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1257年の火山噴火の後の天候をあつかったいくつかの研究例についてのメモ

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

【この記事は、研究者として、研究途上で考えたことを書いています。自分の考えについても、読んだ文献についての論評についても、かならずしもかたまったものではなく、これからまた変わるかもしれません。確立した知識の解説ではないことをご承知のうえでお読みください。】

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わたしは、研究者として、火山噴火が気候におよぼす影響という問題を考えなければならなくなっている。日本の東北地方に凶作をもたらしてきた冷夏をあつかってきたら、冷夏の原因として火山噴火をあげている研究 (たとえば 今村 1946, 近藤 1985) を無視できないからだ。

  • 今村 明恒, 1946: 火山噴出塵の太陽及び地球の輻射線に及ぼす影響、特に天保及び天明度の凶作の原因に就て (昭和二十年七月十二日報告). 帝国学士院紀事, 4: 1-16. https://doi.org/10.2183/tja1942.4.1
  • 近藤 純正, 1985: 最近 300 年間の火山爆発と異常気象・大凶作. 天気, 32: 157-165. https://www.metsoc.jp/tenki/index_tenki.php から検索して PDFファイル取得可能.

火山噴火の影響を考えるならば 3次元の大気 (さらにその時間変化) を意識した解析をしなければならないのだが、水平2次元の分布をあつかうことに特化してしまったわたしの能力ではたいしたことができそうもない。わたしの役わりは、これまでにおもいあたったことを書きとめて、能力のある人にひきつぐことだろう。

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わたしがかかわっている歴史気候の研究では、材料の関係で、近世 (17-19世紀) の日本をあつかうことが多い。

しかし、ときにはその外の時代のできごとに関心をもつことがある。そのひとつが、1257年 (または 1258年) におきて、グローバルな影響をあたえたとおもわれる噴火のことだ。

この噴火は、ながらくどこでおきたものかわからなかったのだが、2013年に、インドネシアのロンボク (Lombok) 島 (バリ島の東隣) の リンジャニ (Rinjani) 火山のうちの (いまはない) サマラス (Samaras) 峰である、という研究成果 (Lavigne ほか, 2013) がでた。わたしは、2015年にその火山のバルジャリ (Barujari) 峰で噴火があったときのブログ記事のなかで、そのことにふれた。

  • [リンジャニ(Rinjani)火山の噴火] (2015-11-11)
  • Franck Lavigne, Jean-Philippe Degeai, Jean-Christophe Komorowski, Sébastien Guillet, Vincent Robert, Pierre Lahitte, Clive Oppenheimer, Markus Stoffeld, Céline M. Vidal, Surono, Indyo Pratomo, Patrick Wassmera, Irka Hajdas, Danang Sri Hadmoko, and Edouard de Belizal, 2013: Source of the great A.D. 1257 mystery eruption unveiled, Samalas volcano, Rinjani Volcanic Complex, Indonesia. Proceedings of the National Academy of Sciences U.S.A., 110: 16742-16747. http://doi.org/10.1073/pnas.1307520110

ここから、わたしが2026年2-3月に読んだ、この噴火の影響に関する議論をふくむ論文 (この噴火を主題とした論文とはかぎらない) についてのメモである。論文全体をきちんと読んだとはかぎらず、関心のあるところの拾い読みのばあいもある。

- 3. Atwood ほか (2016) -

  • A. R. Atwood, E. Wu, D. M. W. Frierson, D. S. Battisti, and J. P. Sachs, 2016: Quantifying climate forcings and feedbacks over the last millennium in the CMIP5–PMIP3 models. Journal of Climate, 29: 1161–1178. https://doi.org/10.1175/jcli-d-15-0063.1

地球温暖化の予測型シミュレーションなどをふくむ気候モデル比較実験プロジェクト「CMIP5」に関連して、古気候にかかわる気候モデル比較実験プロジェクト「PMIP3」がおこなわれた。そのうちに「Millennium実験」という、西暦850年から現在までにわたる、太陽 (TSI)、火山 (大気中のエーロゾル量)、温室効果気体濃度を観測や復元推定にもとづいて与えて、気候システム (大気・海洋・雪氷・陸面) の応答をみる実験がおこなわれた。

