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本をもつ者の悩み (2)

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

【今回の記事は、個人的な覚え書きです。社会になにかをうったえるものではなく、読者のみなさんに役だつ情報を提供しようとするものでもありません。】

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[2016-05-19の記事]のつづき。

その記事を書いたあと、大学で広めのへやを使わせてもらえることになったので、助かった。しかし、2019年3月末の年度がわりで、それよりはせまいへやにうつらなければならなくなった。

もっと早くはじめるべきだったと反省しているが、3月には、広いへやが使えるという条件を活用して、次の作業をした。

  • 単行本: いくらか分類しながら、背表紙が見えるように棚にならべ、持ちつづけたい本をぬきだす。
  • 雑誌: 大学と自宅などに分散していたバックナンバーをタイトル別にまとめ、ある号、欠けている号を確認する。

そして、いくつかの古本屋さんと交渉して、売れるものを売ってしまった。

しかし、これで減った量は、大学に置いたぶんの4分の1ほどだ。4分の3は、せまいへやに移した。そこで整理のつづきをしなければならない。

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単行本のうちでは、まず、情報処理技術、数学、物理に関する本の大部分をあきらめて、古本に出すことにした。わたしのこのたぐいの蔵書は、大学院生のころ(1980年代)から大学専任教員のころ(1980-90年代)に、道具としての必要を感じて買ったものが多い。情報処理技術の本は10年ぐらいたつとだれも使わないものが多いだろう。しかし古典として価値があるものもすこしはあるだろう。数学や物理の本には価値が変わらないものもあるだろう。古本屋さんに実物を見て判断してもらおうと思ったのだが、古本屋さんもこの時期はいそがしい。こちらで箱詰めして送り、商品価値のないものも古本やさんに処分をまかせることにした。わたしがこれからも使いたいと思った本と、わたしの考えかたやこれまでに書いたものの根拠になっているので立ちもどりたくなるかもしれないと思った本をのこして、ほかはあきらめることにした。ただし、物理のうち熱力学は、環境問題としてのエントロピー問題と(わたしにとっては)さかいめなくつながっているので、ひとまず大部分のこした。

それから、科学論関係の本のしわけをした。科学史、科学哲学、科学技術社会論、科学コミュニケーション、科学にかかわるいろいろな仕事の紹介などをふくむ。ここは、まだ読みたい本が多いので半分以上のこすことになってしまったが、もしかしたら読みたくなるかもしれないというレベルの本は、所属する大学の図書館にあれば、古本に出すことにした。

地球科学・環境科学の本は、いったんあけたものもまた箱づめしてせまいへやに移動した。これから、ぜひ手もとにおきたいもののほかは、大学図書館にないものは大学に寄付し、すでにあるものは手ばなす方針で整理したいと思っている。

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雑誌のバックナンバーをあつかっている複数の古本屋さんにきいてみたのだが、学会誌は買い取ってもらえなかった。バックナンバーがあまっていることが多いのだ。日本の理科系の学会誌のバックナンバーはだいたいディジタル版が無料公開されるようになったので(それは論文だけで会の活動の記事はふくまない場合もあるが)、紙版のバックナンバーを買おうという動機をもつ人がすくないのも当然だろう。わたしが持ちきれないぶんは、大学院生や若手研究者でほしい人がいればゆずり、それもいなければ古紙回収に出すことにしよう。

商業出版の雑誌は売れたり売れなかったりする。実際、『科学』のバックナンバーが約20年ぶんあった(ただし完全ではない)のだが、複数の古本屋さんから、最近約10年ぶんは買えるがそれより古いぶんはいらないと言われてしまった。今回はスペースをあけることが優先だったので、売れるぶんだけ売ってしまうという判断をしたが、20年まえから10年まえまでという中途半端なコレクションが残ってしまった。ひきつづきスペース優先で考えればこれは古紙として出してしまうことになるのだが、ちょっとまよっている。

外国で出た学術雑誌(複数)が、現在に続いていない数年分だけあって、いかにも中途半端なのだが、オープンアクセスでなくて、所属の大学でバックナンバーのディジタル版を契約していないばあいは、捨てがたい。ひとまず、大学院生や研究員のいる研究室のたなにならべてもらうことにした。