/Le_Cimeti%C3%A8re_marin にある。またC. Day Lewis による英語訳との対照で http://homepages.wmich.edu/~cooneys/poems/fr/valery.daylewis.html [2018-06-16 リンク先をweb archiveに変更]にある。問題の節は最後の連の最初の行だ。わたしはこの詩全体を読みきれていない。(問題の節のあとの文はともかく、前の文になぜ感嘆符がついているのかも理解していない。) しかしともかく堀辰雄の「風立ちぬ、いざ生きめやも」というのはこの節の訳として変だという議論はもっともだと思う。

「Il faut tenter de vivre!」はLewis訳では「We must try to live!」だ(ただしフランス語原文にはweに直接対応するものはない)。「いざ生きむ」ならばよいのだが、「やも」は反語になってしまう。堀辰雄が誤訳したのか、あえて原文とは違う「生きたいのだが、生きられそうもない」というような意味の語句を創作したのか。宮崎監督は「生きねば」という形でとりあげている。こちらは原文の意味に近いだろう。

「se lève」は現在形であって、「立ちぬ」の完了態表現には対応しない。「立つ」でよいと思うが、目の前の情景の描写だとすれば、古文ならば「立てり」(たち-あり)のほうがよいかもしれないと思う。堀辰雄も、宮崎監督も、あえて原文を離れても、ここは回想であるという印象を与えたかったのだろうか?

わたしはフランス語の読みにも日本語の古文の作文にも自信がないが、Valéryのこの語句を古文に訳すならば「風立てり。いざ生きむとす。」としたい。

さて、「Le vent se lève.」は「風が起こる」ことだと思うが、それを聞くと、日本語圏では、秋が始まることへの連想が働くと思う。フランス語圏でもそうなのか、わたしは知らない。日本(関東から九州にかけての東西軸地方)の夏にも、もちろん風は吹く。ときには嵐もある。しかし夏の大部分の時間は亜熱帯高気圧の下にあって風は弱い。秋には温帯低気圧がほぼ一定時間ごとに通過する。夏から秋に移ることは、風が弱い季節から確実に風が吹く季節に移ることとも言えるだろう。ただし、冬や春が風の季節でないというわけではない。