火山についての入力データは、Gao ほか (2008) と Crowley ほか (2008) の 2つのチームからそれぞれ提供された。CCSM4 の気候モデルチームは Gao のほうを、ほかの4つの気候モデルチームは Crowley のほうを採用した。

論文の図2 は、気候モデルの入力と出力の時系列グラフである。
入力である火山起源エーロゾルの光学的厚さは、いずれも氷床コアの硫酸イオン濃度を材料にしているので時間軸上のピークの位置はだいたい同じだが、ピークの大きさ、とくに1250年代 (おそらく 1257年) と 1450年代のピークの大きさは、Gao のほうが大きい。
出力の代表として全球平均地上気温の年平均値の時系列を、σ=3年のGauss型の重みをかけた平滑化をして示している。1250年代、1450年代、1810年代に谷がある。気候モデル別にみると、1250年代と1450年代の谷は、CCSM4モデルが他のモデルよりも深い。このちがいはおもに入力のちがいによるものだろう。

論文の議論はさらにつづくのだが、おもに、いわゆる小氷期 (この論文では西暦 1600–1850年としている) と いわゆる中世温暖期 (この論文では Medieval Climate Anomaly とよび西暦 950–1200年としている) の気候の比較である。わたしはここでは、火山の影響にしぼって、現在にいたる千年間のうちで、1257年の Rinjani (Samalas) は1815年の Tambora と同程度に重要であり、それにならぶものがもうひとつ 1450年代 にある、という認識をもって、つぎにすすむことにする。

  • T. J. Crowley, T. J., G. Zielinski, B. Vinther, R. Udisti, K. Kreutz, J. Cole-Dai and E. Castellano, 2008: Volcanism and the Little Ice Age. PAGES Newsletter, Vol. 16, No. 2 (PAGES International Project Office, Bern, Switzerland), 22–23.
  • C. Gao, A. Robock, and C. Ammann, 2008: Volcanic forcing of climate over the past 1500 years: An improved ice core-based index for climate models. Journal of Geophysical Research, 113, D231111, https://doi.org/10.1029/2008JD010239 .

- 4. Stoffel ほか (2015) -

  • Markus Stoffel, Myriam Khodri, Christophe Corona, Sébastien Guillet, Virginie Poulain, Slimane Bekki, Joël Guiot, Brian H. Luckman, Clive Oppenheimer, Nicolas Lebas, Martin Beniston and Valérie Masson-Delmotte, 2015: Estimates of volcanic-induced cooling in the Northern Hemisphere over the past 1,500 years. Nature Geoscience, 8: 784–788. https://doi.org/10.1038/ngeo2526 [有料。わたしは2015年当時の所属機関で購読していたとき保存していた。]

多数の地点の年輪 (年輪幅と密度の両方) にもとづく夏の気温の推定値をまとめて、北半球中高緯度 (北緯 40-90度) の陸上を代表する値を得た。これを、PMIP3 の Millennium 実験の北緯40-90度の6・7・8月の気温の長期平均からの偏差とくらべている。

図 2 ではとくに、Samalas 噴火の前後の 1252-1266年と、Tambora 噴火の前後の1812-1821年をとりだして、1年ごとに見ている。年輪にもとづく夏の気温も、PMIP3 によるJJAの気温も、1258, 59, 60年 (谷底は59年) と 1816, 17年 (谷底は 16年) に谷をもっている。ただし PMIP3 のモデル間のばらつきは、とくに1259年に、大きい。【この論文では論じられていないが、Atwood ほかの論文で論じられていた入力データのちがいのせいもあるだろう。】

