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「北京」をベイジンと読むべきか

わたしの今のところの結論は「ペイチン」が適切というものだ。

真山仁の小説「ベイジン」[わたしの読書メモ]の題名は「北京」をさすのだが、とくに、中国がオリンピックを機会に北京をBeijingというつづりとともに世界に売り出したことをさしている。このような文脈でなく、日本語の中でふつうに北京という地名を述べるときベイジンというのは不自然だと思う。

日本語の中で中国の地名をどう呼ぶかに関して、「北京=ペキン」は、南京、上海などとともに、例外をなしている。近世(明代以後)の漢語の発音が、西洋に、北京の場合ならばPekingとして伝わるとともに、日本にも伝わったのだ。

中国の大部分の地名(漢語以外の民族語に由来することが明らかなものを除く)は、現代日本語圏のテレビや新聞の報道では、漢字で書かれ、日本漢音(およそ唐の時代の発音が体系として伝わってその後の日本語の音韻変遷を受けたもの)で読まれるのがふつうだ。たとえば「広州」は「コウシュウ」となる。ただし、漢語では発音がまったく違う「杭州」も「コウシュウ」になってしまう。

(韓国・朝鮮の地名の場合はこれと違って、発音に基づくかたかな表記をしていることが多いが、漢字も示すかどうかは報道各社によって違いがあるようだ。)

学校の地理教育用の地図帳では、発音に基づくかたかな表記を主とし、漢字を補助的に使っている。北京をペキンとするなどは慣例に従っているようだが、大部分の地名は、中国の共通語(「普通話 putonghua」)の発音を一定のルールに従ってかたかなで表現しているようだ。「広州」は「コワンチョウ」となっている。中国の公式のローマ字表記(「ピンイン pinyin」)では Guangzhou なのだが、「ゴワンジョウ」のようにはなっていない。母音についても「クアン」や「クワン」ではなくて「コワン」としたのはなぜかという疑問を感じるが、その答えはわからない。ここでは答えの見当がついた子音について話を進める。

子音のうちでも p, t, kのような破裂音には、「無声音・有声音」の対立と、「無気音・有気音」の対立がある。

無声音とは子音の発音中に声帯がふるえないもの、有声音はふるえるものだ。日本語の「清音・濁音」の区別は基本的にこれだ。ただしハ行は歴史的事情で、清音がp音またはそれに近い音からh音に変わってしまい、濁音のbはそのまま残り、無声音のpが現われるのはbから派生する場合なので「半濁音」と名づけられることになってしまった。

無気音とは子音の発音とともに息を強く吐き出さないもの、有気音とは吐き出すものだ。日本語には両方の発音がありうるが区別されない。英語など西洋の多くの言語でもそうだ。

古代インドの言語には両方の対立があった。日本に伝わった梵字を含めて、インド系の文字では、たとえばp, ph, b, bhを区別する。ここでhのついたのが有気音、つかないのが無気音だ。

現代のタイ語やベトナム語にも両方の対立があるがすべての組み合わせがあるわけではない。たとえばタイ語にはp, ph, bはあるがbhはない。(歴史的にbhを表わす文字はあるが今の発音はphと同じになっている。) ベトナム語では(phというつづりがfのような音を表わしているので別の例をあげると) 音韻体系としてはk, kh, gはあるがgh (gの有気音)はないと言ってよいようだ。(ghe, ghi というつづりは出現するが、これは(ジェ、ジと区別して) ゲ、ギの音をさす)。

現代漢語(共通語)には、無気音・有気音の対立だけがあり、無声音・有声音の対立はなくなっている。実際に聞こえる音は、有気音はいつも無声だが、無気音は有声のことも無声のこともあり、その区別は意味をもたない。

(韓国語も同様に無気音・有気音の対立だけがあると言ってよいと思う。)

現代漢語のローマ字表記の方法はなんとおりか考えられた。Wade (ウェイド)式は、日本語のヘボン式と同様に、漢語の音韻を分析したうえで、それぞれに英語で近い音の表記をあてはめたものだ。無気音・有気音ともにローマ字の無声音を表わす字をあてたうえで、有気音は補助記号を使って表現した。

他方ピンインは、他の言語との類似性よりも漢語を表現する際の効率を重視したからだと思うが、無気音にローマ字の有声音の字、有気音に無声音の字をあてた。Beijing, Guangzhouのb, j, g, zhは、p, q, k, chに対する無気音を示しているけれども、有声音を示しているわけではない。

日本語でかたかな表記する場合、わたしは、「ペイチン」「クアンチョウ」のように無気音も無声音で受けるのが妥当だと思っている(母音の表現のゆらぎについては前に述べたとおり保留する)。音の近さよりも無気音と有気音を区別できることのほうを重視して無気音を有声音で受けるという考えかたもありうると思う。しかし、この区別ができても、かたかな表記は漢語にあるすべての区別を保ったものにはならない。語頭以外の無気音を有声音で受けるという考えかたもあり、韓国語の場合には発音の聞こえかたから妥当と思われるが、漢語の場合は必ずしもそう言えないように思う。

なお、「ペキン」の「キ」の音について補足する。「普通話」の基礎となった北京語で、近世のうちでも新しい時代に、それまで区別のあった「キ」と「チ」の音が「チ」に統一されてしまったのだ。同様に「ヒ」と「シ」も「シ」になってしまった。ただし方言では区別が残っている場合もあるそうだ。日本語で「ジ」と「ヂ」を区別するかどうかの話と似ていると思う。ピンイン制定の際に区別するかどうか迷ったらしいが、結局区別しないことになった。ただし jは別としてqやxの文字の選択は日本漢音でいうカ行音との連想をしやすいものになっている。