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エネルギー資源の問題三角(トリレンマ)についての個人的意見

エネルギー資源に関する政策の課題は、英語の頭文字で3E (energy=エネルギー、environment=環境、economy=経済)の三つの角(つの)をつかむ問題(tri-lemma)だと言われることが多い。ここで「energy」はエネルギー供給の確保をさし、「energy security」と書かれることもあるが、「安全保障」は含みがありすぎるので避けておく。

わたしは今の状況で、これを少し特殊化して、

「脱化石燃料」「脱原子力」「経済成長」をならび立たせるのがむずかしい

という形で示したい。

大震災前の日本(とくに鳩山内閣、震災前の菅内閣)の政策の基本は、

「脱化石燃料」「原子力あり」「経済成長」 ... (1)

だったと思う。日本に限らず、国際政治の場でもこれが正論とされていたと思う。

そこで想定されていたのは、経済成長に伴うエネルギー需要の増加を、化石燃料に代わって(再生可能エネルギーも使うのだが、かなりの部分を)原子力でまかなうために、世界のあちこちに毎月のように原子力発電所が建設されていくような状況だ。

しかし、福島第一原子力発電所の事故を受けて考えてみると、これでは、スリーマイル島級以上の、(さすがに同じまちがいは防げると思うので)それぞれ顔つきの違う事故が毎年のように起こる世界を意味するだろう。

震災後の日本の政治家やマスメディアの論調はむしろ

化石燃料あり」「脱原子力」「経済成長」 ... (2)

に向かっているように思われる。

これでは地球温暖化の勢いは止まらない。気候の予測は厳密にはできないし、全球平均地上気温がなん℃上がるのが危険かを示すことは主観的にもむずかしい。しかし温室効果気体増加が続けば雨がますます集中するという傾向性には科学的根拠がある。(今年の夏に日本でも(紀伊半島などで)起きた観測史上もっとも強い豪雨の原因として温室効果気体増加がどれだけ働いているかと問われても、うまく答えられないのだが。) また、海面上昇も進むと予想される。これはけっして「この世の終わり」ではない。しかし、住みにくい世の中になりそうだ。

現実的と言われる人たちは、(1)と(2)の折衷案を出しているらしい。原子力発電所をふやすわけではないが、点検終了後は再稼働し、不足するぶんは化石燃料利用でいこうというものだ。

しかし、この現実主義は、政策目標が資本の自己増殖の勢いに(あるいは物質的財がふえることによって人々が感じる快感に)乗っ取られているもとでの現実主義ではないだろうか?

わたしには、放射性物質の危険性と温暖化のもたらす困難を考えたとき、

「脱化石燃料」「脱原子力」「経済成長を期待せず」 ... (3)

に向かうことこそ、現実的なのではないかと思う。もちろん、今の政治・経済のしくみのままでは、経済が成長しないことは、失業者や貧困に苦しむ人がふえることにつながってしまうので、それを変えていくこと、とくに雇用政策や分配政策の根本的転換が必要だ。

話はエネルギー政策にとどまらず、国の政策の根本についての意見になってしまう。わたしが望ましいと思う方向は、「景気拡大」のための経済政策を捨て、経済規模とともに国家予算規模も小さくなってよいとするという意味では「小さい政府主義」だが、経済運営を市場まかせではなく政府が介入する必要があるという意味では、ある程度の「大きい政府主義」だ。