なお、この研究では、PMIP3の実験にくわえて、ひとつの気候モデル (IPSL) で、Samalas の噴火の時期を 1257年5月、同年の7月、1258年1月と変えた実験をおこない、いずれの気温が年輪からの推定とよく合っているかを検討しているが、ここではそれに深入りしないことにする。

- 5. Guillet ほか (2017) -

  • Sébastien Guillet, Christophe Corona, Markus Stoffel, Myriam Khodri, Franck Lavigne, Pablo Ortega, Nicolas Eckert, Pascal Dkengne Sielenou, Valérie Daux, Olga V. Churakova (Sidorova), Nicole Davi, Jean-Louis Edouard, Yong Zhang, Brian H. Luckman, Vladimir S. Myglan, Joël Guiot, Martin Beniston, Valérie Masson-Delmotte and Clive Oppenheimer, 2017: Climate response the 1257 Samalas eruption revealed by proxy records. Nature Geoscience, 10: 123-128. https://doi.org/10.1038/ngeo2875 [有料。Preprint が https://centaur.reading.ac.uk/68817/ にある。]

図4 のあたりでは、Stoffel ほか (2016) の論文でしめされた、年輪から推定された北半球中高緯度の陸上の夏 (6・7・8月) の気温のデータセットをつかった議論をしている。

図4 a, b では、北半球中高緯度の陸上の平均値について、31年移動平均からの偏差の累積頻度分布をみている。とくに、連続した2年をまとめた偏差の頻度分布をみると、低温側にいちばんはずれたのが 1258-1259, ついで 1816-1817, 1601-1602, 1453-1454 となる。

図4c では、1258, 1259, 1453, 1601, 1816年について、地域ごとの偏差をみている。とりあげた年にはユーラシアと北アメリカの中高緯度の多くの地域で負偏差のことが多いのだが、1259年にはカナダ西部やアラスカは大きな正偏差であり西ヨーロッパはほぼ平年なみだった。その前の1258年にはアラスカとカナダ東部であまり正偏差だった。(西ヨーロッパでは負偏差だった。)

図2 のあたりでは、フランスのブドウの収穫の日付 をあつかっている。3つの地域のいずれでも、8・9月の気温 (パリでは1676年から、他の地域では1950年から) と負の相関がある。連続した記録があるのは14世紀以後だが、13世紀にも散発的に記録がある。1279年と1287年は 14~20世紀の変動はばのうちにはいっているが、1258年は (3地域とも) あきらかにおそい。

図1や図3のあたりでは、ヨーロッパの各地で1258年に記録された天候の異変や光学現象についての記録についてのべている。

その関連で、日本の鎌倉での記録として『吾妻鏡』を参照して「... reports a wet and cold summer accompanied by heavy rain and strong winds, which reportedly destroyed paddies and gardens in several provinces.」とのべている (preprint 110-112行め)。

- 5X. Guillet ほか (2017) に引用された吾妻鏡の原文をさがす -
吾妻鏡』を参考文献としてしめすならば、校訂過程がきちんと記述されている刊本をつかうべきだとおもうが、ひとまず、オンラインに置かれているものを見てみた。「歴散加藤塾」をなのる個人のかたによる「吾妻鏡入門」のサイトである。

西暦 1258年にあたる 正嘉二年の記録を収録した第48巻を見た。(なお、その翌年の記録は欠落している。)

吾妻鏡』は、毎日そろっているわけではないが、日記のような形式で書かれている。この年の夏をふりかえって天候を総括したような記録は見あたらない。Guillet ほか (2017) の引用の "heavy rain and strong winds ... destroyed paddies and gardens in several provinces." の部分に対応するらしいのは、8月1日 (ユリウス暦 1258年 8月 30日) のつぎの記述である。

一日丁丑。暴風烈吹。甚雨如沃。昏黒天顏快晴。諸國田園悉以損亡云々。

「昏黒天顏快晴」は、その日の日没後に晴れたということだそうだ。すなおに読めば、「諸國田園悉以損亡」はその日の暴風雨による被害の記述とおもわれる。この年に暴風雨があって被害があったと言うことはできるが、他の年とちがったこの年の特徴だったかどうかは、他の年とくわしく読みくらべてみないとわからない。

また、 6月24日 (ユリウス暦 1258年 7月 26日) のところにつぎのような記述がある。

廿四日壬寅。霽。近日有寒氣。如冬天。

「霽」は晴れのことだそうだ。「近日」のこととして「冬のように寒い」と書いてあるので、Guillet et al. はこれを根拠として cold summer と書いたのだろうか?

