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すべての白鳥は白いか

英語で、論理について説明するとき、次の例文にたびたび出会う。

All swans are white.

だれが言い出したのかは知らないが、わたしが出会ったのはKarl Popperの仮説反証主義といわれる科学方法論の話題でだった。

人はすべてのswanを観察しつくすことはできない。観察にもとづいて言えるのは、特定のswanが白いかどうかだ。したがって、「すべてのswanは白い」という文を観察によって実証することはできない。たとえ百万羽のswanが白いことがわかっていたとしても、次に発見されるswanは白くないかもしれない。百万と1羽、百万と2羽、と事例をふやしていっても論理的地位は変わらない。ところが、(1羽でも)あるswanが黒い(あるいは、赤い、...ともかく「白くない」)ことが(確実に)観察されたとすれば、「すべてのswanは白い」は偽であることが確定する。つまり、この文は反証される。

「すべてのswanは白い」は科学の法則とはとても言えないけれども、科学の法則と言われるものは(少なくともPopperの考えによれば)「すべてのAはBである」という形の文だ。それは、AでありBでもある事例をいくつ集めたところで実証されるわけではないが、AであってBではない事例が出現すれば反証されるのだ。

* * *

ここまで「swan」を英語のままにしておいた。日本語に訳すと誤解を招く可能性が高いからだ。少なくとも生物学の学術用語として使われる場合、日本語の「ハクチョウ」は英語の「swan」と同じ意味の広がりを持っているはずで、その意味には「白い」という特徴は含まれていない。しかし、語源について言えば、日本語の「ハクチョウ」は明らかに「白鳥」であり、「白い」ことを意味する要素を含んでいる。もし意味の判断に語源の意識がはいりこめば、「『白鳥』が白い」ことは定義によって明らかだと考える人もいるだろう。

そこで、日本語でこの例文を紹介する際には、「すべてのカラスは黒い」に置きかえることが多く行なわれる。日本語の話し手の多くがカラスは黒いものだと思っているが、「カラス」ということばには「黒い」ことを意味する要素は含まれていないからだ。

* * *

Popperの「科学的発見の論理」の日本語版(英語版からの訳)でも、swanはカラスに置きかえられている。そのことは、上巻第5章28節の注「 *1)」への訳者付記(126ページ)に次のようにことわってある。(なお、注の番号に「*」がついているのはドイツ語初版になく英語版で追加された注を示す。 節の番号は章をまたがって通しである。)

注 *1) 第一に純「すべて言明」--たとえば「すべてのカラスは黒い」からは、いかなる観察可能なものも決して出てこない。このことは、次の事実を省察すればすぐわかる。「すべてのカラスは黒い」と「すべてのカラスは白い」は、いうまでもなく、互いに矛盾せず、ともに{注}ただカラスがいないということ --明らかに観察言明でなく、また「実証」できる言明でもない-- を含意するだけである。
[訳者付記: <すべてのカラスは黒い>等々は、原文では<すべての白鳥は白い>等々になっているが、おこりうる誤解を避けるために、あえて原文どおりでなく訳した]。
{注(増田): この「ともに」は、「両者を合わせて」の意味。}

しかし残念なことには、このことわり書きよりも前に、カラスが出現してしまっている。

いかに多くの黒いカラスの事例をわれわれが観察したにしても、このことは、すべてのカラスは黒い、という結論を正当化するものではない。[第1章1節、日本語版30ページ]

第3章15節(日本語版83-86ページ)に第1段落の第2文をはじめ複数回、また第4章21節(日本語版103-105ページ)にもカラスを使った例がある。

そして第4章22節(日本語版106-107ページ)では、次のような困ったことが起きてしまう。

注 1) たとえば、言明「すべてのカラスは黒い」を反証するためには、ニューヨークの動物園に白いカラスの一群がいるという相互主観的にテスト可能な言明で十分だろう。
注 *1) もし私がニューヨーク動物園には白いカラスがいると主張するとすれば、私は原理上テストできるある事を主張しているのである。

日本語版を読んだ人は、(1934年ごろまたは1959年ごろに)ニューヨーク動物園に白いカラスがいたのだろうと思ってしまいそうだが、実際には黒いswanがいたにちがいない。

* * *

英語圏でちょっともの知りの人にとっては「黒いswan」が実在することはよく知られた事実だろう。オーストラリア原産で、和名は「コクチョウ」となっている。Wikipedia日本語版「コクチョウ」(2011-09-09現在)によれば、西洋人によって発見されたのは1697年、Cygnus atratusという学名がつけられたのは1790年だそうだ。オオハクチョウCygnus cygnusやコブハクチョウCygnus olorと分類学上の「属」のレベルで同じなのだ。日常用語と学術用語の意味の広がりが同じとは限らないけれども、英語のswanをCygnus属に対応させることには無理がないので、コクチョウもswanに含めるのはもっともだろう。

おそらく、「All swans ...」が論理学の例文に使われはじめたときはすでに、この例文は、生徒にとってはともかく先生にとっては、偽であることが知られたものだったのだろう。

しかし、オーストラリアに到達するまえの西洋人にとっては、「黒いswan」はありえないものの典型だったらしい。だからこの例文がおもしろいのだろう。今でも「black swan」は予想外のものをあらわす比喩として使われることがある。

* * *

Talebの本の題名も、大まかに言えば、最近はやりの「想定外」と同じ意味だろう。ただし、もう少し細かくいうと、Talebはいくつかの違った意味を混ぜて使っていた。第1に、Popperを引用しているところなどでは、「ありえない」「法則に反する」とみなされていた(しかし結果として起こりえた)ことがらをさす。第2に、確率がとても小さいことがらをさす。第3に、正規分布を前提とすれば事実上起こりえないと言えるほど確率が小さいけれども、違った確率分布たとえばベキ乗分布を前提とすれば無視できない確率をもつことがらをさす。このような違う概念に同じ比喩的表現を使わないほうがよいと思う。

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文献

  • Karl R. POPPER, 1959: The Logic of Scientific Discovery. London: Hutchinson. [ドイツ語初版は1934年]. 日本語版: カール・ポパー著, 大内義一, 森博訳 (1971): 科学的発見の論理 (上・下), 恒星社厚生閣。
  • Nassim Nicholas TALEB, 2007: The Black Swan -- The Impact of the Highly Improbable. New York: Random House. [わたしはこの英語版を読んだ。] 日本語版: ナシーム・ニコラス・タレブ著, 望月 衛 訳 (2009): ブラック・スワン -- 不確実性とリスクの本質 (上・下)、ダイヤモンド社