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黒いものは 白いものよりも あたたまりやすく さめやすい か?

【まだ書きかえます。いつどこを書きかえたかを必ずしも明示しません。】

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「黒いものは白いものよりも あたたまりやすく さめやすい」(A)[注] ということを、わたしはたしか1960年代の小学生のころ、読んだ。複数のものに書かれていて、そのうちには学習漫画の本もあったという記憶がある。しかし、出典を確認できるほどたしかな記憶ではない。そのときは、Aの主張を正しい科学知識だと思って受け入れたのだが、気象学を教えるようになって、正確でないことに気づいた。

【[注] 「さめる」と「ひえる」ということばを、ここでは区別なく使っている。】

福沢諭吉が1868年(明治元年)に出した『窮理図解』という本 ([読書メモ])については、2002年ごろ知ったのだが、近ごろまた読んでみた。その本の最初の章は、熱の話なのだが、その中で A に相当することを知識として述べていることに気づいた。読書メモにも書いたが、もうすこし展開して論じておきたい。

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Aと似ているが、別の理屈がつけられる、「あたまりやすいものは さめやすい」(B) という主張がある。

これは、「同じだけのエネルギーがあたえられたとき、熱容量の大きいもののほうが小さいものよりも温度上昇が大きい。また、同じだけのエネルギーがうばわれたとき、熱容量の大きいもののほうが小さいものよりも温度低下が大きい。」ということをさしていると思う。これは(ここに書かなかった要因が重要でないばあいについての) 正しい事実認識といえると思う。

具体的には、衣服でも建材でもよいが、同じ面積のものどうしをくらべることを考えてみる。単位面積あたりの熱容量は、厚さ(横断方向の長さ寸法) かける 密度 (単位体積あたりの質量) かける 比熱容量 (単位質量あたりの熱容量) だ。材質がちがえば、このうちどれがちがうこともありうるが、同じように加熱されたりひやされたりしたときの温度変化のちがいには、その積がきいてくるのだ。

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太陽放射のエネルギーを受けて温度が変化するばあいを考えているのならば(『窮理図解』の議論はそうなっている)、「黒いもののほうがあたたまりやすい」は正しい。ひとまず電磁波に対して不透明な物体にかぎって考えると、電磁波の吸収率と反射率の合計が1になる。ただし、同じ物体でも、吸収率や反射率は、電磁波の波長によってちがいうる。人が「黒い」と認識するのは、可視光に対する吸収率が大きい(1に近い)物体だ。「白い」とするのは、可視光に対する反射率が大きい(1に近い)物体だ。可視光の形で両方に同じ量のエネルギーが届いたとき、黒い物体のほうが吸収するエネルギーが多くなる。熱容量も同じならば、黒い物体のほうが温度上昇が大きいことになる。

しかし「黒いもののほうがさめやすい」 は、すなおな意味では正しくない。

地上の物体も放射を出している。しかし、それには可視光の波長帯の部分は事実上ふくまれない。大部分は波長10μm程度の赤外線だ。物体が出す放射は、その温度で決まる黒体放射に、0と1の間の値をとる「射出率」という係数をかけたものだ。ある物体の、ある波長の電磁波に対する射出率は、同じ波長の電磁波に対する吸収率にひとしい。ただし吸収率は波長によって変わりうる。可視光に対して白い(反射率が大きい)ものが赤外線に対する射出率が小さいとはかぎらないのだ。(たとえば、雪は、赤外線に対する射出率は1に近いので、いわば「赤外線の目で見れば雪は黒い。」)

もし「黒い/白い」の意味を、可視光だけでなく赤外線についても吸収率が大きい/小さい ということに決めれば、「黒いもののほうがさめやすい」は正しいといえる。しかし、実際の物体がこの意味で黒い/白いといえるかどうかは、赤外線の吸収なり反射なり射出なりを測定してたしかめないとわからない。

また、地上の物体の温度が変化するしくみは放射だけではない。まわりの空気とのあいだの熱交換もある。非常にミクロに見れば熱伝導だが、むしろ、空気がこまかく動くことによる乱流輸送が重要だ。この乱流輸送の強さは物質の表面のあらさ(でこぼこ)などによって変わりうるが、白いか黒いかは関係しない。これが主要な物理過程ならば、「黒いもののほうがさめやすい」は正しくない。

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「黒いもののほうがあたたまりやすい」が可視光の吸収が大きいことをさすとして、「黒いもののほうがさめやすい」が正しいといえる理屈を、もうひとつ考えることができる。それは、「さめる」過程を独立に考えず、「あたたまった」あとでおこることとして考えることだ。

朝の時点で、黒いものと白いものの温度が同じだったとする。それから昼のあいだ太陽光があたって温度が変わる。黒いもののほうが可視光に対する吸収率が大きいので、エネルギーの増加が大きく、温度上昇は大きい。夕方の時点で、黒いもののほうが温度が高い。

それから夜になって太陽光があたらなくなる。物体の温度はさがっていく。そのしくみは太陽光とは関係ない。ひとまず、温度を変化させるしくみは、熱伝導に類似のもので、物体の温度と気温との差に比例し、比例係数は両物体に共通だとしよう。黒い物体のほうが、ひえはじめの温度が高いので、物体の温度と気温との差も大きく、単位時間あたりの温度低下量は大きくなるだろう。これを「黒いもののほうがひえやすい」と表現することはできるかもしれない。(ただし、3節で考えたように、ひえはじめの温度を同じにして比較するならば、黒いものと白いもののちがいは生じない。)

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福沢諭吉の『窮理図解』第1章では、黒いものと白いものの対比と同じ文のなかにくみこまれて、「きめのあらいものは こまかいものよりも あたたまりやすく さめやすい」という主張もされている (原文のままでなくわたしが組み立てなおした表現である)。

これは放射とは関係ないだろう。

ひとつの解釈は、3節でのべた乱流輸送による熱交換が、物体の表面のあらさによってちがうことだ。表面のでこぼこがはげしいほうが、物体をあたためる向きのエネルギーの流れも、ひやす向きのエネルギーの流れも、大きくなるだろう。

もうひとつの解釈は、「きめのあらいもの」は空隙(おそらく空気を含む)が多いので、きめのこまかいものよりも(同じ体積でくらべて)熱容量が小さい、ということだ。そうすればあとは上の2節でのべた議論になる。

しかし、空隙が多いことはむしろ、(空隙には空気があるだろうが、それが流れをおこさないようにすれば) 熱伝導がおこりにくいことになりそうだ。そうすると、きめのあらいもののほうが あたたまりにくく さめにくい、ということになりそうだ。

またしかし、空隙の空気が動いて熱(エネルギー)をはこべるとすれば、それによって、きめのあらいもののほうが あたたまりやすく さめやすい、ということも考えられる。

「きめのこまかさ」などといった おおまかな観察事実と物体の熱的性質を関連づけることに無理があるのだと思う。熱的性質を知りたいのならば空隙の大きさや形について具体的に考える必要があると思う。

窮理図解』の記述は英語の科学入門書からの抄訳だということを前提にもうすこし考えてみると、福沢諭吉が「きめのあらい/こまかい」としたところの英語原文の著者が言いたかったことは、「密度(単位体積あたりの質量)が小さい/大きい」ことだった可能性があると思う。(現代の読者にとっても、物理の話題に出てくる日常語でも物理用語でもありうる形容語の意味の読みとりはむずかしいのだ。) もしそうならば、(比熱容量のちがいが重要でないとすれば) すなおに2節でのべた熱容量のちがいになる。