この正嘉二年 (1258) と そのまえの正嘉元年 (1257) それぞれの太陰太陽暦8月の記録された日数を、日付のすぐあとに書かれた天気 (ただし夜の天気として書かれたことがらは考慮しない) で分類するとつぎのようになった。[2025-05-07 自分の作業のまちがいを訂正した。まだ点検不じゅうぶんかもしれない。]




晴れくもり晴れ+雨くもり+雨天気記載なし合計記録日数記録なし日数
12576021111118
125831431119
1258年のほうが晴れの日が少なく雨の日が多めだったと言えるかもしれないが、全日数のうち記録のある日数がすくないので、たしかではない。期間をのばそうとおもったが、正嘉二年 (1258) の太陰太陽暦 7月 には 9日ぶんの記録があるが天気の記載がまったくない。この文書の天気日数から天候の年々変動を論じることはむずかしい。同じ時代の文書をさがし、もしこれよりもよく天気が記録された文書がなければこれにもどってくることにしよう。

- 5Y. Atwell (2001) -
Guillet ほか (2017) の論文の謝辞に、日本の歴史資料については William S. Atwell と William Wayne-Farris に相談したとある。「Wayne-Farris」のハイフンはたぶんまちがいで、日本の古代の人口を研究したことがある歴史学者で Hawaii 大学名誉教授の William Wayne Farris だろう。Atwell という人についていくつか検索したら、やはり歴史学者で、Geneva (といってもスイスではなくアメリカのニューヨーク州の町) にある Hobart and William Smith Colleges の名誉教授だそうだ。専門は明から清にかわるころの東アジア史らしいが、つぎの論文がある。

  • William S. Atwell, 2001: Volcanism and short-term climate change in East Asian and World History, c. 1200-1699. Journal of World History, 12: 29-98. https://doi.org/10.1353/jwh.2001.000

この参考文献には、Robock (2000, Reviews of Geophysics) や、Kondo (1988, Journal of Climate) もでてくる。火山と気候との関係について、気象学の文献もチェックしていたのだ。

事例として、1225-1233年、1256-1262年、1444-1465年、1584-1610年、1636-1644年をとりあげている。

1256-1262年のところでは、節の冒頭に、日本の社会状況をつたえるものとして、日蓮の『立正安国論』を (英語の抄訳によって) 引用し、同じころロンドン近郊で Matthew Paris (地名ととりちがえそうな名まえ!) という名のキリスト教の聖職者がのべた同様な警世の論とあわせてとりあげている。日本についてはつぎのようなことがおきたと言っている。前からつづけて読んでいくと日蓮がそうのべたように読めるが、荒川 秀俊・宇佐美 龍夫 (1985) 『災害』など複数の参考文献を参照した Atwell さんの考察だろう。『吾妻鏡』への参照は見あたらないが、間接的に材料になっているかもしれない。(1) (2) は時期から、(3) は現代の地震学の常識から、あきらかにインドネシアの火山噴火の影響ではない。

  • (1) 1256年の夏に、強い風、豪雨、洪水、地すべりの災害がおきた。
  • (2) 1256年に、赤痢が流行し、鎌倉では将軍をはじめおおぜいが亡くなった。(ここで将軍 (the shogun) が亡くなった (killed) というのは、将軍 宗尊親王をさすとしても、執権 北条時頼をさすとしても、著者の誤解だが。)
  • (3) 1257年に、日本の中部・東部で一連の強い地震がおきた。
  • (4) 1257年の夏に、日本のいくつもの地方でかんばつの状況になった。
  • (5) 1258年に、暴風、洪水、異常に寒冷な天候によって、日本のいくつかの地方で凶作となった。
  • (6) 1259年の夏に、暴風雨によって、作物に大きな被害がでた。
  • (7) 1259-60年に、全国的な飢饉になった。夏の異常低温によっておきたようである。

