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経済成長へのこだわりを捨て、再生可能エネルギーに適応しよう

原子力発電所の事故をきっかけに、地球温暖化(の原因)は加速してしまったにちがいない。

(直接の被災地以外の)日本の(そしてたぶんほかの国の)人々が、エネルギー資源の消費をいくらか節約はしたが、産業構造を変えてまで減らすことはせず、原子力による電力供給が減ったぶんを、当面は化石燃料の消費をふやしてまかなうという行動をとっているからだ。

事故以後、世の中で、地球温暖化の見通し(化石燃料を燃やすことが地球温暖化の原因になること、および、地球温暖化は人間社会にとって困ったことをもたらすという見通し)は うそ だという言説が世の中で勢いをましたような気がする。おそらく、もし温暖化の見通しが うそ であれば、化石燃料を使いつづけて経済活動をまわすことができるので、願望によってそういう言説がはやるのだろう。

確かに、温暖化の見通しを原子力利用推進の口実として使った人たちがいる。事故によって彼らの信用は下がった。だからと言って、地球温暖化の見通しが うそ だということにはならない。気候の研究は基本的に原子力の利害とは無関係に行なわれており、その研究者のうちには、原子力利用に反対の人も賛成の人も混ざっている。

また、(もし温暖化の見通しが うそ ならば議論しても意義がないと思うのだが) 原子力発電は二酸化炭素を排出しないという言説と、それを否定する言説の対立がある。これはどちらの極端でもなく「程度の問題」というのが正しいと思う。核分裂反応からは二酸化炭素は出てこない。しかし、原子力発電を実現するためには、設備の製造・建設、燃料の採掘・精製・輸送、運転・安全管理、廃物の管理など多くの工程があり、それぞれでエネルギー資源を消費する。理想的には、原子力発電がじゅうぶんな量の電力を作れるのであれば、化石燃料を使わなくてすむはずだ。現実には、少なくとも採掘や輸送には、化石燃料を使っているにちがいない。それにしても、産出する電力量あたりの二酸化炭素排出量は火力発電よりはだいぶ少ないと思う。【放射性廃物を何百年にもわたって管理しなければならず、管理施設の維持にエネルギー資源が必要であり、その資源は炭素を含む燃料でしかありえないと仮定した場合には、火力発電よりも多いことになるかもしれない。それにしても、排出を先送りして、当面の排出量を減らすことにはなる。】 「原子力発電には『エネルギー量の割には二酸化炭素排出が少ない』というメリットがある」というのは うそ ではないのだ。問題は、放射性廃物および事故という異質のデメリットとの兼ね合いをどう評価するかなのだ。

化石燃料にも原子力にも問題があるので、再生可能エネルギーをもっと活用しなければならないことは明らかだ。ただし、化石燃料や原子力が果たしてきた役割をそのまま再生可能エネルギーでまかなえるというのは楽観的すぎる。それぞれの再生可能エネルギー資源の特徴に合わせた利用技術を開発したり、産業や居住の形を適応させたりする必要がある。それを政策的に加速するべきだと思うが、それにしても十年単位の時間がかかる。

(これまで、産業は規模が大きいほうが得だという「スケール・メリット」の議論が有力だったが、それは化石燃料や原子力を前提としていたと思う。再生可能エネルギーを前提とすると、たぶん、大きすぎず小さすぎないところに適正規模があるはずだ。再生可能エネルギーへの適応とは、経済活動の適正規模化でもある。)

20世紀には経済成長が最優先の政策目標とされることが多かった。じゅうぶん豊かになったと思われる国でもそうだった。成長をかかげ続ければ、だれかから富を奪って再分配するような政策をとらなくてすむからかもしれない。ところが、20世紀の経済成長はエネルギー資源消費の増加に支えられたものだった。技術の向上によって、最終的に必要なエネルギーに対して なま の資源の投入量を小さくはできる。それにしても、(経済のしくみを変えずに)経済を成長させようとすれば、ほぼ確実に最終的なエネルギー消費はふえてしまうのだ。

化石燃料の消費も原子力エネルギーの消費もふやすべきではなく、利用できる再生可能エネルギーがそう簡単にはふえないとすれば、経済成長をあきらめるしかない。経済成長をしてはいけないとは言っていない。経済のしくみをうまく変えて、エネルギー消費(や物質資源の消費や生態系へのインパクト)を減らしながら経済成長ができるのならばけっこうなことだ。しかし、もはや、経済成長を当然の前提とした政策には未来はないのだ。