macroscope

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「『鏡にうつった像は左右が逆になる』と思う」のはなぜか

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鏡についての、鏡に関するしろうと(子どもだったか?)の問い「鏡にうつった像が、左右が逆になるが、上下が逆にならないのはなぜか?」が話題になっていた。それへの、ある学者のこたえかたについて、他の学者が「それは不適切だ」と批判していたらしいのだが、具体的にどういう議論だったかは知らない。

わたしが少年のころ、だれか(たぶん科学者だが、わたしは名まえをおぼえていない)が、同じ主題を論じていたことを、おぼろげに思い出す。その人は、問いにこたえるのではなく、問いの前提をうたがう議論をした。その人によれば、「左右が逆になる」わけではないのだ。

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われわれは3次元空間に生きている。いくらかゆがんでいるらしいが、話を簡単にするために、ユークリッド幾何が成り立つ世界で考えてみる。空間中の位置は3つの軸をもつ直交直線座標で表現できる。3方向を、人が立って前を向いたときを想定して、左右、上下、前後と呼ぶことにしよう。

物体の鏡像を、質量のある物体としてつくることは、もしできるとしても、とてもむずかしい。しかし、仮想的な鏡像を、幾何学的「立体」として、現実世界の空間の中に位置づけて考えることはできる。このことを「鏡像をつくる」のように表現することにする。

平面の鏡があって、その手前に物体があったとする。物体を構成する各点の鏡像は、その点から鏡の平面に垂直な直線をひいて、鏡にぶつかったところまでの距離を、同じだけ延長したところにある。そのようにしてつくった点の鏡像をあつめたものが、物体の鏡像になる。

鏡の面から遠い点の鏡像は鏡の面から遠い。鏡の面に近い点の鏡像は鏡の面に近い。鏡に向かって、こちら側の物体との位置関係を考えると、こちら側のうしろにある点の像は、鏡のむこうのうちでは奥(こちらから遠く)にある。こちが側の前(鏡に近いほう)にある点の像は、鏡のむこうのうちでは手まえ(こちらから近く)にある。鏡像は、もとの物体と、前後方向の軸上での点の配置が逆になっているのだ。

わたしが少年のころ読んだ科学者の議論は、だいたいこんな理屈で、「鏡にうつった像は、左右ではなく、前後が逆になっているのだ」と言っていた、と思う。

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しかし、それにしても、なぜ多くの人が「左右が逆になっている」と感じるのかという、人間心理の問題はある。

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そのまえに、鏡像に関する基本的な性質を考えておきたい。これはたぶん、それを認識するのが人間かどうかには関係ない、この宇宙の基本的性質だろう。

簡単にいうと、鏡像はひととおりしかないのだ。

もちろん、鏡の面をどこにどちら向きに置くかによって、鏡像のできる位置や向きはちがってくる。しかし、鏡像どうしは、(ユークリッド幾何学の用語でいえば)「合同」であり、(鏡像変換をふくまない) 平行移動と回転をすれば、一致させることができる。

そして、鏡像変換を2回くりかえせば、(平行移動と回転とで一致させることができるという意味で) もとにもどる。行きと帰りで鏡の向きがちがっていてもかまわないのだ。

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4節でのべたことを前提に人間の心理を考えると、人は、鏡像を見たり想定したりするとき、どちらを向いた鏡に関する像であるかは、気にしない習慣ができていると思う。(鏡像の認識は、人が鏡を知ってから発達したものだろうから、生物としてのヒトの生まれつきのものとは、あまり思えないのだが。)

平面の鏡にうつった人の鏡像は、人とほぼ同じおおきさをもっている。だから、実際には鏡のむこうがわに行けないとしても、鏡像の位置に自分がいると想定して、それと鏡像とを比較して考えることが日常的にある。自分の鏡像は、自分が鏡のむこうがわに行ってこちらを向いたのと、よく似ている。ただし、左右が逆になっている。これが、人が「鏡像は左右が逆になる」と思うことの、おもなしくみだと思う。

もし、鏡のむこうに頭からとびこんで逆立ちしてこちらを向いた場合とくらべるならば、(左右ではなくて) 上下が逆になっているのだが、ほとんどの人にとって逆立ちは日常ばなれしたことだから、「鏡像は上下が逆になる」と考えることにはならないのだろう。