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学校教育で使われる用語の「精選」の動きとそれをめぐる考え (2) 歴史教育での気候に関する語

【この記事は まだ 書きかえることがあります。 どこをいつ書きかえたか、必ずしも示しません。】

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[2017-11-24の記事]でふれた話題のうち、歴史教育用語の「精選」の提案の内容を見てみた。

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アンケートの対象となっている、用語を「精選」したいという提案の趣旨については、わたしは基本的に賛成だ。(提案の論点をくわしく検討することはまだできていないが。)

なお、この提案は複数の団体の共同の活動だが、そのうち情報発信の中心となっている団体が「高大連携歴史教育協議会」であることに反応して、およそ「大学に進学してさらに歴史を学ぶ人にとって よい歴史知識と、高校が歴史について体系的に学ぶ最後の場になる人にとって よい歴史知識とは、ちがうのではないか。公教育の内容は後者を主に考えるべきではないか。」という意見も見かけた。わたしは、一般論として、そのような意見がもっともだと思うことも多いが、学術的に否定された旧学説にもとづく世間の常識を教えつづけることになるおそれもあると思う。わたしはこの件もくわしく検討していないが、おおまかな理解にもとづいて意見を言うとすれば、どちらの目標に向かうとしても、用語をとりあげる項目を精選することまでは、ちがわないと思う。ちがうのは、精選された項目をどのような用語で表現するかだと思う。その段階では、[2017-03-22の記事]で述べたように、とりあげられた項目の専門家ではなく、歴史学全体ぐらいの広い領域を見わたす専門性によって用語を選ぶべきだと思う。

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アンケートの参考資料として同じウェブサイトに置かれている「用語精選案(第一次)」を見てみた。歴史学自体の用語の重要性に関する判断は、歴史学・歴史教育の人にまかせるしかないと思う。

しかし、いくつか、気候に関する語が含まれている[注]。歴史学の立場からも、人間社会の歴史に変動・変化を起こす要因として気候の変動・変化を考慮する必要があると考えられたのだろう。気候の専門家(しかも気候に関する知識の社会に対する意義を主張したい人)から見て、それ自体はもちろんうれしいことだ。

  • [注] 「縄文海進」は、気候自体とはいいがたいが気候と関連する広域の自然環境に関する語だ。便宜上、「気候に関する語」にはこれも含めておく。

その反面、気候に関する語のひとつひとつに、これを学校の歴史関係の科目で教えていいのか、という疑問が生じる。今の段階での暫定的なわたしの主張は、次のとおりだ。

  • やめてほしいもの: 縄文海進、中世温暖期
  • 表現を変えてほしいもの: 氷河期
  • あってもよいが意味に注意が必要なもの: 小氷期、気候変動、温暖化、寒冷化

アンケートの場を設定してくださった機会に、そのしめきりである2月末までに、意見を書いて送ろうと思う。歴史学・歴史教育のかたがたに向けて理由を説明することは、わたし自身への宿題だ。ひとまず、その材料になることが書いてあるこのブログの記事をあげておく。

用語をやめてほしいと言っても、その題材を扱うのをやめてほしいというつもりはなく、固有名詞扱いされる用語を持ちこまずに、「海水位が高い」「温度が高い」などの普通名詞や形容詞で述べてほしいと言いたいのだ。

「氷河期」については「氷期」と「氷河時代」を使いわけてほしいのだ。

「気候変動、温暖化、寒冷化」は、現代の「地球温暖化」とは別の文脈で出てくるので、(人間活動が原因と考えられている変動を除外する必要はないが、おもに)自然の変動をさしているにちがいない。「温暖化・寒冷化」は、(季節別の)数十年平均の気温が上がること・下がることであって、とくに原因を指定したものではないだろう、と推測する。

それが、歴史の論述対象となるのと同じ地域の気候要素が変動・変化することをさすのならば、よいと思う。【次のような疑問はあるが。

  • 地域としてどのくらいのひろがりをとるかという問題はある。たとえば「北ヨーロッパ」くらいのひろがりならば妥当だと思う。
  • そのことば本来の意味で使うのだから、とくに「用語」としてとりあげる必要はないのではないか、とも思うが、論述の項目として忘れられないために「用語」としておきたいというのならば、それもわかる。
  • たとえば「温暖化した時期」という表現が、気温が上がりつつある時期をさすか、気温が高い時期をさすか、というまぎらわしさもある。どちらかに決めないと話がかみあわない。用語を使うたびに明確化するか、日本語圏の歴史用語に共通の標準を設定できるか?】

しかし、世界史教育のなかで固有名詞的に使われると、世界全体の現象と思われる心配がある。(「宿題」としてこれから文章化する予定だが、「中世温暖期」についてはすでにそういう問題が起きていると思う。) たとえば、ある地域での気温上昇をさしていた「温暖化」ということばが、気温の上昇が起きなかった地域や、気温に関する証拠が不充分な地域まで、対象を拡張されて使われないように、注意しながら使う必要のある用語だと思う。

(地域が限定された気候の変化でも、社会要因によって、気候自体は変化していない他の地域に影響をおよぼす、という意味でのグローバルな連関は起こりうるし、そういう因果関係をさぐる研究はぜひやってほしいと思う。ただし、その因果関係は不確かだろうから、必ず教える項目にすることはむずかしいと思う。)

- 3X [2018-02-26 追加] -
気候以外の歴史用語の精選については、わたしには判断できそうもないが、構造として、やはり、事項としては重要だが固有名詞的ではなく一般概念としてとりあげるべきものがいくつもあると思う。「歴史(学)用語」のリストに入れると固有名詞的にあつかわれるおそれがあり、入れないと同じ話題なのに表現がまちまちになるおそれがある。くふうが必要だという気がする。

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ここからは、「用語精選案」に対するコメントとして述べようと思っていることではないが、関連して思うことだ。

地域によっては、温暖化・寒冷化よりも乾燥化・湿潤化が重要なこともあるはずだ。(それを降水量・湿度などの気象要素で代表させられるかどうかは簡単でない。具体例に即して議論する機会があれば考えたい。)

また、歴史に関する記述で「天候不順」ということばを(最近ではないが)たびたび見かけた。これは気候や気象の学術用語ではない。しかし、わたしには意味が想像できる。天候の状態(気温かもしれないし乾湿かもしれない)が それまで数十年の経験にもとづいて「順調」(「正常」と言ってもだいたいよいと思う)と感じられる範囲からはずれる事態が いくつも続いておこることをさすのだろう。今のマスメディア用語ならば「異常気象の頻発」と言われるところかもしれない。そして、持続する高温偏差・低温偏差や、ゆっくりした温暖化・寒冷化傾向よりも、こちらのほうが社会への悪影響は大きいだろうと想像する。このような事態をあらわす定型表現があったほうがよいのかもしれず、たとえば「天候不順」ということばを、非学術的として避けずに、使ったほうがよいのかもしれないと思う。