わたしはこれがいまの学術的知見として正しいかたしかめる必要があるとおもうが、すぐには手をつけられそうもない。

- 6. Büntgen et al. (2022) -

  • Ulf Büntgen, Sylvie Hodgson Smith, Sebastian Wagner, Paul Krusic, Jan Esper, Alma Piermattei, Alan Crivellaro, Frederick Reinig, Willy Tegel, Alexander Kirdyanov, Mirek Trnka and Clive Oppenheimer, 2022: Global tree-ring response and inferred climate variation following the mid-thirteenth century Samalas eruption. Climate Dynamics, 59: 531–546. https://doi.org/10.1007/s00382-022-06141-3

図1 で、5つの編集 (Schneider 2015, Stoffel 2015 の2とおり、Wilson 2016, Büntgen 2021) の年輪から復元推定した北半球中高緯度 (ここでは北緯30-70度としている) の陸上の夏 (6, 7, 8月) の1200年から最近までの時系列をしめし、そのうち1250-1270年をとりだしてしめしている。いずれの復元推定でも1258-1259年に谷があるが、そのまえの1257年は平年なみかそれよりも高く、1年のあいだに急に落ちこんでいる。

図2で、年輪のサンプルが得られた世界の地点を、年輪幅がおもに気温に応答する地点 (170か所) とおもに降水量に応答する地点 (79か所) に分類している。(アメリカ合衆国の西部に (山地だからだろうが) 気温に応答する地点が多く、アルプスより北の西ヨーロッパに降水量に応答する地点が多いなど、わたしの予想とはだいぶちがっていた。)

図7では、各地点・各年について、おもに気温に応答する地点では気温に対する応答、おもに降水量に応答する地点では降水量に対する応答をとりだして「z-score」という形にし (わたしはまだその意味を確認していない)、まず13世紀の全地点をあわせた頻度分布をみる (正規分布に近い形になった)。そして、1257, 1258, 1259年のそれぞれについて、各地点のz-scoreをプロットしてみる。すると、気温に対する応答は、1258年にあきらかに負のほうにずれており、負のほうに大きくはずれた値もある。1257, 1259年の気温に対する応答と、3年とも降水量に対する応答は、13世紀全体の分布から大きくはずれてはいない。

図8では、地域別に、年輪からの解析結果と、PMIP3 のモデルの結果を比較している。グラフの表題は「directional agreement」なので、すなおに解釈すると、気温のばあいは温暖・寒冷、降水量のばあいは湿潤・乾燥の軸のうえで、年輪とモデルとで同じ方向ならば正、反対ならば負なのだろうとおもう。そのような「復元推定とモデルとの一致度」がどの地域でよいかわかるとありがたい。ところが、図に、気温のほうは正のところに「Warm Summer」、負のところに「Cold Summer」、降水量のほうは正のところに「Wet Summer」、負のところに「Dry Summer」と書いてある。そうするとこのグラフがあらわすのは「一致度」ではなくて寒暖・乾湿の軸上の位置なのだろうか? わたしはこのグラフが何をしめしているのかわからないので、結果の解釈もできない。ともかく、グラフがしめす量を見ると、気温に対する応答は、1257年には全地域で正、1258, 59年には一部の地域では大きな負の値、他の地域では正の小さな値である (ただし2年つづいて大きな負になっているのは中央ヨーロッパだけである。) 降水量に対する応答は、3年とも正の地域 (地中海の東、西ヨーロッパ)、3年とも負の地域 (東ヨーロッパ)、年によって正になったり負になったりする地域がある。

(ひとまずここまで。)