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やんば? やつば? Yabba? Yappa?

ダムについて論じようと思ったのだが、その例のところに注釈をつける必要があるので、それを先に書く。

建設が中断されているダム(になる予定のもの)のひとつの名まえが、文字では「八ッ場ダム」と書かれている。しかし声では「ヤンバダム」というのが正しいらしい。

現代の日本語では、漢字かなまじりの文字列の読みかたは、文字列を見ただけでは決まらず、単語ごとに知らなければならない。固有名詞でなければ、1960年代の教育にあったような強制は薄れたものの、それぞれの文字について一定の範囲の読みかたが正しいとされ、それ以外はまちがいとされるだろう。しかし固有名詞では、漢字の読みかたは、人名ならば本人がこう読むのだと言えば、地名の場合は地元の人が伝統的にそう読んでいるのだと言えば、それを認めるのが正しいのだろう。

しかし、「ッ」は漢字ではなくて かな である。かなは表音文字であり訓読みなどというものはない。「ッ」と書いて「ん」と読むことは現代日本語の表記としては無理なものだ。それでも人名で本人が強く主張すれば認めないわけにいかないかもしれないが、地名について認めるべきではないと思う。

現代かなづかいを前提とすれば、小さい「ッ」は促音をあらわす記号だ。仮にここでの「八」が「や」であり「場」が「ば」であることについては異論がないとすれば、「八ッ場」は「やっば」つまりYabbaと読まれるのが当然だと思う。日本語では(少なくとも共通語では)、促音に濁音が続くことは普通でない。しかし外来語にはあるし[「ブルドック/人間ドッグ」参照]、方言にあってもふしぎはない。

現代かなづかいが制定される前は、「促音や拗音をあらわす かな は小さく書き、それ以外の かな は大きく書く」という規則は一般的ではなかった。さらに近代になる前にさかのぼれば、公文書は漢字で書くものであり、かなは補助記号扱いで小さく書かれるものだったかもしれない。「八ッ場」は「八ツ場」の「ツ」がたまたま小さく書かれたものだとも考えられる。それならば発音は「やつば」(訓令式ローマ字ならば Yatuba)にちがいないと思われる。そして、日本語の共通語の中にそういう地名があっても無理がない。

「やんば」は、日本語の共通語の話しことばの中に現われることには無理がないのだが、漢字を使って書こうとすると、日本語の共通語の書きことばでこの音を思い出せる文字列がなかなか見つからない。漢音や呉音で「やん」という漢字はないし、訓読みでも動詞「やむ」の活用形くらいしか思いあたらない。そういう固有名詞は かな で書けばよいのだという立場はありうるし、わたしはそれに賛同する。しかし、地名は漢字で書かなければならないという文化の持ち主は、苦しまぎれの表記方法に至るだろう。

わたしは実際に「八ッ場」という文字列がどのような理由で生じたのか知らない。正確な情報があれば認識をあらためたい。しかしひとまず、わたしの推測を述べる。

可能性1。この場所は「やんば」のほかに「やつば」とも呼ばれていた。「やつば」のほうが「八ツ場」と書かれ、「やんば」は文字で書かれなかった。話しことばでは「やんば」が生き残ったが、書きことばでは「八ツ場」が生き残った。「ツ」が小さく書かれるようになったのは、たまたまだと思う。もしかすると、だれも「やつば」とは言わなくなってから、「ツ」の音がないので、大きい「ツ」を書くのはためらわれるが、補助記号的な小さい「ッ」ならばさしつかえないと判断されたのかもしれない。

可能性2。地名はもともと「やんば」だったが、それを文字で書こうとした人が、(語源的に正しいかどうかはともかく)「これは方言の形で、対応する共通語の形は『やつば』である」と判断した。あとは可能性1と同じ。

可能性3。地名はもともとYabbaあるいはYappa (関東地方の方言ならばこちらのほうがありそうだ)であり、それが「八ッ場」と表記された。その後、話しことばがうつり変わって「やんば」となったが、書きことばはとり残された。

ともかく、「八ッ場」という表記が生じたことは、歴史的事実としてはもっともな理由がありそうだ。

しかし、わたしは、現代日本語の話し手・書き手のひとりとしてこの単語を使う際に、この表記を使い続けることはためらう。ことばの基本は話しことばだという立場に立つので、この地名の基本は「やんば」という音であるはずだ。そして かな は表音文字なのだ。「八ン場」ならば原則の範囲内なのだが、見慣れない文字列であり、「はんば」と読まれるおそれも大きいと思う。そこで、わたしは、この地名を原則としてひらがなで「やんば」と書き、注釈としてほかの書き手が「八ッ場」と書いているという情報を添えることにする。