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タイ国バンコクの交通などの断片的印象

2011年1月5日から9日まで、タイ国の首都バンコク(現地名はクルンテープ)に会議出席のため出張した。ここには会議の中身以外についての覚え書きを書く。大部分の時間建物の中にいたので、世の中を見たとはとても言えない。ホテルの室内にはケーブルテレビがあるが、タイ語のニュースを聞いてもわからない。英語の新聞(行きの飛行機ではBangkok Post、ホテルではNation)でいくらかの情報を得た。

バンコクの北にあるドーンムアン(Don Mueang)旧国際空港[注1]は歩道橋で国道を越えればすぐ国鉄の駅があったので(この国鉄を便利だと思う人には)便利だったのだが、東のスワンナプーム(Suvarnabhumi)空港[注2]から都心への鉄道は、開港から4年後にやっとできた。わたしは今回初めてのった。

  • [注1] Don Mueangは地区名。旧国際空港は現在は一部の国内線と空軍が使っている。
  • [注2] 空港名の公式ローマ字つづりはサンスクリットに忠実なタイ語のつづりに従っているが(発音式ならばSuwannaphum)、日本語のかな書きは現代タイ語の発音に従っている。この名前はローカルな地名ではなく、「黄金の土地」を意味するサンスクリット語に由来する。Wikipedia英語版のSuvarnabhumiとSuwannaphumに分散していろいろなとらえかたが紹介されている。わたしが納得のいくのは(どこで見たか忘れたが)インドシナ半島(あるいはインドネシアも含めた東南アジア)全体の美称というものだ。金(きん)も、タイでは今でも仏像に金箔がはられているなど日本でよりもよく見るが、この地域を金の国と呼ぶほどの特徴とはあまり思えない。むしろ、稲のみのった水田を黄金の土地にたとえたのではないだろうか? 日本の「豊葦原の瑞穂の国」に似ているのではないか。そしてこれを空港名にしたのは(Wikipedia英語版の伝える特定の伝説よりはむしろ)これを一都市や一国に限らず東南アジアを代表するハブ空港にしたいという意志によるものではないだろうか。Thaksin政権と王室の思わくはいろいろ食い違っていたようだが、この点では一致していたのではないだろうか。

空港連絡鉄道はタイ国鉄の経営だそうだが在来線(高架化されていない)とはまったく別になっている。さらに、直行便と各駅停車(快速線といえる空港連絡鉄道のだが)とは同じ線を使うが改札やホームは別々になっている。今回の会議の会場として主催者が選んでくれたホテルが各駅停車のほうの終点のPhaya Thai駅の近くだったので、そちらに乗った[注3]。車両はBTS(市内高架鉄道)のものとよく似ている。車両の幅は日本のJRなどの車両よりは狭く、モノレールなみだ。空港関係以外のお客も乗り降りする。いすは少ないので、夕方の空港から市内への便では立っている人も多かったが、詰めこまれているというほどではなかった。沿線の人口のわりに乗客が多くないのは、まだ新しいせいか、バスに比べて割高なせいか? (バス運賃は未確認だが、空港連絡鉄道各駅停車は、隣の駅まで15バーツ、空港からPhaya Thaiまでは45バーツ。交換レートでは1バーツ3円だが物価を考えると1バーツ10円相当という感じがする。)

  • [注3] 直行便のほうの市内のターミナルのMakkasan駅は、乗った電車が停車しただけで、どういう場所かはわからなかった。帰国後調べた情報によれば、在来線のMakkasan駅からは車両工場をはさんで2 km近く離れており、在来線ではAsok駅、地下鉄ではPhetchaburi駅のそばだそうだ。地下鉄Asok駅は別の場所にある(同じ通り沿いではある)。いろいろとまぎらわらしい。

Phaya ThaiはBTSとの乗りかえ駅にもなっている。(BTSの駅窓口が2階、プラットホームが3階にあり、空港連絡線の駅窓口は3階、プラットホームはその上の4階にあたる。ただしこの階ごとの高さの差はふつうの建物の場合よりも大きい。) そこからホテルまでは歩いて正味5分ほどだったが信号待ちが長かった。そのうえ、歩道が狭くでこぼこしているので歩きにくい。これは前から経験しているとおりだが、新しい鉄道のターミナル駅の周辺でもあまり改善されていなかった。

