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日本語のなかでの外来語をローマ字でどう書くか

【まだ書きかえます。どこをいつ書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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このブログへのアクセス統計をみると、読者の多くは、ウェブ検索サイトからきている。アクセス統計のページから検索につかわれた用語を知ることができることはすくない。(記録されなかったか、検索のときコード化されていた文字列を人が読みやすいかたちにもどしていないのが大部分なのだ。) しかし、たまたま記録されていたうちに、「日本の外来語は、ローマ字表記できる?」というのがあった。

日本語のなかでの外来語をローマ字でどう書くかは、わたしにはずっと関心がある問題なのだが、このブログの記事にはまだしていなかった。これまでに検索してこのブログにたどりついたかたは、あてがはずれたと感じたかもしれない。

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日本語をローマ字で書くとき、外来語をどう書くかについては、おおきく、つぎのふたつの原則がかんがえられる。

  • A. 日本語にとりこまれた語として、日本語の音韻にしたがって書く。
  • B. 原語をおもいおこしやすいかたちで書く。

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日本語をローマ字で書くときの標準としては、書き手が、それぞれの単語が外来語であるかないかを意識しなくてよいようにするべきだ(と、わたしはおもう)。そうすると、2節の原則「A」にしたがうことになる。おおまかにいえば、まずかたかな書きして、それをローマ字になおしたのと、にたようなかたちになる。ただし、現代日本語の音韻とローマ字つづりとの関係(ローマ字のつづりかた)は、音韻とかなとの関係(かなづかい)とは、のばす音の表記などの点で、いくらかのちがいがある ([2017-03-21 日本語のローマ字つづりかたについての個人的覚え書き]のなかでのべた)。

実際にやってみた。2007年に(漢字かなまじりで)出版された自分の文章を2008年にローマ字でかきなおしたものだ(このたびちょっと改訂した)。[Tikyuu ondanka o kahusoku naku rikai suru]

やってみると、外来語のローマ字つづりは、原語のつづりよりもさらに見なれないものになる。原語つづりをおぎなったほうがよいとおもった。2節の原則「B」と妥協したことになる。人名については原語を優先、そのほかは日本語の音韻のほうを優先して、優先しないほうは かっこ に いれた。原語がどの言語かを、いちいち書くとながくなりすぎるので、ISO 639の言語コード (2文字コードがきめられているかぎりは2文字コード)をつかい、「グローバル」は「guroobaru (en:global)」、「エネルギー」は「enerugii (de:Energie)」、「メートル」は「meetoru (fr:mètre)」、「エルニーニョ」は「Eru Niinyo (es:El Niño)」などの表現をしてみた。

なお、そこでは、ローマ字のつづりかたとして、訓令式、ただし長音は補助記号ではなく母音字をくりかえす、というものを採用した。しかし、外来語をふくむ現代日本語の音韻には、訓令式ローマ字の表現がきまっていないものがある。訓令式では「ti, tu」で「チ、ツ」をしめすので、「ティ」「トゥ」をどう書くかという問題がある。くるしまぎれに、「t_i」「t_u」としてみた。なお、原語で「v」であるものはそのまま「v」にしておけばよさそうだ。

このときはがんばってここまでやってみたのだが、日本語の文章を書くときの標準として、日本語の音韻表記と原語表記の両方をしめせ、というのは無理な注文だろう。もうすこしらくにできるやりかたの例文をしめしていく必要があるとおもっている。

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ローマ字表記特有の問題ではなく、むしろ かたかな表記をかんがえたほうがわかりやすいが、外来語を日本語の音韻にとりこむときに、いくつかのちがった態度がある。

ひとつは、発音にもとづくのか、文字にもとづくのか、だ。

もうひとつは、ひとつひとつの音韻(または表音文字)をそれぞれ近似するのか、区別のある音韻どうしを区別できることを優先するか、ということだ。(たとえば、中国語の無気音と有気音を、それぞれ日本語の有声音(濁音)と無声音(清音と半濁音)でうけるのは区別優先のほうの態度であり、ひとつひとつの音韻の近似を優先すればどちらも無声音でよいとおもう。[2011-09-11「北京」をベイジンと読むべきか ]参照。)

また、発音にもとづくとするばあいに、よわく発音される音や、日本語にぴったりあうものがない音について、きこえかたに忠実にかくのか、つづりから一定の規則でみちびかれる字をかくのか、という態度のちがいもある。これはふたつにわかれるわけではなく連続分布であり、多様なつづりが生じているが、簡単に統一できそうもない。

(これは、日本語に外来語としてとりこまれた単語の例というよりもむしろ「日本語のなかに外国語の単語がまざった」場合の例だとおもうが、英語の「climate」をかたかなにしたものは「クライメイト」「クライメート」「クライメット」などがみられる。このつづりの「a」にあたるところの英語でのふつうの発音は弱い[ɪ]なのだ。そちらからかんがえると「クライミット」もありうるだろう。もしこれを2節の原則Aにしたがって日本語ローマ字にすれば、それも多様になる。)

【[2019-02-25 追加] 文字にもとづくとするばあいで、もとの言語がふつう書かれる文字がローマ字でないばあいに、その文字による表記にもとづくか、ローマ字表記にもとづくか、という問題もある。】

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日本語のなかの外来語の かたかな表記のルールがきちんとしているのは、学術用語としての化学物質名だ。これは、ラテン語に由来する文字つづりにもとづいたものにちがいないが、ドイツ語の発音にたよったところもあり、「eu」を「オイ」とするところなどには、ドイツ語由来のくせがある。

ところが、二度の世界大戦のあと、自然科学の文献は英語によるものが圧倒的になったので、化学物質も英語の発音にもとづく かたかな表記でしられることもおおくなり、それと学術用語との対応に注意が必要だ。

また、英語由来の外来語を、英語の発音にもとづいてかたかな表記すると、文字数が(情報量のわりに)おおくなってしまうという問題もある。わたしの希望としては、ラテン語・ギリシャ語由来の要素からくみたてられた語ならば、化学物質名のばあいのように、発音よりもつづりを優先して日本語にとりこんだほうがよいとおもう (2008-07-08に書いた記事[「シュミレーション」から「しむらし」へ]参照)。しかし、それは、聞いたり話したりする日本語のなかみをかえていくことになる。まとまった量の使用例がたまって、そちらのほうがわかりやすいと感じられるようになれば、かわるだろうが、それができなければ、かわらないだろう。