道路の整備が自動車優先で、歩行者にとって道を歩くのがひと苦労であることは、「交通戦争」がさけばれた1960-70年代(高度経済成長時代)の日本と似ているような気がする。道を渡るのに横断歩道があるところもあるが、歩道橋の階段をのぼりおりしなければならないことも多い[注4]。歩道の路面は飾りのないコンクリートのタイルでできていることが多いが、タイルが傾いていたり隣とずれていたりする。原因のひとつは地盤沈下だ。バンコクチャオプラヤ川デルタの軟弱地盤上にあり、地下水くみあげは今では規制されているが東京よりはだいぶ規制が遅れた[注5]。また、2010年前半には反政府デモが首都の一部を占拠するなどの異常事態があったので街路の整備がとどこおっていただろうと思う。しかしそういう特殊事情だけでなく、歩く人への基盤整備が不充分だと思う。

  • [注4(2011-01-18)] 1960-70年代の日本の歩道橋は鉄製のものが多かった(という記憶がある)が、今のバンコクなど熱帯の都市の歩道橋の路面はだいたいコンクリートだという違いがある。暑い季節(バンコクでは4月など)には靴をはいても鉄板の上を歩くのはつらいのかもしれない。
  • [注5] 地盤沈下のことは前から聞いてはいたが、次の本で確認できた。
    • 谷口真人編, 2010: アジアの地下環境。学報社 (発売: 大学図書), 243 pp. ISBN 978-4-904079-05-8.

土曜日の朝、BTSの北の終点から北に歩いてみたのだが、首都高速道路の出口が合流するところの道を渡れなくて困った。だいぶ手前で歩道橋を渡っておくべきだったらしい。この件自体は日本でもありそうなことだが、前に来たとき通ったところの印象を合わせると、タイの幹線道路のつくりは、アメリカよりも道路沿いに住む人が多いにもかかわらず、アメリカと同程度に歩行者の動線が軽視されているように思われる。

少なくとも首都バンコクについては、市内鉄道の整備が、壮大な計画はあったものの、2004年の地下鉄開業以後の進展はBTSの少しの延長と空港連絡線だけだったが、いよいよ大きく進みそうだ。
出張前に日本で読んだニュースで、ドーンムアン空港前を通る国鉄北線の高架化を日本の企業が請け負うことになったという話があった。Hopewellという会社が請け負ったが1998年に中断された事業の作りかけの高架を使えるところは使うそうだ。
さらに、英語新聞Bangkok Post (4日づけ)によれば、政府が地下鉄やBTSの延長を含むいくつかの線の建設を決定したそうだ。ただしその記事はむしろ、これから数年、市民は工事中の交通渋滞を覚悟しなければならない、ということに重点をおいていた。(隣に、新暦正月休みの終わりにあたり、近郊の自動車道路のバンコクに向かう向きで渋滞が起きているという写真報道があった。)。今の市民にとっては、移動といえばまず石油を燃やす自動車(二輪車、三輪車を含む)によるものなのだ。わたしに限らず日本の大都市を知っている人から見れば鉄道などの公共交通機関に移ってもらうべきなのは明らかで、まず今回の建設決定を歓迎したいが、そのなん倍もの増強が必要かもしれない。

新聞で読んだ運輸関係の記事にはこのほかに、インド洋からヨーロッパ方面への貨物輸送のために、アンダマン海に面したところに吃水の深い船がつける港を整備する構想の話があった。Bangkok Postは、タイ南部Satun県Pak Baraに建設する案のほうがミャンマーのDawei港(およびそこへ向かう道路)を整備する案よりもよいとする立場を伝えていたが、別の新聞Nation (手もとに残っていない。たぶん8日)はDawei案の立場の記事をのせていた。また、7日のNationは、中国がインドシナ半島に鉄道をのばそうとしている(3つの路線を並列に提案している)のに対して、タイも積極的になったほうがよいという立場を伝えていた。

なお、この数日間の新聞のトップ記事は、カンボジアとの国境の位置に疑いのある地帯でタイの国会議員を含む数人がカンボジアの警察につかまった、という事件だった。英語新聞の論調は、カンボジアに対してはタイ人をすぐ釈放することを求めるし、領土の主張を譲るわけではないが、カンボジア側に事前連絡なしに係争地帯に踏みこんだ国会議員たちの行動は軽率すぎて支持できない、というもののようだった。